第三話 「始まった〝祭り〟」①


 ヴァッサーフォーゲルについてすぐ、事態の把握のためにアニカたちは現地の猟師たちとの打ち合わせを行った。事件の推移、現状で調べられていること、そして祭りの間の警護について。話が尽きることはなく、結局宿に戻れたのは深夜を回ってからであった。


「ただいまー」


 小声で帰宅を告げてあてがわれた部屋に入ると、中は暗く、ふたつあるベッドの片方ではファニーが寝息を立てている。そっと近付き手の甲で額に触れる。熱はないようだ、とほっとしてから、アニカは窓際に目を向けた。


「遅くまで悪かったわね、ありがとうマルクス」


 窓の縁に腰掛けていたマルクスは、声に出さずに手を上げてそれに応えた。部屋に入った瞬間こそ警戒したアニカであったが、その気配が慣れ親しんだ彼のものであったために、ファニーの様子を見ることを優先させたのだ。近付き隣に行くと、空のコップを渡される。受け取ると今度は水差しの口を向けられた。応じてコップを出すと、月の光を反射する水が小さな音を立ててコップを満たしていく。深夜であるのにその音が異様に大きく聞こえないのは、外でまだ明日の準備に勤しむ者たちがいるためだろう。


「どーいたしまして。そっちこそお疲れさん。明日は一日外回りか?」


「そうなるわね。でも、本当に危険なのは祭りの後――明々後日しあさってよ。って、もう明後日か」


 窓の外を眺めながら厳しい横顔をするアニカを横目に、マルクスはすでに使っていたらしい自身の分のコップに水を加えた。


「……警戒が解かれる瞬間?」


 危険な理由を短く口にすると、アニカは首肯する。


 悪人だって馬鹿ではない。ともすれば善人よりも頭が回る。最も人が集まる祭りの際は獲物が多いであろうが、それを外に出すのは非常に苦労する。ただでさえ祭りの際は常時の倍は警護が増えるし、まして今は行方不明者が十を越えているのだ。船も馬車も国内も国外も徹底的に積荷を調べられるのは、陸海問わず町に入る時に告げられている。


 そんな中でわざわざ危険を冒してまで人売りをする者はいないだろう、というのがアニカの見解だ。


「完全に解く気はないにしろ、どうしても大きな仕事の後は気が緩むものよ。そこをつけこまれたらどうなるか分からないからね」


「ってことは、お前はしばらく帰れない感じか?」


「そうなるかもね。こっちにいるのは一応五日間のつもりだけど、状況によってはそれ以上になる」


 その可能性が決して低くないことを言外に込めながら、アニカはもう一度水を呷る。すっかり解けて小さくなっている氷が浮くそれが喉を滑ると、痛みにも似た感覚が訪れた。


「ふーん、早く何とかなるといいな」


 水を呷りながらマルクスはまるで他人事のようにそう激励を送る。まあ、彼にしてみれば隣町で起こっている他人事そのものなのだが。


「そうね。ねぇ、話変わるんだけど、ファニーの枕元にあるあれ何?」


 水を持った手を伸ばし、人差し指を一本だけ立てて寝ているファニーを指差す。先ほど近付いた時に気になったのだが、サイドチェストに見慣れぬ装飾品が乗っていた。オレンジ色の編み紐で輪が作られたふたつの小さな鈴が付けられている物で、その形状とサイズ的にブレスレットであることが察せる。


 しかし、アニカにそれは見覚えがない物であった。アニカ自身がわざわざチェックしているわけではないのだが、ファニーは何か買うたびにアニカや両親に見せに来る習慣がある。特にアニカはことあるごとにその報告を受けていたのだ。見慣れぬそれへの違和感は拭えない。


「ああ、軽く辺りを歩いてた時に行商の兄ちゃんから貰ったんだよ。安物だし多分宣伝だろうけど……」


 言葉尻を切るマルクスを不思議に思って視線を向ける。すると、あからさまな不機嫌を隠そうとすらしていなかった。何、と訊けば、不機嫌なままの答えが返ってくる。


「見てた感じ、ファニーみたいに〝可愛い〟って一目で言われるタイプにしか渡してないっぽくてな。俺ああいうの好きじゃねぇ」


 マルクスらしい。答えを受けてアニカは肩を竦めつつ納得した。


 マルクスの女性の好みは、自身の見た目の件もあるため外面によらないものであり、自論も「磨けばどんな素材も光る」なのだ。それを否定するような外面主義者は彼が嫌いな人物条件のひとつとなる。その辺りも、アニカとマルクスは気が合っていた。


「――どこにも湧くわねそういう輩は。明日祭り回る時気をつけてよね」


「分かってるって。んじゃ、俺もそろそろ部屋戻って寝るわ。おやすみ。仕事頑張れよ」


「んー。ありがと、おやすみ」


 自身を使っていたコップのみを持ち、マルクスは軽く手を振ると部屋から出て行く。それを見送ってから、アニカは軽く身体を伸ばした。


「……この時間じゃ公衆浴場は終わっちゃってるわよね。水貰ってこよう」


 森の中ならまだしも、町にいる時に身体を綺麗にしないでいられるほどアニカの神経は太くない。





 翌朝のこと、ヴァインシュトックでは増援としてヴァッサーフォーゲルに向かうことになっているトルステンが何故か酒場・トラオムの下準備を手伝っていた。


「あのよぉ、デリアー? 俺今日も普通にお仕事なんだけどなぁ」


 酒が入って重量のある樽を台車から地面に下ろしたトルステンは背を逸らして腰を叩く。出立前に少し装備を確認しておこうとギルドまで来たのだが、偶然店の外に出て来たデリアに見つかって捕まってしまったのだ。


