第四話 「英雄、かくあり」③
短い金色の髪に、一重の緑色の双眸を持ち、少し緩めの服をまとっている。右手に握られている短柄で洋ナシのような先端がついている鈍器――ブラワと呼ばれる打撃武器――は、彼が敵であることを明確に伝えてきた。アニカはすでに伸ばした警棒を順手に構えている。
「騒がしいと思って来てみたら、脱走者か。しかもこんな子供とはな。――戻れ。さもないと痛い目に遭ってもらうぞ」
ブラワを突きつけ、男はアニカたちを脅しかけてきた。アニカはその言葉に嘘がないことを彼の目と立ち上る殺気、そしてその
「……髪は短くなっているが、お前、フィデリオ・バーゴップだな。クレーのアルダグ事件の指名手配犯が、まさかこんな所にいるとはな」
クレーとは大陸中央のエンベール地方の南側にある大きな町の名だ。三年ほど前、今このヴァッサーフォーゲルで起こっているような誘拐事件が起こった。その事件はアルダグという首謀者の男を捕らえたことで解決したのだが、幹部格の者が数名捕らえきれず逃亡してしまっていた。この男、フィデリオ・バーゴップはそのうちの一人だ。撲殺のフィデリオ、と大陸全土で指名手配されている男とこんな所で対峙するとは、思いもしなかった。
「物知りな坊主だな。そうと知るなら抵抗するな。抵抗する相手に手加減出来るほど、俺は優しくないぞ」
これも過言ではなく適正だとアニカは理解している。当事、彼の確保に向かった中央の衛兵が三人あの武器によって殴り殺されている。斬撃・刺突武器や射出武器と違い、打撃武器で人を殺すのは難しい。技術云々の話ではない。打撃武器は打ち所が悪くなければ一撃で殺せることなど少ない。つまり、何度も殴打し続ける必要があるからだ。
一撃離脱でも相手を抹殺出来る刀剣類や銃類とは違い、長く長く人をいたぶることを強制されるのが打撃武器である。人というのは、戦意が削がれればその瞬間に戦えなくなる生き物だ。そして、相手が痛みに悶絶する姿というのは、正常な人間の戦意を失わせるに十分すぎる光景だろう。「こんなに痛がっているのだからもういいだろう」、と。
だがこの男にはそれがない。相手を潰すことに、躊躇しない。いくらアニカでも彼が恐ろしい相手だということくらいは理解出来ている。殺すことに躊躇のない人間は獣と同じほどに恐怖を感じさせられる。
しかし、アニカは警棒を強く握り体の向きをやや斜めにした。心得ているマルクスは急いでそこから駆け離れる。彼に出来ることなどないことを、彼が一番理解しているのだ。
「……やはり子供か。勇敢と無謀の違いを教えてやろう」
アニカの反応に薄い眉を寄せ目を細めて不愉快を示すと、フィデリオは駆け出しアニカに向かってくる。そして眼前まで迫ると真っ向からブラワを振り下ろしてきた。想像以上に重量があるのか落下速度の速いそれをアニカは床を転がって脇によけ、その勢いでフィデリオの足元を警棒で殴りつける。だが、当たったと思った瞬間足を上げられ、逆に警棒を踏みつけられてしまった。再度振り上げられるブラワを視界の端に捉えると、アニカは警棒を拾い上げることを諦めその場を飛び離れる。
二撃目は床に沈んだ。木は裂けてへこみ、破片が飛び散る。目の辺りに飛び散るそれにだけ気を割きつつ、アニカはフィデリオの背後に回りこみ飛び上がって背中の中心を蹴りつけた。今度こそ当たるが、標準より少し大柄であり筋力の必要な打撃武器を易々と振り回すフィデリオと、いくら見た目より筋肉が多くても小柄なアニカでは体重も筋肉の質量も圧倒的に違いすぎる。一瞬ふらりとしたフィデリオであったが、次の瞬間には立て直し、殺気の塊のような視線が、追いかけるようにブラワが、アニカにぶつかった。
咄嗟に床を蹴り背後に飛び、さらに両腕でガードをする。だが、小さな身体は衝撃に耐えられず吹き飛ばされてしまう。
「くっ……!」
受身は取ったものの両腕に痛みが走った。感覚的に折れてはいないが、何度も喰らって平気なものではない。立ち上がり折角取れた距離を生かして次の武器を取ろうとしたアニカだが、それよりも早く、フィデリオが迫ってきた。
その表情を真正面から捉えたアニカは、若干の違和感を覚える。最初彼が浮かべていたのは侮られた怒りだったはずなのに、今の彼の表情はそれがやや抑えられ、空いた部分にどこか焦燥に似たそれが注がれているように感じた。
アニカが自身で理解しきれなかったその認識は、実は間違ってはいない。フィデリオはアニカに危機感を持ったのだ。圧倒しているのは彼であるのに違いはないが、踏んできた場数が、表立っていない彼女の危険性を感じ取っていた。
