第四話 「英雄、かくあり」④
見知らぬ少女たちや女性たちと共に牢屋に閉じ込められたファニーは、両腕で自身を抱きしめながら震えていた。あの時、突然口をふさがれ、マルクスが殴り倒された所でファニーも目隠しをされてどこかに連れて来られてしまった。その時に髪につけていたはずの飾りは落としてしまい、ファニーは縋るものなくただただ恐怖するしか出来ずにいる。
それでも信じ続けていた。姉が、アニカが、助けに来てくれると。
唇の裏を噛み締め、ファニーは泣き出しそうになる自分を必死に抑える。泣いてはいけない。泣いてはいけない。ファニーは、アニカ・ハインツマンの妹なのだ。ベルンハルト・ハインツマンの孫なのだ。こんなことで泣いては、彼らに顔向け出来ない。
ぎゅっと身体を抱きしめ直した、その時、牢屋の前に誰かがやって来る。出してと縋る娘たちのその向こうにいる人物をちらりと盗み見て、ファニーは思わず呟いてしまった。
「……クルト、さん?」
檻の向こうにいるのは、ヴァインシュトックで出会ったレギナルトの友人だと言う男性、クルトに違いない。呆然とそちらを見ていると、あちらもファニーに気付いたらしく、ヴァインシュトックでも行きの馬車の中でも見たことのない顔で舌打ちされる。
「ちっ、マジで妹攫ってやがる。警戒中にあの女の相手すりゃ大事になるから明日帰る時まで手ぇ出すなって言っておいたのに。やっぱり地元で集めた駒じゃ役に立たねぇな」
乱暴に檻を叩くと、娘たちの間から悲鳴が飛び交った。それらに苛立ったようにクルトは「うるせぇ」と声を荒げる。今度は怯えて声も出せなくなる娘たちの中で、あまりにも違いすぎる言動と、容赦なくやってくる現実に、ファニーは胸の辺りの布を握り締めた。息苦しさを感じる中、なおクルトから目を逸らさずにいると、クルトが改めてファニーに目を向けてくる。
「おいファニー・ハインツマン。俺と取引しねぇか?」
取引、という誘いに、思わず鸚鵡返しして問い返してしまった。そのファニーの様子にクルトは唇を引き伸ばし黒い笑顔を覗かせる。
「ああ。ここで見たことや聞いたこと全部忘れて誰にも言わないなら、そのまま返してやる。お前だって姉ちゃん悲しませたくねぇだろ? あいつは俺に惚れてるからな。俺が悪党だって分かったら傷付くんじゃねぇか?」
クルトが見てきたアニカは、自身に見惚れてあわあわとしているだけの女であったが、
そしてレギナルトをはじめ多くの者に話を聞いた結果、アニカにとってファニーは大事な妹であると同時に起爆剤になりえる存在であることを、ファニーにとってアニカが世界の絶対にもなりえるほどの存在であることを知ったのだ。
であれば、彼女を揺さぶるのに「姉」という単語は非常に有効なはずだ。笑みをそのままに返答を待っていると、少しの間俯いて震えていたファニーが突然顔を跳ね上げる。そして、クルトを睨みつけた。
「嫌っ。私はベルンハルトおじいちゃんの孫で、アニカお姉ちゃんの妹なんだから。そんな汚いこと絶対にしない!」
強く、珍しく攻撃的な表情でそう言い切るファニーを、クルトは眉を歪めて見据える。
「……いいのか? これが最後のチャンスだぞ。もう二度とそのお姉ちゃんに会えなくなるのは覚悟しておけよ?」
重ねて脅しかけるが、ファニーの視線は揺らがない。
「そんな脅し怖くないっ。あなたなんてお姉ちゃんがすぐにやっつけてくれるもん! お姉ちゃんは絶対、助けに来てくれるんだから!」
深い深い、純粋すぎる姉への信頼。周囲の娘たちはハラハラしたり馬鹿だと目を逸らしたり、もしくはその「お姉ちゃん」への期待を抱き始める。中にはヴァインシュトックの英雄たちの名を知っている者もいるらしく、何人かが顔を見合わせていた。
愚かしいほどの純粋さというのはこういう時に厄介だ。飾らないがゆえに、正負問わず人の心に呼びかける。
そう、正負問わず、に。
「――ああ、そうか」
静かに、いつの間にか頭を下げていたクルトが呟いた。しかしその静けさにこそぞっとしたファニーは思わず後ずさり、背中を壁にぶつける。そんな彼女を、顔を上げたクルトは怒りと不快に塗れて歪んだ笑顔を向けた。
「だったら分からせてやるよ、お前が口にする〝絶対〟ってのがどれだけ脆いのか。お前が縋るその〝希望〟ってのがどれだけくだらないのか。その身体でよぉ……っ」
檻を開け、クルトが中に入ってくる。しかし娘たちは彼が放つ異様な殺気におののき、一様に退いた。触れてはいけないと、彼女たちの本能が告げたのかもしれない。
