第二話 「港町の王子様」②
六月も後半になってくると、大陸南西に位置するリエレット地方は北側にある他地域よりも昼間の温度が上がってくる。本格的な夏場になると辛いこともあるが、大陸の東側よりも湿度が低いので比較的過ごしやすい。本日は天気もよく、適度に雲が出ているために出歩くには丁度いい日だった。
特に、鼻歌交じりに歩くファニーにとっては違う意味でも幸せな日よりだ。日差しが強い日は必ず母に縁の広い帽子を被らされるのだが、本日は雲が出ている分日差しが弱いので免除された。その代わり、彼女が今髪につけているのは今朝アニカがマルクスから受け取ってきた花の髪飾りだ。全体の基本は普通のアクセサリーで使われるような安めの銀で作られていた。女性の拳大の花弁部分の数枚は色がつけられ、残りには細やかな細工がされている。丁寧にクリーニングされた後だとあの露天商の言い値でも買えただろうな、と、アニカは階段を先に下りるファニーの頭を見ながらそう思う。
「お姉ちゃん、広場の方行こう」
階段を降り切ったファニーがはしゃいだ様子で振り返った。まだ段差の上にいるアニカとの身長差は、普通の22歳と14歳のそれになっている。ファニーの無邪気な笑顔を見下ろし自然と足が止まってしまったアニカは、その不自然さをごまかすように顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「そうねぇ。まだ九時だし、この時間ならそんなに人もいないでしょ。いいよ、行きましょう」
食事後ファニーが着て行く服を選んでいたのがよかったらしい。もう少し早いと朝の体操をやっている老人たちが、もう少し遅いと仕事をしている者たちが昼食を取ったり休憩に来たりする。散歩で広場に行くならこの時間こそ丁度いいだろう。ふりだったはずが本当に考え出したアニカは、また自然に足を動かした。隣に来た時の本来の身長差に一瞬ショックを受けるが、事実だと無理やり胸の奥に飲み込む。
並び立って歩くと、町行く人々からの視線が自然と集まった。流石に生まれた時から住んでいる町であるので姉妹の順序を間違う者はいない。しかし生まれた時から住んでいるにもかかわらずこうも人目を引くのは、ひとつは姉妹両方に通じる見目。ひとつは他の町同様ファニーの愛らしさ。そして何よりも、アニカが背負う〝英雄ベルンハルトの後継者〟という看板。
しかしハインツマン姉妹はどちらもその視線を気にしていない。ファニーに関してはそもそも気付いておらず、アニカに関してはもはや慣れきってしまっているため、ただの興味心程度は気にしようとしていないのだ。
姉妹でとりとめのない会話をしながら自宅から程近い中央広場まで辿り着くと、予想通り、人の数はまばらであった。ヴァインシュトックは人口が増えるたびに外周が広がっており、人々の働き口もまたそちらに集中している。そのため、どうしても平日に人が集まるのは外周側になるのだ。逆に中央付近は仕事のない者や古参の店に働く者などが集まりやすい。
綺麗に整備された広場の中央には大きな時計があり、この時計がヴァインシュトックの時間を管理している。その周囲には花壇が作られており、季節ごとに顔を見せる花が代わり季節を教えてくれる。
それを中心に、広場の石畳は薄い茶色から濃い茶色へとグラデーションがかかるように配置されており、その中に白いブロックが波を描くように加えられていた。まだ就学前の子供などが時折この白いブロックだけを踏んで歩いて遊んでいるのはよく見られる光景だ。
「ねえねえお姉ちゃん、この間広場に噴水造るって話出てなかったっけ? あれってどうなったの?」
視線を巡らせてファニーが思い出したように問いかけてくる。周囲に目を向けていたアニカは視線を彼女に戻した。
「ああ、あれね。結局第二広場に造ることにしたらしいよ」
「えー、何でー?」
「こっちだと大幅な改修になっちゃうし、昔ながらの景観を壊して欲しくないって意見がやっぱり多かったみたい」
人が増え、観光客もそれなりに訪れるようになったために出た話であったのだが、やはり昔ながらのものを守りたがるのは人の性だ。元からいた住民をはじめとした大多数が反対を唱え、結局20年ほど前に出来た第二広場の方に造られることになった。新旧の住民どちらもそれで納得したようであったので現在は開発準備中である。
