第三話 「始まった〝祭り〟」⑤
「え……マルクスさんとファニーちゃんが行方不明?」
告げられた事態に、クルトは思考が追いつかないのか驚きを隠せない様子を見せる。応えて頷いたのは一番前に立つレギナルトであった。その後ろに立つアニカは青ざめた表情のまま固まっている。
連れて行かれた先には、当然のことながら誰の姿もなかった。クルトの店が近かったので恐らくそこに向かおうとしていたのだろう、ということは予測がついたが、そこまでだ。それ以降の手がかりは何もない。せめて何か小さな情報でも、とクルトの店に来たが、どうやら無駄足だったらしい。
「……すみません、クルトさん。お邪魔しました」
ふらりと歩き出すと、アニカは一も二もなく外へと出て行ってしまう。
「アニカさん! あ、ごめんっすクルト。また後で来るっすね」
「あ、ああ。アニカさんのこと頼むよレギー」
任せろ、というようにレギナルトは片手を挙げ出て行ったアニカを追いかけた。それを見送ってから、クルトは顔に手を当て不可解そうな表情をする。
再度ファニーたちが行方不明になったと思われる路地裏に来たアニカは、ただ黙ってその場に立ち尽くした。心に次から次へと押し寄せてくるのは後悔ばかり。こんなことしていも時間の無駄なのに、心が立ち上がってくれない。歩き出してくれない。
「アニカさん、ビョルンさんたちが捜索隊組んでくれるって言ってたっすよ。俺たちも探しに」
「何であたし、あの子のこと連れて来たんだろう」
小さな、しかしはっきりした声がレギナルトの言葉尻を攫う。そばまで来ていたレギナルトは思わず足を止めた。微かに震えるその小さな背中に手が伸びかけるが、ぐっと指先を丸めてそれに耐える。
「……ファニーちゃんに、お祭り見せてあげたかったんすよ」
「違うっ」
与えられた答えを、アニカは大声で拒否した。そうだ、そんな優しい、姉らしい理由なんかじゃない。アニカは――。
「っ、あたしは、色恋沙汰にボケてあの子を巻き込んだんだ。ここが危険だなんて分かってたのに、自分の町のお祭りにすらひとりで出歩かせないのに、よそのお祭りなんて無理だったんだ。マルクスだってただの一般人で、いつでもどんな事態にも対応できるわけないって、分かってた。~~っ、分かって、たのに……っ!」
クルトの笑顔に目が眩んでいた。女の子扱いに調子に乗っていた。そうして思考を止めたのだ。
何て浅ましい。
何て醜い。
何て愚かしい。
何てくだらない。
自分の甘えに、ただひとりの妹を、ただひとりの幼馴染を、危険に巻き込んだのだ。他の誰でもない、アニカが。
歯を食いしばっても、必死に耐えようとしても、悔し涙が頬を伝っていく。どうしたらいいのかを考えなくてはいけないのに、渦巻く感情が冷静な思考をどんどん押し出してしまう。
「こんなんじゃ、おじいちゃんにも顔向け出来ない。あたし、英雄の孫なのに……っ」
亡き祖父の顔が浮かびだした。もはや届くはずがない助けを心の中で叫び続ける。すると、突然肩を掴まれた。逃れようという思考が働く前にくるりと回転させられ、背後にいたはずのレギナルトが正面に来る。
一体何か、と思う間もなく、レギナルトの顔が勢いよく迫ってきた。そして、アニカの額と思い切りぶつかる。
「いっ~~~、何すんのよレギナ」
「アニカさんのジジコン!」
文句を言おうとした瞬間にそれ以上の大音声で怒鳴られた。
「何でおじいちゃんなんすか。ここには他の猟師たちだっているし、微力っすけど俺もいます。頼る相手が違うじゃないっすか」
不愉快、というよりも、ショックを受けたのだろうか。その言葉を聞いた瞬間レギナルトの表情が拗ねたそれに見えてくる。
「大体、あんたはもう〝英雄の孫〟なんかじゃないんすよ」
アニカの肩を掴むレギナルトの手の力が強くなった。英雄の孫じゃない、という言葉が、今のアニカにはどこまでもマイナスな意味に聞こえて、驚きで乾いたはずの涙がまた浮かんでくる。だが、予想はまたもおかしな方向へ裏切られた。とても、良い意味で。
