第一話 「〝英雄〟を継ぐ者」④


 雑貨屋クライスは、ヴァインシュトックがまだ小さな村だった頃からその中央付近に建ち続ける伝統ある店である。村の発展と共に徐々に規模が拡大し、ハンターギルドの本部を抱える大きな町となった今ではこの町で生きるには非常に重要な施設となっていた。日用雑貨から食物、調味料、家具・調理具工具・農具、果ては銃弾まで取り揃えられている。


 アニカの自宅は路地を挟んだ向かいにあるため、クライスを経営しているグラディッシュ家とは昔から家族ぐるみの付き合いなのだ。特に次男のマルクス・グラディッシュは年が同じなのもあり、さらに付き合いが深い。……他人には理解出来ない痛みを共有できる、というのもその理由のひとつだ。


「あら、おはようアニカちゃん、レギー君。朝から特訓ご苦労様」


 店の前まで来ると、店の入り口付近を掃除していた老婦人がアニカたちに気付いて笑いかけてくる。茶色を基調とした店の制服に身を包み、白いエプロンがよく似合う彼女は、御年70を越える先代店主の妻であるドロテア・グラディッシュだ。大変穏やかな人物であり、祖母というものを知らずに育ったアニカにとっては彼女が祖母のようなものであった。


「うん、おはようドロテアおばあちゃん。マルクス起きてる?」


「お、おはようございま、す、っす。ドロテアさん」


 重量のある薪を背負ってここまで走ってきたのにまるで余裕なアニカと、すっかり息も切れ切れなレギナルトを見比べドロテアは苦笑する。亡き友人の愛孫は順調に彼と同じ道を歩んでいるようだ、と。


「ええ。というか、多分また徹夜だと思うわ。ずっと部屋の明かりがついていたから」


 ちらりと彼女が視線を上げて見つめたのは店の二階部分だった。クライスは一階が店で、二階はグラディッシュ家の居住スペースとなっている。彼女の視線の先はマルクスの部屋だ。


 追いかけるようにアニカもそちらに目をやる。雨戸もカーテンも開けっ放しだ。そういえば夕べもあの状態だったことを思い出し、アニカは肩を竦めた。普段は几帳面なくせに、一度集中すると食事も睡眠も忘れるのはマルクスの悪いくせだ。


「おおお……! 徹夜するほどの作品が出来てるってことっすね。ドロテアさん、お邪魔しますっす!」


 目を輝かせて復活したかと思うと、レギナルトは薪を邪魔にならない壁際に置いて店の中に走り込んだ。


「あっ、こらレギナルト! ったく……ごめんドロテアおばあちゃん。後でシメとく」


「あらあら、いいのよ別に。あれだけ純粋に喜んでくれるなら嬉しいもの。うちのモットーは円満な商売とお客様の笑顔だからね」


 優しく笑みながらドロテアはエプロンの胸部分を示す。そこに刻まれているのはクライスのシンボルマークだ。白の大円の中に赤、青、緑の小円がピラミッド型に並んでいるそれは、店の名前はもちろん今ドロテアが唱えたモットーを表したものだという。


「あ、ところでアニカちゃん。知ってるかしら? ヴァッサーフォーゲルの方で起こっている誘拐事件」


 寛大な笑みから一変、不安そうな表情を浮かべるドロテアの問いかけを受け、アニカは真面目な顔で頷いた。ヴァッサーフォーゲルはハーゼとは逆にある隣町で、海に面した港町だ。ヴァインシュトックからは馬車で40分ほどの距離にある。


「うん、うちのギルドにも話は来てるからね。若い女の子を中心にもう13人行方不明者が出てるってやつでしょ?」


「ええ……隣町だし、やっぱり心配なのよね。……あっ、アニカちゃんたちのことを信頼していないわけじゃないのよ?」


 頬に手を当てため息をついてから、ドロテアははっとして慌てて弁解を図ってくる。他の相手なら「何を言い訳を」と思うかもしれないが、幼い頃から彼女を知るアニカはその言葉が真実であるとそのまま信じられる。


「大丈夫だよドロテアおばあちゃん。分かってるから。その件は向こうのハンターギルドでも対応してるけど、これ以上拡大するようならこっちからも派遣されることになってるの。……あたしもお邪魔するね」


 ひらりと笑みを返すとドロテアは安堵したように柔らかく笑い、手を動かし許可の動作と変えた。そうして、アニカもまた薪を置いて店の中に入って行く。勝手知ったる人の家。途中すれ違う雇いの店員や現店主たちに挨拶を交わしながらアニカは大きなグラディッシュ家の中を迷わずに進んだ。


