第二話 「港町の王子様」⑤


 任命証の授与を終わらせ、今回チームを組むことになった同僚たちとの打ち合わせを改めて済ませ、熱が下がったばかりなのにまた出かけることに苦い顔をする両親を説得し、ようやくアニカはヴァッサーフォーゲルに向かう馬車の中にいる。


 馬車に乗り込んでいるのは全てアニカが「これは誰々」とすぐに判別がつく者だけであった。まずはアニカとファニー、約束通りのクルトとマルクス、そしてレギナルトをはじめとした同僚たちだ。ちなみに三馬鹿の残りふたりことトルステン・トミーは明日の午後にやってくることになっている。


「ねえお姉ちゃん、ヴァッサーフォーゲルのお祭りってどんなことしてるの?」


 窓から外を楽しげに眺めていたファニーが、先日の髪飾りを揺らしながら期待を押し殺せない様子で尋ねてきた。報告資料に目を通していたアニカはそれから目を上げる。


「そういえば行ったことなかったわね。漁獲祭っていうぐらいだから、魚介類関係の出店がたくさん出てるのよ。食べ物とか、ぬいぐるみとか、釣りのゲームとか。あとはお祭りの賑やかな空気に便乗して全然関係ないもの無理やり関連付けて売ってるわ。変なもの買わないように気をつけるのよ。何か買う時はあたしかマルクスが一緒にいる時ね」


 金銭感覚が行方不明気味のファニーを疑うように釘を刺すが、当の本人は反することもせずに素直に返事をした。しかし彼女は返事だけはいつでも立派なのだ。いざ自分の判断で買い物をさせたら、「何故そんなものが必要なのか」と目を疑いたくなるような買い物をしてくる。もっとも、それらも含めて全て両親はじめアニカたちが甘やかしてきたことにその原因があるのだが。


 この仕事が終わったらそろそろちゃんと教えよう。心に決めてアニカはひとり頷く。


「にしてもお前、よくファニー連れて来る気になったな。いつもだったら『こんな危ない時期に連れて行けるか!』って言ってただろうに」


 ファニーを挟んだ隣に座っているマルクスが茶化すように笑った。幼少期から交流のあるマルクスにとって、ハインツマン家が人の多い所にファニーを連れ出す、もしくはその許可をするというのはとても不思議な光景である。しかし同時にアニカの好みも熟知しているため、クルトからファニーの話を聞いた時に今回はクルトに惚れたということも彼にはすぐに分かってしまった。


 一度も口に出していないアニカだが、マルクスのにやにやとした笑いに彼に気付かれてしまっていることに気付き引きつった笑みを彼に向ける。


「た、たまにはいいでしょ? どうせ明日中には帰すんだから。それよりあたしが仕事の間はファニーのこと頼むわよ?」


「へーへー。つーことでよろしくなファニー。駄々こねて俺のこと困らせるなよ?」


 にっと歯を見せて笑うと、マルクスはその表情のままファニーに目を向ける。実はマルクスとファニーでもファニーの方が背が高いのだが、基本は紳士的なマルクスは女子供相手に低身長で騒ぐことはしない。……面と向かって馬鹿にされれば話は別だが。


「……駄々なんてこねないもん。マルクスさんのイジワル」


 完全な子ども扱いにファニーは頬を膨らませる。そんな彼女の髪をマルクスは軽い謝罪を口にしながらかき混ぜた。また文句を言うが、今度は笑って済ませる。


「ふふ、マルクスさんとファニーちゃんは仲がいいんですね」


 抗議するファニーと受け流すマルクスのやり取りを微笑ましそうに眺めながら、ファニーの向かいに座っているクルトが、また報告書に視線を落とそうとしたアニカに声をかけてきた。


「お互い子供の頃からの付き合いですからね。気心が知れてるんですよ」


 報告書を裏返して膝の上に置きアニカが受け答えた。幼い頃に身体の弱かったファニーはアニカほど頻繁にマルクスと遊ぶことはなかったが、妹を心配するアニカと共にマルクスがハインツマン家に顔を出すことは多かった。今では家族以外で唯一ファニーがわがままを言う人物でもある。


「そうなんですか。俺はそういう昔から付き合いがあるって相手いないからちょっと羨ましいですね」


 言葉通りクルトがどこか羨ましそうな顔をすると、その隣、アニカの真向かいに座っているレギナルトが突然その肩を組んだ。


「なーに言ってんすかクルト。俺とは前から友達じゃないっすか」


 爽やかな笑みを浮かべるレギナルトに周囲の年かさの同僚たちは「青春青春」と揶揄っている。同様のことを思ってしまったアニカが思考のおっさん化に若干ショックを受けることに気付かず、クルトはそれに笑顔を返した。


「そうだね。ありがとうレギー」


「かー、嫌だね顔のいいガキはそういうのにテレがなくて。……って、そういやレギナルト、お前その兄ちゃんとどこで知り合ったんだ? お前山側の生まれでその兄ちゃんヴァッサーフォーゲルの人間だろ?」


 少し離れた所に座っていたトルステンと同年代の男が問いかける。実は気になっていたアニカは内心で同僚に親指を立てた。


「あ、クルト一時期メーネにいたっすよ。その時に仲良くなったっす」


 メーネはホーガ地方との境にある山岳の村だ。数ある鉱脈には宝石の鉱脈も含まれており、その価値は西側一と謳われている。現在はリエレット地方に組み込まれているが、一昔前はホーガ地方と所属を争う地であり、結局国の介入を受けこちらの地方に入ったのだ。もっとも、ただ暮らすだけの民たちにとってどちらに所属するなど大きな問題ではなかったのだが。


 レギナルトの肌や髪の色はその地の特徴だ。もしクルトも同じような色合いだったらまた違った魅力があっただろう。そんな妄想をポーカーフェイスの下に隠しながらアニカはちらりと視線をクルトに向けた。そしてその瞬間、それまでとは違う意味でどきりとする。


 視界に入ったのは間違いなくクルトの端整な顔であった。だが、彼が浮かべている表情は昨日から先ほどにかけてまで、一度も彼が浮かべていない類のそれ。喜びではない。怒りではない。哀しみではない。楽しさではない。〝これ〟と明確に分類の出来ない、とても複雑な表情だ。


 視線を逸らせずにいると、前触れもなく不意にいつもの表情に戻ったクルトと目が合う。にこりと微笑む彼に、アニカも少し引きつりながら微笑み返した。


 ざわりとアニカの中の何かが逆撫でされる。楽しげな笑い声が響く馬車の中、ただひとり、アニカだけが胸に訪れた不安と戦っていた。



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