呼吸を荒れさせながら震えるファニーは、それ以上下がれない壁に身を押し付けつつクルトを見上げた。怖いのに、目を背けたいのに、恐怖で引きつった身体は彼女の意思を受け付けない。
ついに眼前まで来たクルトは、無造作に手を伸ばし、乱暴にファニーの髪を鷲掴む。
「やっ、痛い……!」
暴れる気力すら奪うように引きずられ、ファニーは頭部の痛みに耐えながら無理やり歩かされた。時折足が緩むものならぶちぶちと音が耳に届き、痛みが走り顔が歪む。痛みを訴えても前を行く男は興味も持たず、むしろよりいっそう力を込めて来た。痛みと、何をされるのかという恐怖が心を染め始め、ついにファニーの双眸に涙が浮かぶ。それは瞬く間に瞳を濡らし、頬を流れていった。
満面が涙と鼻水で汚れた頃、大きな両開きの扉に区切られたどこかの部屋に入り、ようやくクルトが立ち止まる。
「おいお前ら、このガキで遊んでいいぞ」
不穏な言葉が聞こえたかと思うと、ファニーは突然投げ出された。痛みから解放されたことに反射的な安堵を覚えるが、同時に眼前に居並ぶ靴に得体の知れない恐怖を覚える。大事に大事に育てられてきたファニーには、クルトの言う「遊ぶ」がどういった意味を含むのかは理解出来なかった。だが、少なくとも安心出来る状況ではない。それだけは分かる。
どっと冷や汗が全身を覆った。さっと視線をめぐらせたファニーは、今入ってきた側とは真逆にもうひとつ扉があることに、それが半分まで開いていることに気付きかつてない反応で走り出す。しかし相手の反応も早く、あっさりと服の後ろを掴まれ乱暴に地面に引き倒されてしまった。仰向けになったファニーを囲むのは年の頃も外見もばらばらな三人の男たち。
「へーえ、涙と鼻水できったねーことになってるけど顔は可愛いじゃん。しかもいい身体」
「こいつもらっちゃっていいのクルト? 高く売れそうだけど」
「この顔と身体に仕込めば違う意味で売れるだろうし、そっちでも俺らはいいけどな」
思い思いに身体を触ってくる気持ちの悪い感触にファニーはぞっと全身を粟立てる。嫌がって暴れるが、それらも押さえつけられてしまったら何の意味もない。一人に腕を押さえ込まれ、一人に足を開いた状態で押さえつけられ、最後の一人が馬乗りに乗ってきた。服のボタンがひとつひとつ外されていくのを視界に捉えながら、それでもどうにも出来ない。
ファニーの呼吸は次第に浅く速くなっていく。それと同時に、身体が痙攣を起こし始めた。生来身体の弱いファニーは、今でも心身に負担がかかると体調に異変が生じる。かつてない危機はファニーに多大なストレスを与えていた。
「ああ? 何だこの女。病気持ちかよ。おいクルト――」
馬乗りになっていた男がファニーの異常に気付き手を止めてクルトを仰ぎ見る。その時、突然クルトがもたれかかる扉と逆の扉が勢いよく開かれた。男たちが驚いて次の行動に戸惑っている隙に、容赦ない連射が部屋に降り注ぐ。全てゴム弾だが、撃たれる方はたまったものではない。慌ててファニーから離れて物陰に隠れようとするが、立ち上がった瞬間にそれまで以上に激しく正確な射撃が男たち頭を襲う。
「……お前たち……」
地から響くような、怒気を孕んだ声が襲撃者からこぼれた。その強烈な殺気に男たちがぞくりと背筋を冷やしたのはただの一瞬。次の言葉を聞く前に、額の真芯を捉えたゴム弾に男たちは各々昏倒する。
「私の妹に手を出すつもりなら、股にぶら下げたその汚いブツを斬り落とされる覚悟はしておけよ……っ!」
かつてないほどの怒りをまとい、現れたのはアニカであった。震えた身体を懸命に動かし、その姿を確認したファニーは両目に涙をためる。それはすぐに大粒の涙になって頬をこぼれていった。その姿を確認しただけで、恐怖は全て身を潜める。荒れていた呼吸が戻りはじめ、痙攣し始めていた身体が落ち着いていった。
「ファニー」
そんなファニーに、アニカが声をかける。視線だけを向けて応えると、アニカは強い眼差しをファニーに向けた。
「怖い思いさせてごめんね。もう少しだから、待っていて」
優しく微笑むのではなく、強く見つめる。ああ、姉だ。大好きな姉が、そこにいる。ファニーは安堵から一瞬顔をくしゃりと歪めると、上半身だけを起こし、涙を拭ってアニカに笑い返す。
「大丈、夫、私、お姉ちゃんの妹だもん。ちょっと怖いのくらい、我慢、出来るよ」
強がりだけれど、アニカがいる今、それは強がりではない。ファニーは後は、彼女を信じて待つだけだ。
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