 そうして目的の場所まで到達すると、開けっ放しのドアの向こうから騒がしい声が聞こえてくる。


「うおおお、何すかこの精密さああ! すげぇぇ、カッコいいっすマルクスさんー」


「だろだろ? 特にさー、ここ。この柔らかな曲線を出すのに苦労したんだぜー」


「分かるっす。この繊細でダイナミックな翼のラインはマルクスさんにしか表現出来ないっすよ」


「えー、いやいやそこまで言うなよぉ。照れるじゃんか~」


 はしゃぐ男たちを見て、アニカは「何だこいつら」と呆れた表情を浮かべる。幼馴染のマルクスは実家の雑貨屋で働いているが、同時に細工師でもある。特に銀細工でアクセサリーを作るのが好きらしく、アクセサリーが好きなレギナルトとは仲が良い。初めて会った時からあまりの息の合いっぷりにアニカですら驚いた。


「お、アニカじゃん。はよ」


 扉の前で呆れているアニカに気付いたのはレギナルトと随分身長差のある少年、、だった。アニカよりは大きいが160はないだろう低身長で、あどけない顔立ちは彼の年齢を十代半ばから後半の年の頃と予想させる。この地方には珍しい黒色の髪は前髪が上げられ横髪はピンで留められている。丸く大きな双眸は青く、その下のクマがなければ活発な少年を思わせた。


 だが、彼は決して〝少年〟ではない。アニカと同い年の22歳の〝青年〟だ。


 この人物こそマルクス・グラディッシュ。アニカ同様年相応の成長が叶わなかったために色々と苦労を重ねてきており、現在アニカとはお互いにその苦労を分かち合う関係でもある。


「おはよう。ってもあんたずっと起きてたんでしょ。睡眠ぐらいちゃんととりなさいよ」


「だって気分が乗ってたんだもんよ。集中切ったらもったいないだろ? ああ、これ。頼まれてた奴」


 舌を出して言い訳をすると、マルクスは思い出したように机の上の箱を手に取った。手渡されたアニカはすぐにそれを開き、中にしまわれていた髪飾りを取り出しじっと検分する。アニカのこの鑑定眼はマルクスから学んだものだ。普段は修行だったが、空いている時間はマルクスと遊んでいることが多かったのでその時に自然と学び取ってしまったのだ。


「――うん、いいじゃない。さすがね。ありがとうマルクス。ファニーにいいお土産が出来たわ」


 髪飾りを戻して満足そうに頷くアニカに、マルクスは当然と胸を張る。そしてふと何かを思い出したような表情をした。


「あれ、ファニー今寝込んでるんだっけ?」


「うん、この間ハーゼから帰って来た時からね。はしゃぎすぎたんだと思うわ。熱が出ただけだからすぐ治るでしょ。じゃあ、あたし帰るわ。レギナルト、あんたどうせまだいるんでしょ? 朝ごはんまで居座るんじゃないわよ。あと帰りもちゃんと薪背負って走ること」


「は、はーい」


 新作の鷹をモチーフにした指輪に見とれていたレギナルトは、もしかしたら免除してくれるかもという淡い期待を打ち砕かれて苦笑する。そして言葉通りアニカが部屋を去り、薪を背負って駆け出したのを窓から見送ってから、レギナルトはちらりとマルクスに視線をやった。


「……何か、前から思ってたんすけどアニカさんってファニーちゃんに甘いっすよね」


 あれだけ「滅びろむちむちぷりん!」と騒いでいる割に、レギナルトの目にはアニカはファニーを甘やかしているように見えている。年が離れているから可愛いのだろうというのもあるが、時折「過保護」と言いたくなる時も彼女にはあるのだ。面倒見はよいがスパルタなアニカを最初に知ったレギナルトには、それがとても違和感だった。


 そんなレギナルトに、マルクスは床に落ちている削りかすを箒で掃きながら「ああ」と応じる。


「あいつん家は仕方ねぇよ。親からしてそうだし。今回だってファニーの熱なんてただの微熱らしいのにずっと寝かしてるしな」


 侮蔑というより真実言葉通り〝仕方ない〟と思っている様子のマルクスの返答に、レギナルトは「そうなんすか」と窓の外に視線を投げながら呟いた。やはり過保護のようだ。しかし親がそういうタイプでありながらアニカがああもしっかりしたのは、恐らく亡き英雄の教育の賜物だろうとレギナルトは予測する。昨年猟師になったばかりの彼は実際に皆が話すベルンハルト・ハインツマンのことはよく分からなかったが、過保護を覆すほどには厳しい人物であったことはよく分かった。


「で、お前今日は新しいのどうする? 買うんだったらこれとかお勧めだけど」


「おおおっ、カッコいいっす! 是非買わせていただきます。今日ちょうど友達と遊ぶんでその時つけるっす」


 怯えた子犬のようになっていたレギナルトの表情は一変して明るくなる。マルクスは自信作を喜んでもらえて得意げに歯を見せて笑った。


「毎度あり。料金はお得意様価格にしとくからよ」


 無料ただなんて言わない。年若い少年に見えようと、彼も立派な商売人。





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