第2話 身体検査

勇者教育学校の二日目。昨日までの高揚感は、消毒薬の匂いが立ち込める医務棟の廊下で急速に冷やされていった。


​「――自分は、選ばれた存在なのではないか」


 そんな青い期待を抱く者にとって、身体検査は本来、特別な「証」を見つけ出す儀式であるはずだった。だが、カーテンで区切られた簡易診療室で行われているのは、ただの「検品」だ。


​「上を脱げ。次」


 医務官は顔も上げずに端末を叩く。


 並ばされた候補生たちは、次々と上半身を露わにしていった。


​「背中、異常なし。腕部、刻印痕なし。……10001番(セラ)、皮膚に異常なし。魔力の流動経路も極めて清潔だ」


「当然です。自己管理の一環ですから」


 セラは事務的な賞賛にも動じず、規律正しく服を着直す。彼女にとって、この検査は自分の「正しさ」を証明する工程の一つに過ぎない。


​「おい、これを見てくれ!」


 隣のブースで、フィンが興奮した声を上げた。彼の右肩には、生まれつきの淡いあざがあった。


「これって、昔話に出てくる『太陽の紋章』じゃないか? やっぱり俺、何か背負ってるんじゃ……」


 医務官はため息をつき、無慈悲にペンを走らせる。


「……10005番(フィン)。右肩に表皮変色あり。由来は不明だが、魔力放射は確認できない。ただのあざだ。特記事項なし」


「えっ、ただのあざ……?」


 がっくりと肩を落とすフィン。その後ろで、ガルドが「期待しすぎだ」と苦笑しながら、自分の順番を待っていた。


ガルドの体には、幼少期からの厳しい訓練でついた無数の傷跡があったが、それも「戦歴なしの古傷」として淡々と処理されていく。


​ 一方、カインのブースからは不穏な空気が漏れていた。


「……チッ、触るんじゃねえよ」


「カイン。君の胸にあるのは刺青か? それとも呪印か?」


「知るかよ。勝手に浮かび上がってきたんだ。力が溢れてくる証だよ」


 医務官の目が鋭くなる。「……10009番(カイン)。胸部に未認可の術式反応。管理対象とする」


「管理だぁ?」


 カインが毒づくが、医務官はそれを無視して次の問診票へ目を移した。


​ 最後に、155番のリオが診察室に入った。


 彼は昨日の制服を脱ぎ、言われるがままに椅子に座る。


​「では、問診を行う。正直に答えろ。……最近、原因不明の激しい頭痛に襲われることはあるか?」


「いいえ」


「夢の中で、誰かから『お告げ』を聞いたり、見知らぬ景色を見せられたりすることは?」


「ないです」


「強い怒りや悲しみを感じた時、自分の意志とは無関係に周囲の物が壊れた経験は?」


「ありません」


​ 医務官の手が止まる。


「……一つもないのか? 勇者候補というのは、多かれ少なかれ、精神が不安定な時に『外の世界』と繋がってしまうものだが」


「普通に寝て、普通に起きています」


 リオは淡々と答えた。その目は、鏡のように何も映していない。


​「次。異常状態耐性チェック。魔導陣に入れ」


 リオが床に描かれた紋様の中に立つと、淡い光が彼の体を包んだ。


 恐怖、幻覚、精神圧迫――。


 通常の人間であれば、冷や汗をかき、心拍数が跳ね上がるはずの負荷がかけられる。


​「……心拍、安定。呼吸、変化なし。瞳孔の開き、異常なし」


 助手が信じられないといった様子で数値を読み上げた。


「医務官、これ……耐性が高いというより、負荷そのものに気付いていないようです。感覚が麻痺しているのか、それとも……」


「……155番(リオ)。恐怖・幻覚・精神干渉、いずれも有意な反応なし。特記事項、なし」


​ 医務官は、その空白だらけの報告書に印を押した。


 リオは何も言わず、落ちていた自分のシャツを拾い上げて袖を通す。

 

 検査を終えた廊下では、セラが「精神負荷への対抗理論」をガルドに説き、フィンがまだ自分のあざを残念そうに眺めていた。カインは「管理対象」になったことが不服らしく、壁を睨みつけている。


​ リオはその横を通り過ぎ、寮へと続く長い階段を登る。


 彼には、見覚えのない紋章も、聞こえてくる神の声もなかった。


 ただ、重い空気の中で、自分の足音が一つずつ響くのを聞いていた。


​「あいつ、やっぱり何もないんだな」


 誰かの話し声が聞こえた。


「モブってのは、身体検査も退屈だよな」


​ リオはそれに応えることなく、ただ前を向いて歩き続けた。


 彼がどれほど「異常なまでに正常」であるかを、まだ誰も、そして彼自身さえも、理解していなかった。

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