第7話 電話

 ダイヤルすると、コール三回で相手が出た。

 『――はい』

 「俺だよ」

 耳に聞こえてきた悠美の声に、俺は安堵の息を吐きそうになった。 

 あの、ビンセントという男から彼女には手を出していないと聞かされてはいたが、実際にこうして事務所に居る彼女の声を聞くまでは安心出来なかったのだ 『どうしたの? 喬一』

「仕事が終わった。いまからそっちに帰る」

『えっ。どういうこと?』

 道端にある電話ボックス。その狭苦しい空間から外に目を向ける。

 闇の中道路の左端に止まっている車――フェアレディZに目を向けながら、

何とか抑えた声を受話器に吹き込んだ。

「……後は、そっちに帰ってから話す」

『そう』

 分かったわ。待ってるから。という悠美に返事を返した俺は、受話器をフックに戻した。

 返却口に落ちた数枚の硬貨をポケットに入れ、電話ボックスを出ると車に

乗り込んだ。

 エンジンをかけると、車を出した。

 ホテルに居た時よりも、冷えてきた空気が小さく開いている窓から風切音となって、運転席に入って来た。

 「……」

 何故か、このままでは間が持ちそうに無い様な気がしたので、カーコンポに 指を伸ばした。

 ラジオのスイッチをを押すと、現在の時刻の表示が切り換り、微かなノイズと共にニュースの原稿を読むアナウンサーの声が続いた。

 東南アジアでの飛行機の墜落事故。

 事故機の所属は、日本の企業が海外の現地法人として経営している航空会社で、ジャングルに墜落した時に積み荷の日本製電子部品がスクラップになってしまったということだった。

 その輸送機に乗っていた、パイロット他、乗員は重軽傷。どうして落ちたのかは今のところ不明。

「――災難だな」

 呟いた俺は、ニュースが終わり、何処かのタレントが喋り始めたラジオを切った。

 アクセルペダルを踏む。

 スピードメーター横の回転計の針が跳ね上がり、風の音が一段と大きくなった。


      ○


 「……つまり」

  俺の話を黙って聞いていた彼女、悠美が口を開いた。

 「あの水無瀬って人から、護衛の依頼はキャンセルだと言われたのね?」

 「ああ、そうだ」

 ガタのきたソファで手足を投げ出した俺は、憮然として答えた。

 雑居ビルの自宅兼事務所。

 足取りも重く3階のそこにたどり着いた俺は、事務所に居た悠美に、今夜起きた事を話した。

 依頼人の水無瀬梨絵の部屋が荒らされていた事。

 逃げた先のホテルで追っ手に襲われて、依頼をキャンセルされた事。

 「じゃあ、この件はこれでお終いってこと?」

 「ああ、そういう事になるな」

 「そう」

 セミロングの髪を揺らして頷いた悠美だったが、スーツの腕を組んで、

 「あんたは……喬一はそれでいいの?」

 「まあ、こっちも損はしてないからな」

 「貰うもんは貰ったから?」

 「ああ」

 頷いて見せた俺を、黙りこんだ悠美がじっと見つめてきた。

 「……」

 会話が途切れ、沈黙が事務所を支配したが、それも長くは続かなかった。

 溜息を吐いた悠美が、

 「……あのね、喬一」

 机に置いてある、パソコンのキーボードの同じ所を一本指で弾きながら、

 「まだ終わりって顔をしていないわよ。あんたは」

 「そうか?」

 俺から視線を外さずに、悠美が続ける。

 「まあ……昔の彼女が相手だから……分からないでもないけど」

 「水無瀬のことは関係ない」

 「そう?」

 「ああ」

 どうだか、と言いたげな彼女の瞳から俺は目を逸らした。

 依頼はキャンセルされて、報酬の代わりに十分な金も受け取った。

 今回の仕事を終わらせる条件は揃っている。

 だが――

 そう簡単に割り切れる物でもなかった。

 終わりって顔じゃない。

 確かに悠美の、彼女の言う通りかもしれない。

 「……」

 そんな俺の胸の内を、敏感に察知したらしい悠美が、

 「……まったく。男って、どうしてそうバカが詰まってるのかしらね」

 「――おい」

 「食べ物を恵んで貰うよりも、自分からゴミ箱に首を突っ込んだ方が満足

するんでしょ? それを世間一般じゃバカっていうのよ」

 「えらい言われようだな」

 呆れ混じりの突き放した様な口調で、それでも的確な喩えをしてきた悠美に、俺は苦笑を返した。

 俺と悠美とでは同じことを見聞きしても感じ方が違うのだろう。

 とはいっても、彼女が冷たい女という訳でも無い。 

 男には割り切れないと感じられても、女はそうは思わない。

 そういうことなのかもしれなかった。

 「お願いだから、溜め込んでずっと引きずったりしないでよ。喬一」

 「別に引きずったりは――」

 「初めての時の相手は覚えてる?」

 「……それは」

 「ほら、忘れてない」

 「……」

 どう?と悪戯っぽく言う悠美に何とか反撃をしようとした俺だったが、

 「なあ、今から飯でも食いに行かないか?」

 口を吐いて出たのは、反撃とは全く正反対の「お誘いの」台詞だった。

 「……なによ、やぶから棒に」

 「深い意味は無い。 ただそうしようかと思っただけだ」

 どうだと云った俺に、怪訝顔の悠美がそうねと肩をすくめた。

 そして、それでも何処か嬉しそうに、

 「いいわ。誘われてあげる」

 と、応えた時だった。

 けたたましいベルの音を発てて、事務所の電話が鳴った。

 「あっ」

 「いいさ、俺が出る」

 受話器を取ろうとした悠美を、俺は手を出して止めた。

 これは、俺にかかって来たんだという、確信の様なものがあったのだ。

 いささか型遅れになった黒い電話機に手を伸ばし、受話器を耳に当てた。

 「はい」

 「――吉村か?」

 「そうだ」

 男の声だった。

 それもほんの少し前、ホテルの駐車場で聞いた声。

 ビンセントという男。

「お前に、仕事を依頼したい」

「……どういうつもりだ?」

 俺の問いかけに、男――ビンセントが告げた。

「水無瀬梨絵の件で、厄介事が起きた」

 まだ今回の仕事は……終わってはいなかった。



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