「あら冷たいこと言わないでよトルさんってば。どうせアニカがいなくて早朝練習サボってたんでしょ? ばらしちゃうわよ」


「さーて次は何したらいい?」


 たとえばそれがただの言いがかりであればよかったのだが、サボったのが事実であるため、トルステンは素直にデリアの脅しに応じる。デリアもまた、応じることが分かっているので悪びれないとびきりの笑顔を返した。


 トルステンはそれを見て顎をなぞる。


「やっぱりお前とアニカは似てねぇなぁ。あのこと、、、、があったとはいえよく仲良くなれたなお前ら」


 嫌味や、仕返しではない。純粋な疑問。デリアはそれに先と少し違った笑みを浮かべた。意図的だった直前のそれよりも、もっと自然なもの。


「そーよね。アニカは〝女〟を盾にする女嫌いだもんね。でも私はこれが私の戦い方だと思ってるし、このやり方で、アニカのこと助けてあげられると思ってるもの。私はアニカの役に立ちたいの。アニカも、私がアニカのこと大好きなの分かってくれたのよ」


 鼻歌でも歌い出しそうな機嫌の良い様子を見せるデリアに、それもそうなのかもしれないとトルステンは頷く。


 鍛えた肉体と培った技術と度胸で道を拓くアニカと、集めた知識と磨いた見目と度胸で道を拓くデリアは、やりたいことが同じであるだけに道が交わりがたいタイプであるだろう。しかもデリアはアニカの嫌いないわゆる〝むちむちぷりん〟だ。ともすれば完全に真逆を向いていた可能性も十二分にあった。だがデリアの言葉の通り、彼女は〝とある事件〟以来アニカを慕っている。友人としてはもちろん、猟師としても。ファニーの前例があるが、アニカは慕われると「嫌だ」という感情が身を潜める。


「あ、ねえトルさん。向こう行ったらさ、なるべくアニカからあの男引き離してくれない?」


 思い出したように頼まれた内容に、ふたつめの樽を持ち上げていたトルステンは不思議そうな顔をした。誰のことだ、と問うような表情にデリアは不機嫌な表情を浮かべる。


「あいつ。レギー君のお友達だっていうヴァッサーフォーゲルの奴」


「ああ、あの……。何だ? いい男アニカに取られたくないんか?」


 からかわれ、デリアは柳眉を逆立てて胸の前で腕を組んだ。


「違うわよ。あの程度ならいくらでも落とせるもの。そうじゃなくて、正直ああいう女慣れした男はアニカに合わないのよ。あんな奴認めないわ」


 男から見ても十分に美形であった男を「あの程度」と言ってのけるデリアの感覚に苦笑してから、トルステンは樽を地面に置いた。


「はは、アニカをゲットするにはデリアも攻略しないといけないんか。てーと、あいつ、、、も相当頑張んないとなぁ」


はね~。悪くはないんだけどまだちょっと足らないね」


 どうやら希望はあるようだ。クルトのことを話している時と表情も反応も違う。デリアに任せておけばアニカも女としての人並みの幸せを手にすることも出来そうだと安堵する反面、彼女が嫁に行くのが想像出来ずにトルステンは身体を震わせて笑った。ウェディングドレスに猟銃を担いでいるイメージが湧くのは世界広しといえど彼女くらいではないだろうか。トルステンの笑いに気付き一体何を笑っているのかとデリアが問おうとするが、それより早く第三者の声が場を割った。


「見ぃつけたああああ、トルステェェェン!」


 十時を回っているとはいえまだ早い時間にそぐわない、やけに慌てた大音声が騒がしい足音と共に駆けて来る。何かと顔を向けた瞬間、森で狼に襲われている時と同じような顔をしたトミーが同じような速度でやって来て樽に激突した。デリアから怒りの声が上がる。


「お前早ぇよ! お前ん家まで行っちまったじゃねぇのよ俺! やべぇんだってマジで! どうしたらいい俺? これもう休み時間に名産食って夜は酒飲んではしゃいでとか計画してる場合じゃねーよ!」


「そいつはよくねえな!」


「あんたらの計画のがよくないわよ」


 三馬鹿と言われる理由もアニカがことあるごとにサブストライクで彼らを追い回している理由もよく分かったデリアであった。


「で、何? どうしたの?」


 近くの桶から無駄に騒いでいるふたりに水をぶっかけて落ち着かせてから、デリアが改めて問いかける。


「まずいんだって! あいつ! えーと、クルト? 何かあいつの顔どっかで見たことあると思ったんだけど、あいつ絶対こいつだって!」


 慌てた調子でトミーが懐から差し出してきたのは二枚の写真であった。両方同じ写真だが、片方にはペンで何か落書きが描き足されている。何も描かれていない素のままの写真に写っているのは一人の青年だ。恐らく染髪であろう真っ赤な長髪に厳しい顔つきをしている。もう一枚はそれに黒いペンで首より下の髪が塗り潰された状態になっているもの。そしてその結果に、トルステンもデリアも言葉をなくす。雑ではあるが、表情はまるで違うが、そこに写っているのは間違いなく赤髪のクルトであった。


 一体何なのか。トルステンたちの問いにトミーが調べた結果を簡潔に、しかし危機感を持って伝える。


 そこからの彼らの行動は早かった。トルステンとトミーはギルドに駆け込み、20分もしないうちに他の猟師たちとともに出立。ひとり残ったデリアはしばらくの間怒りや憎しみなどが交じり合った複雑な表情で顔を歪めていたが、大きな呼吸を契機に仕事に戻った。ここで取り乱したりはしない。何故なら取り乱すのはアニカへの信頼を汚すからだ。


 アニカは絶対に帰ってくる。荷車から持てる物から持ち出しつつそんな言葉を心の中で繰り返し、デリアは空に向かって親友の名をぽつりと呟くのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る