「あんたが、英雄なんすよ。ヴァインシュトックの、猟師たちの、新たな英雄。俺はベルンハルトさんは知らないっす。凄い人だってことはトルさんとか、トミーさんとか、何よりアニカさんを見ていれば分かるっす。だけど知らない人を英雄だなんて俺は言えない。俺にとっての英雄は、どんな獣が相手でも、どんな悪党が相手でも、絶対怯まないで突き進むあんたなんすよ、アニカさん」
真正面から、告げられた、熱い感情。見上げたままのアニカは先ほどとは違う意味で目を見開きレギナルトを見つめる。彼の言っている意味が理解出来ない。いや、理解は出来ている。ただ、あまりにも〝彼女個人〟には無縁だと思っていた言葉であるため、戸惑いが先に立ってしまっているのだ。
「あたしは、英雄じゃ……今だって、馬鹿なことして……」
「英雄は間違わない人のことじゃないっす。誰かのためにめちゃくちゃ頑張れて、その頑張った結果で誰かを幸せにする人のことっすよ。そんで、そういう意味ならアニカさんは英雄で違いないです。少なくとも俺は、アニカさんをそう思って憧れて、だから猟師になったんすよ」
レギナルトがアニカと始めて会ったのは彼が猟師になった時……と、アニカは思っている。だが事実はそうではなく、実はアニカは一度猟師になる前のレギナルトと会っているのだ。
ベルンハルトが亡くなる少し前、メーネに凶暴な熊が複数現れるという事件があった。当時の地元の猟師たちには手に負えず、優秀なハンターを、ということで彼女が派遣されてきた。もちろん、見た目は幼い少女(もしくは少年)に見えるアニカを最初から信頼していた者はいなかった。だが、結論として彼女はたったひとりでそれらを確実に撃退し、村には再び平和が戻ったのだ。
レギナルトが彼女に憧れたのはその時。鉱夫になるはずだった道を捨て、ハンターになることを選んだ。
目の前の純粋な思いに、アニカは別の意味で泣きたくなる。だが、冷静さが戻りつつある頭は今度はその姿を晒すことを拒否し始めた。痛む喉に無理やり唾を流し込み、アニカは改めてレギナルトを見上げる。
「……あ、たし、どうしたら……」
呟き尋ねると、レギナルトは表情を一変させ、いつもの彼らしい爽やかな笑みを浮かべた。
「アニカさんがやりたいことも、アニカさんがやらなくちゃいけないことも、ひとつだけっすよ。助けに行けばいいんです。いつものあなたらしく」
指先で頬を拭われる。気付かなかったが、いつの間にかレギナルトの指も硬くなり始めていた。彼が一人前になる日も近いかもしれない。くすりと笑ってから、アニカはレギナルトの手からそっと逃れるように一歩下がり、そして、両頬を自身の手で叩くように挟んだ。
響く音にレギナルトはぎょっとし、アニカは想像以上に痛んできつい顔をする。だが、目は覚めた。心も、前を向く。
「――ごめん。ありがとうレギナルト。もう大丈夫よ。ちゃんと、戦える」
アニカのせいでファニーとマルクスが危険な目に遭っているのであれば、立ち止まる間などアニカにはない。助けに行けばいいのだ。それを済ませなければ、アニカには謝罪する資格も涙する資格もない。
「うんうん、その顔こそアニカさんっすよ。――んじゃ、早速準備するっす」
アニカの視線がはっきりしたのを確認して、レギナルトは溢れんばかりの笑みを浮かべる。そして、同時にがっちりと腕を掴まれてしまった。逃れられないほどではないが、彼の言う準備が何のことか気になってアニカは逃れるより先に首を傾げる。
「……準備?」
「準備っす。敵の目的は可愛い女の子っすよね? だったら、接触するのに一番手っ取り早いのはターゲットになることです」
まさか……と表情を引きつらせるアニカに、レギナルトはにっこりと笑って見せた。
「大丈夫っすよアニカさん。俺こう見えてセンスいいっすから!」
他のどんな時よりもやる気を見せるレギナルトを前に、アニカはただただ圧倒される。だが彼の言っていることはもっともだと、思わず拒否してしまいそうになる言葉は罪悪感で無理やり心の奥に追い払った。
大丈夫、女は化けられるものだとデリアが言っていたではないか。彼女の言葉とレギナルトのセンスを、今は信じよう。
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