何かされる前に潰してしまおう。そんな意思を元にブラワが先の三撃以上の威力と速度を持って振り下ろされる。しゃがんだままだったアニカは両手足で思い切り床を押してぎりぎりでそれを避けた。尾を引いた爪先の先端をブラワがかすり靴が摩擦で破けたのを見て、アニカはぞっと背筋を冷やす。片手によるものとは思えないほど、一撃一撃威力が上がっている。これ以上振らせてはいけない、とナイフに手を当てたアニカは、しかし瞬きの間にその手を自身の前に戻した。その途端に手中に納まったのは先ほど床に転がった警棒だ。
「びびんなアニカ! ベルンハルト爺ちゃんに鍛えられてきたお前がこんな奴に負けるわけねぇだろ。気合入れろっ」
言うなりマルクスはまた元の場所に走って戻っていく。危険だと分かっていても、幼馴染を鼓舞するために前に出てきてくれたのだ。武器と気合を受け取ったアニカは、警棒を握り締め直す。そして、何故か驚いた様子を見せるフィデリオの喉に向かって、強く地面を蹴って飛び上がりつつ警棒を突き出す。
それは構え直されたブラワによって防がれるが、着地したアニカは慌てずにふっと警棒を握る力を緩め持ち手の位置を変えた。そして空いた部分にもう片方の手を沿え、力を込めてフィデリオの甲を打ち据える。
片手であれだけ振り回せるだけあってさすがに硬く、先ほど両腕にダメージを負ったばかりのアニカの力では、取り落とさせることは出来なかった。だが、怯ませることは出来たらしい。フィデリオの表情が僅かに歪む。
「っだああああ!」
駄目押しにもう一撃、今度はもっと体重を乗せて肘に向けて振り抜いた。僅かな差で避け切れなかったフィデリオは肘を強打され、ついに武器を取り落とす。痛みが残り力が入りきらないアニカの攻撃とはいえ肘は急所に数えられる部位だ。警棒が歪むほどの威力を込めれば大の男でも痛みは大きい。右の肘を押さえながら、フィデリオは歯を噛み締め漏れ出ようとする悶絶の声を封じ込めていた。
アニカはその彼に向けて懐から取り出した拳銃の銃口を突きつける。シリンダーがないタイプのそれが可能な連射数は外観からは分からない。
「投降しろ」
短く命じた言葉に、フィデリオは歪んだ笑みを浮かべた。
「断る。俺が死ぬか、お前が死ぬかだ。
言うが早いかフィデリオは取り落としたばかりのブラワを拾い上げようと素早くしゃがみこんだ。だが、それより早くアニカはトリガーを引く。撃ち出された弾は過たずフィデリオの肩に
想像から外れた痛みと衝撃にフィデリオは思わず肩口に視線を向けた。そこに刺さっていたのは、大人の親指ほどの長さの注射器のような銃弾で、視線が行き着いた時にはすでにピストンが降り切っていた。
「……ま、すい、だん……?」
「特殊調合の、な。動き回ってくれていいぞ。その分薬が早く回る。ただし、ハンターギルドでも使用者に制限がある代物だ。無理に動き回れば後遺症が残る可能性は捨て切れない、ということは理解しておけ」
冷たく言い捨てると、アニカは麻酔弾を懐にしまい直す。歯軋りしたフィデリオはアニカを睨みつけながらブラワを手に取った。だが、立ち上がった所で大きく身を傾ぎ、二、三歩ふらつくと結局前のめりにその場に倒れこんでしまう。それでもまだ意識があったようなので、アニカは警棒を右手に持ち直し警戒しつつ、隠れていたマルクスに先ほどの部屋から何か縛れるような物を持ってくるように言いつけた。
少ししてマルクスが想像以上の本数の紐を持ってくる頃には、フィデリオはすっかり意識を手放していた。アニカは彼の手足を厳重に縛りブラワを近くの部屋の物陰に隠し、改めて先を急ぐ。
「――なあアニカ、お前何か変な顔してんぞ」
アニカがフィデリオを縛り上げている間彼女の顔をずっと見ていたマルクスがその背に向けて感想を述べた。ともすれば殴られてもおかしくない発言に、しかしアニカは苦い笑みを返すに留める。
「気にしなくていいわよ。自分の男運のなさに愕然してるだけだから」
彼女は思い出してしまった。三年前、アルダグ事件の残党がリエレット地方に流れて来た際にその残党狩りを行った時のことを。その前準備として事件に関する資料をトミーから見せてもらった時、フィデリオと共にその姿を見ていたことを。
今の美しい金糸の髪とは比べ物にならないほどに品のない人工的な赤い長髪で、柔らかな微笑からは考えられない厳しい表情をしていたが、間違いようがない。じっくりと見つめた顔だ。
珍しくない名前だからと言って、いい度胸をしている。
「クルト・ベレ……三年前使っていた名前はクルト・ノイムル。あの男も、アルダグ事件の時に逃げられた幹部の一人だ」
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