第一話 「〝英雄〟を継ぐ者」③


 ヴァインシュトックのニワトリが鳴く時間はとても正確だ。春夏秋冬関わらず必ず朝五時に最初の一羽が鳴き出し、続けて他のニワトリが合唱を始める。ニワトリの代が代わってもその天然の目覚ましは変わらず、農家や商家など、多くの町民の目覚めの合図となっていた。


 そして彼らの鳴き声でいつも通りに町が目覚め始める頃、町のはずれ、森との境ではほとんど毎日物騒な銃撃の音が間断なく響き渡る。




 足元を打ち抜かれ土が飛散する。咄嗟に足を止めてしまったレギナルトに、黒い刃のナイフを片手にしたアニカが迫った。


「足を止めるんじゃない」


 冷静な指摘と共にナイフが閃く。刃が一部だけ長くし三つ編みを作っているレギナルトの髪を一閃した。だが、髪が切り落とされることはなく、代わりに金色が黒く汚れる。しかしレギナルトの驚愕はそこにはなく、髪を薙いだ次の瞬間に切っ先が喉に迫ったことにこそ身を震わせた。


「はい28回め。これが実戦ならもう28回狼の餌食だよレギナルト」


 そう言ってアニカはナイフを動かしレギナルトの喉を切っ先でなぞる。そうすると今度はその軌跡を辿るように褐色の肌に黒く線が入った。アニカが使用しているのは修練用のナイフで、その昔とある細工師が洒落で作った刃型のチョークを基に作られた物だ。今ではペイント弾と並んで猟師の新人教育に使われている。


 痛みこそないが人の肌や服に馴染みやすく出来ているため、ちょっとでもかすれば色がつく。肌の色が濃いレギナルトですらアニカと修練すると真っ黒になって帰宅するのがもっぱらであった。


「うあああ、また負けたっすううう……」


 ナイフの端を持ち腕をいっぱいに伸ばしてようやく喉に手が届く、というほどに身長差があるにも関わらず、こうして訓練すると確実に膝を突くのはレギナルトだ。サブストライクを握ったまま両手両膝を地面につけて落ち込む新入りに、アニカは肩を竦める。


「まだトリガーを引くまでにもたつきがあるわね。動作に隙が出来やすい人間相手なら間に合うかもしれないけど、野生の狼相手じゃその一秒が命取りよ。それといちいち焦りすぎ。予想外の事態があっても最悪足だけは止めるんじゃない」


 気になったところをひとつひとつ指摘し教えていくアニカの言葉を、レギナルトは一言一句聞き逃さないようにと真剣に耳を傾けた。そのやる気にアニカは内心で安堵する。


 彼がよく共に行動するトルステンとトミーは能力的に見ればそれほど悪い位置にはいない。むしろ何度狼に襲われてもへこたれない精神、逃げ切る脚力と体力、長年の経験による知識と勘、そして何よりその運のよさは、〝あと一歩〟さえあればいくらでも彼らの上昇気流と変われるだけの可能性を秘めている。


 だが残念なことにトルステンは落ち着きがなく、トミーには真面目さがない。その辺りさえしっかりすれば、とっくにランクなど上がっているであろうに。


 そしてこの新入り、レギナルト・スタームはまだ能力値は高くなく、そして何より致命的なまでに経験値が足らなかった。それさえ補えれば、体力もやる気もあるのだから、あとは落ち着きさえ手に入れれば問題ないとアニカは予測している。


 明瞭簡潔で遠慮のない指摘が全て終わる頃、広場の鐘がなった。これは六時になった合図の鐘だ。ヴァインシュトックにおける公式の「始まりの時間」を迎えたことに気付き、アニカは手にしたままだったナイフとサブストライクを収める。


「それじゃあ今日はここまで。あたしマルクスの所行くから先に――」


「えっ、マルクスさん所行くんすか? じゃあ俺も行くっす! 新作の銀細工出てるかもしれないし」


 帰るよ、と言うはずだった言葉は満面の笑みで立ち上がった青年の言葉に遮られた。怒るまではいかないが驚いているアニカをよそに、レギナルトは「ほらほらこれもカッコいいっすよね」と自身の耳につけられているピアスを自慢げに示してくる。


 彼はこういう細工物のアクセサリーが好きらしく、日ごとに全く違う物を身に着けていた。今日のは大振りのため少しごつく見えるが、目鼻立ちのはっきりとした男らしい顔立ちの彼にはぴったりのように思える。