ちなみにアニカもこの景観を守りたいと思っていたひとりなので結論には十分に満足している。ファニーはどうやら、すぐに行ける場所に噴水が出来るならと期待していたようだが。
「ほら膨れないの。完成したら連れて行ってあげるから」
「むぅー」
頬を膨らませて不満を隠さないファニーに、アニカは苦笑して肩を竦める。
「……いつまでもそうしてるともう帰るわよ?」
「も、もう平気! 全然平気!」
鶴の一声とでも言おうか、ぼそりとアニカが告げた一言にファニーはぎくりとして笑顔を作った。素直な妹にアニカは改めて笑い返す。
すると、脇から彼女を呼ぶ声がした。
「アニカさーん、朝ぶりっすー」
大声で名を呼ばれアニカはぎくりとする。視線が集まるのは慣れているが、自ら目立ちたいという欲求をアニカは持ち合わせていない。声の主を予想しながらぎろりと聞こえてきた方向を睨みつけると、そこには予想通りレギナルトの姿があった。すぐに止めることが出来なかったのは、大きな声を出して大きく手を振って満面な笑みを浮かべている彼が十メートル以上離れた場所に立っていたためだ。
「あんの馬鹿は……っ!」
ぎりぃっと歯を噛み締め鬼の形相を浮かべると、さすがのレギナルトも気付いたらしい。びくりと身体を跳ねさせると先ほどまでの大型犬のイメージが一点、震え上がった子犬のようになってしまった。
「あはは、レギナルトさん今日も面白いね」
「全っ然面白くないわよ。ったく、友達と遊ぶって言ってて何してんだか……」
頭を抱えてため息をつく姉に一度視線を向けてからもう一度レギナルトに戻して、ファニーは唇に指を当てる。子供の時からの考え込む時のクセなのだが、見た目の子供っぽさが随分抜けた今では〝可愛らしさ〟の種類が変わっていた。レギナルトに呆れるのでいっぱいなアニカは気付いていないが、数少ない周囲の男性陣は視線をちらちらとファニーに投げている。
「お姉ちゃん、お友達ってあのお兄さんじゃない?」
あの人、とファニーが指差す方向を見やれば、そこにはレギナルトの様子をいぶかしんでいる見慣れぬ男性がいた。金色の髪は少し長めだが爽やかさを保ち、アニカたちより色の濃い碧眼は穏やかさを映し、白い肌の整った顔には柔らかな笑顔がよく似合っている。まるで童話に出てくる王子のようだとアニカは思わず見とれた。こういう時ほど目がよくてよかったと思うことはない。じろじろ見ていても相手に気付かれないから。
こうして遠巻きに見ているだけでも十分幸せだったというのに、何を思ってか復活したらしいレギナルトは意気揚々とこちらに近付いてきた。アニカは咄嗟に身だしなみを整えてしまう自分が少し悲しくなる。
「おはようございます」
光を放ちそうな爽やかな笑みと共に、間近に来た男性が挨拶をしてきた。
「お、おはようございます」
「おはよーございますー」
アニカは少し戸惑いながら、ファニーはいつも通り気負わずにそれを返す。男性はまたにこりと優しい笑みを浮かべると隣に立つレギナルトに視線を向ける。
「レギー、紹介してくれないかい?」
男性は手をアニカとファニーに向け、人見知りというよりレギナルトの顔を立てるのと、ガンガン話しかけて女性を怖がらせないように、という気遣いを感じさせる様子でそう頼む。レギナルトはそれに笑顔で応じた。
「そっちの小柄な方が俺が前から話してたアニカさんっす。で、こっちが妹のファニーちゃん」
そして女性を紹介しているとは思えないとても簡素な紹介をする。友人に対する嫌がらせではなく、純粋にこれで十分と思った結果だ。子供かと内心でツッコミつつも、アニカはどうにかそれを胸の内だけに留める。そしてそれよりも、これまでどんな説明をしているのかの方が気になって気が気ではなかった。
「アニカさん、ファニーちゃん。こっちはクルト・ベレっす。俺の友達で、ヴァッサーフォーゲルで飲食店のウェイターやってるっす」
