第四話 「英雄、かくあり」⑥


 アニカが現れた瞬間、クルトはここでの計画が頓挫したことをすぐに理解した。そして同時に、この場での勝ち目がほぼゼロに近いことを判断し、逃げることを選択した。狙っていた人数を獲得出来ていただけに、彼の中には全て捨てることへの若干の抵抗がある。今でもそれは変わっていなかった。だがそれに拘泥すれば、自身の道を閉ざす原因となる。


 廊下を走る足を緩めると、クルトは部屋のひとつに入り、壁際の本棚をどかした。その向こうには通常の廊下とは別の細い通路があり、一瞬の迷いもなくそこに飛び込むと、クルトは本棚を裏から動かし再度通路の入り口を塞ぐ。


 真っ暗になった視界に恐れることなく突き進んだ。緩やかな斜面になっている一本道を早足に抜け、しばらくすると暗闇に目は慣れはじめる。危うさが減った足取りでクルトはさらに先を急いだ。すぐにでもこの町を出なくてはいけない。もしも封鎖でもされたら、抜け出るのに苦労するということを彼はよく分かっていた。


 どれだけ経ったか、時間間隔がなくなった頃、進行方向に僅かな光が差し込んだ。木の扉の隙間から漏れ出るそれを、クルトはしばらくの間見つめる。僅かとはいえ光は光。多少でも慣れさせておかなくては、外に出た時に行動不能になる時間が増えてしまう。この扉の向こうはヴァッサーフォーゲルの外れにある岩場だ。光を遮る物のない場所にこの暗闇から出るには多少の準備は必要だった。


 じりじりとする心を押さえつけ、目から痛みがなくなった所で扉を押し開けた。比べ物にならない光量に予想通り目は痛む。しかし多少慣れさせておいたおかげで動けないほどではなかった。目をしかめつつ、クルトはすぐにその場を離れる。


「脱出口は岩と岩の間に。――地下の掘り方見た時にまさかと思ったっすけど、メーネ秘伝の抜け道の作り方と掘り方、こんなことに使わないで欲しかったっすよ、クルト」


 しかし、その行く手を誰かが塞いだ。誰何する必要はクルトにはなかった。幼い頃とは変わったこの声を聞いたのは二ヶ月前が初めてだったが、雰囲気も、喋り方も、彼は子供の頃から変わっていなかった。


「……便利だよな、あそこにいる間に、覚えておいてよかったよ」


 クルトが細めた視界に映したのはナイフを片手にひどく悲しそうな顔をしているレギナルトの姿だ。毎度毎度、彼はクルトの前に立ちふさがる。子供の頃、すぐにでもメーネを出ようとしたクルトたちを引きとめたのも彼であった。重なる姿に、クルトは苦笑を浮かべる。


「クルト……っ、何でっすか? 何でこんなこと……。今ならまだ遅くないっすよ。俺と一緒に」


「もうとっくに遅ぇんだよっ!」


 レギナルトの説得を振り払うようにクルトは怒鳴った。思わず言葉を飲み込むレギナルトを見て、クルトは歪んだ笑みを浮かべる。


「もうとっくに遅ぇんだよ、レギー。俺はもう引き下がる気はねぇ。ようやくあいつ、、、を見つけたんだ。こんな所で捕まるわけには行かねぇんだ」


 言下クルトは隠し持っていたナイフを引き抜きレギナルトに迫った。


「お前ハンターとしては出来そこないなんだろ? そんな奴殺すなんて楽勝なんだよ!」


 突き出されたナイフの刃先を、レギナルトは抜き身に構えていたナイフを下から斬り上げて弾く。想像外の反応に僅かに目を見開くクルトであったが、瞬きの次には笑い、ナイフを握り直して今度は斬りかかってきた。言葉通り殺す気で放たれる一撃に顔を歪めながら、レギナルトはそれを正面から受け止める。


「はっ。中々やるじゃねぇかよ。出来そこないってのは謙遜か?」


「~~っ、謙遜じゃないっすよ。俺は、マジで出来そこないっす。けど、アニカさんが毎日鍛えてくれてるんすよ。こんなぐらいで――ぅがっ!」


 言葉半ばでレギナルトは半身を折った。その基点となる腹から、クルトは自身の膝をゆっくりと離す。


「お綺麗な戦闘で俺に勝てるかよ。じゃあなレギナルト、寝てろ」


 本気で相手にして時間を無駄にするつもりのないクルトはナイフをしまうと後顧せずに走り出した。だが、僅か数歩行った所で足を掴まれ引き倒されてしまう。


「こ、こんなん痛くないっす! アニカさんの拳骨の方がずっと痛いっす!」


「くそっ、離せてめぇ!」


「嫌っす!」


 片足を抱きしめるようにがっちりと掴まれ、クルトはレギナルトの顔を空いている方の足で何度も何度も蹴りつける。だが、レギナルトはぎゅっと目をつぶってそれに耐えた。皮膚が裂けて血が流れても、顔が腫れてきても決して離そうとしない。そんな彼にクルトはぎりっと歯噛みした。


「そんなにお仕事が大事かよ、さすがだなぁハンター様はっ」


 嫌味を込めて言い捨て、脳天に向けて踵を落とす。避けきれず地面に思い切り顔をぶつけたのか、次に顔を上げた時、レギナルトは鼻血を出してしまっていた。滑稽な見た目になるが、レギナルトはなお手を離さない。


「はな、さないっすよ。そりゃ、仕事も大切っすよ。だけど今は……今は、友達このまま放っておきたくないだけっす!」


 強い眼差しが注がれる。睨みつけるのではなく、真っ直ぐに真っ直ぐに向かってくるそれに、クルトははじめて怯んだ様子を見せた。だが一度強く瞼を閉じると、彼の目にはまた残虐さが宿る。


「綺麗ごとぬかしてんじゃねぇよ。てめぇに俺の邪魔は――!」


 狂気的な表情でナイフが振り上げられた。だが、頂点に到着した瞬間、脇から手を蹴りつけられ、それは地面に放り出され岩の間を転がっていく。何か、と思う間もなく、クルトは首裏に鋭い痛みを覚えた。


「……てめぇ、アニカ・ハインツマン……っ!」


 僅かな躊躇もない連撃にクルトは歯を食いしばって背後を振り向く。そこにいたのは息を切らせ汗を浮かべたアニカであった。ここまで走ってきたらしい彼女を認識すると、反射的に手を当てた首裏から、刺さっている何かをクルトは乱暴に引き抜く。血と共に地面に放り投げられたのはピストンの下がりきった小さな注射器だ。


「ここまでだ、クルト・ベレ。お前を捕らえる」


 クルトに赤くなって挙動不審な様子を見せていた女と同一人物とは思えないほど冷静に、アニカはそう告げる。冗談じゃない、と口にしようとするも、舌は上手く動かず空回った。


 そして深く荒い呼吸を何度か繰り返した後、クルトは大きく身を傾ぐ。最後に彼が聞いたのは、彼を呼ぶレギナルトの声であった。




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