「はいはい。じゃあ薪担いで。クライスまで耐久走ね」


「うっ、やっぱり今日も走るんすか……アニカさんあんだけ酒飲んだのに元気っすね。トルさんとトミーさんは酔い潰れてダウンしてるのに」


 昨晩、浴びるように酒を飲むアニカにつられ、トラオムの客たちは自身のペースを忘れた飲みっぷりを披露していた。幸か不幸かレギナルトは未成年のためその流れには乗らず、いつも行っている朝の修練は本日アニカと一対一となったのだ。ちなみにレギナルトはアニカも二日酔いにならずとも寝坊ぐらいしてくれるのを期待していたのだが、いつも通りのしゃっきりした態度でいつも通りにやってきた。


「お酒強いのよあたし。ほらとっとと担ぐ」


「うっす」


 何てことのないように返すと、アニカは自身も薪を担いで走り出す準備を始める。レギナルトは元気に返事をして行きに自身が担いで来た方を持ち上げて背に担いだ。これは修練用にまとめてある物で、町から背負ってきて、町まで背負って帰る。体力をつけるための基本的な拷問しゅうれん道具だ。


「話しかけられた以外で一秒でも立ち止まったら往復追加ね。行くよ」


 厳しいペナルティにレギナルトが気合を入れて返事をしたのを合図に、アニカとレギナルトは同時に走り出す。幼い頃から続けていただけあり、アニカはいまや自身の体重の二倍以上はある薪を担いでも余裕で走れるようになっていた。一方のレギナルトは、逃げ足だけは天下一品なトルステンたちと常に行動を共にしているために、足と体力だけはアニカにある程度までは十分追いつけ、並べるレベルである。


「そういえばアニカさん何しにいくんすか? あっ、ついにアクセデビューっすか? それなら俺に選ばせてくださいよ。俺絶対似合う奴見つけられるっすよ!」


 折角の見目を無駄にするようなアニカの飾りっ気のなさを常々残念だと思っているレギナルトは、自身の得意分野で飾り立てるチャンスを嗅ぎ付け目を輝かせる。集中しろ、と怒ろうかと思ったアニカだが、スピードは緩んでいないし走る姿勢も悪くないので素直に会話をすることにした。


「違うわよ。この間ハーゼに行った時に行商から買った髪飾りのクリーニングをマルクスに頼んでたから、それの受け取り」


 三日ほど前の話だ。移動用の馬車の護衛として訪れたハーゼで、アニカは流れの商人に盛大に地雷を踏まれた。その際明らかになった素性を知ると相手は平伏するほどにおののき、その前から「あげる」と明言していた髪飾りどころかその他の商品まで明け渡そうとしてきた。


 さすがにそんなつもりではなかったので髪飾りを自身が提示した言い値で買い取り、汚れが気になったので細工の得意な幼馴染に渡して今に至る。


「ああ、また命知らずがいたんでしたっけ」


 その事態を思い浮かべてか、レギナルトは若干頬を引きつらせたおかしな顔をして笑う。それを横目に、アニカは何故彼がそれを知っているのかと疑問を抱く。そしてその疑問をそのまま口に出すと、答えはあっさりとよこされた。


「トミーさんから聞いたっす。あの人顔広いからあっちこっちから情報ゲットしてるっすよ」


 今は自宅で二日酔いと戦っているだろう男トミー・ケストナーは、猟師としてはいまいちだが人脈が幅広い。


「……もしかしてハーゼの居住商人たちの一部があたしのこと知ってるのって……」


「トミーさんが〝怒らせたら血の雨が降る〟って言いふらしてたっすよ」


 爽やかな笑顔で悪気なく慕う先輩を地獄に叩き落すレギナルト。笑顔で応じるアニカの内心は「野郎覚えてやがれ」でいっぱいだった。




 ~その頃のケストナー家~


「ああどうしよう、俺何か今凄く寒気がした。命が終わるぐらいのレベルの奴」


「おねーちゃーん、お父さんがまた変なこと言ってるー」


「放っておきなさいよそんな馬鹿親父」


「いくら休みの前だからって飲みすぎなんだよなー」


「あーあ。お母さんかアニカお姉ちゃん叱りに来てくれないかなー」


 培った野生の勘が見事に働いていたが、冷静な子供たちには誰にも相手にされなかった。ケストナー家はトミーと妻、四人の子供の六人家族だが、その人数の割りに大黒柱トミーの稼ぎが乏しいため、妻が他の町に出稼ぎに出かけている。現在は子供たちがトミーの面倒を……もとい、トミーが子供たちの面倒を見ている。


 末の息子の呟きにトミーは「そんなの怖くない」とうそぶいた。今から数時間後、実際に現れたアニカを前に美しい土下座を披露することになるのだが、それはまた後のお話だ。


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