脳内で男性の名、クルト・ベレを何度も響かせ笑顔のポーカーフェイスの下に緩んだ顔を隠していたアニカは、続いて出てきたヴァッサーフォーゲルの名にぴくりと反応する。ウェイターということは多く人と関わっているだろう。何か話が聞けないものか。
と、そこまで考えてからそれが〝仕事〟であることに思い至り、アニカはそれを思考の隅に蹴り飛ばす。何かよい話が聞けるかもしれないという魅力はあるが、謹慎とかけるほどのものではない。レギナルトの友人である以上、彼を通せばいつでも話は聞ける、と判断したのもまたすぐに諦められた理由のひとつだ。もしも彼が偶然通りかかっただけの赤の他人なら、上手い方法を使って聞き出しにかかるが。
「へー、ウェイターさんなんですか。じゃあいっぱい人と会えるんですね」
アニカがそう決意した横では、何も負い目のないファニーが世間話を始めた。決意した直後なだけに内心では盛大に転んだアニカだが、これは幸運と笑顔を努めて答えを待つ。
「はは、そうだねー。港町だからよその国の人も来るし、海の方の漁師とか、森の猟師もたまに来るね。でも一番多いのは普通の人たちかな。お店が一般向けのちょっとお洒落な所だから」
世間話に乗り、クルトもまた軽く受け答えをする。それを聞きながら、アニカはやはり彼にはまた改めて話を聞く必要がありそうだと判断した。人数がどれほどかは分からないが、それだけ多方面の人間が集まるのならそれなりの情報はあるだろう。彼が知っているか知らないかは分からないが、多少なり耳に残るものがあれば聞いておいて損はない。
真面目に仕事のことを考える反面、そんな「ちょっとお洒落」な場所でウェイターとして働いているクルトの姿をイメージするとついつい思考が散漫してしまうアニカであった。
「アニカさん、大丈夫ですか? 先ほどから少しご様子がおかしいようですが……」
笑顔のポーカーフェイスを貫いていたつもりだったのだが、やりきれていなかったようだ。指摘――というより心配され、アニカは咄嗟に愛想笑いを返す。
「あ、あら。ごめんなさい、何でもないですから気にしないでください」
「あはは、アニカさんイケメン好きっすからどうせクルトに見惚れてさーせん何でもないっす」
空気を読まずに半分当たっている事実を口にするレギナルトだが、アニカからそのものがナイフのような視線を投げられて一息で謝罪までを済ませた。だが、時すでに遅し。しっかり聞こえていたクルトは柔らかい笑顔を浮かべる。
「あはは、イケメンですか? ありがとうございます。アニカさんもとっても可愛いですよ」
褒められ慣れている、褒め慣れている。そんな事実が一瞬にして掴めるほどさらりと受け止め、さらに褒め返してくるクルト。しかしアニカは少し照れた様子を見せた。分かっていてもこう直球で来られると嬉しくないとは言えない。何故なら可愛いよりもかっこいいの方がアニカにとっては日常茶飯事であったから。
「アニカさん、クルト、そろそろいいっすか? 約束の時間遅れちゃうんすけど」
時計をちらりと見ながらレギナルトが口を挟んだ。少し驚いた様子を見せたクルトは、同じく時計を見上げて「本当だ」とこぼす。
「すみませんが、人と会う約束をしているのでこれで。また会えたらその時はぜひゆっくりお話しましょう」
「これからマルクスさんの所行くっすよ。クルトにマルクスさんの素晴らしさ叩きこむっす! それじゃあアニカさん、ファニーちゃん、また」
それぞれ別れの挨拶をすると、ふたりは連れ立ってその場を後にした。身長の高いレギナルトに比べると小さいが、それでも男性らしい体つきのクルトの背中をアニカは何か眩しいものを見るように見つめる。
「おねえちゃーん?」
「わっ、な、何でもないわ。ほら、お散歩するんでしょ? 行きましょ」
手を振っていたはずのファニーにいきなり顔を覗き込まれてアニカは一瞬驚くが、すぐに誤魔化すように笑ってその背を軽く押した。そこまで深く気にしていたわけではないファニーも、お散歩、という単語にすぐに明るい笑顔を示して歩き出す。
妹の純粋さにこういう時ほど助けられる。胸を撫で下ろしながら、アニカははしゃぐ背中の後を追う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます