第6話 襲撃
彼女のマンションを後にして、数十分後――
「着いたぞ」
夜の闇と、街灯の光の風景の中。
サイドブレーキを引いた車の助手席で、それを見上げた梨絵が、怪訝そうに
言った。
「ここ?」
「ああ、そうだ」
旧市街にある2階建てのホテル。
一応、ビジネスホテルという看板が出てはいるが、いかにも場末のホテルだという佇まいに、気遅れしている彼女を促した俺は、ホテルのフロントに立った。
カウンターの中で、退屈そうに写真週刊誌を眺めている20代の男に声を掛ける。
「部屋は開いてるか?」
「……103号だ」
男が無愛想に鍵を差し出してきた。
宿帳には記入しないし、求められてもいない。
つまり、ここはそういう場所だった。
その男とニヤリと笑いを交わして、それを受け取った俺は部屋に歩く。
一階の103号室。
渡された鍵でドアを開いて中に入る。
油の切れている、嫌な軋み音を背中に聞きながら壁に取り付けられている
スイッチを押すと、くすんだ蛍光灯の光が部屋を照らした。
「今夜はここに居ればいい」
8畳程の板張りの狭い部屋で、大半のスペースを占めている安っぽい
ベッドに、陽に灼けて色が変わっている壁紙。
俺は、バッグを床に落として、崩れるように椅子に沈んでいる梨絵にそう言うと、ドアのノブに手をかけた。
「どこに行くの?」
「外だ。何か食べる物を買ってくる」
背中で聞いた彼女の声に振り向かずに応える。
「待って、喬一」
更に声。
そして椅子の軋みと床を鳴らす足音。
振り向く。
俺のすぐ後ろに梨絵が立っていた。
「私、恐い」
「そうは見えんが」
「強がってるのよ」
「自分で言うかね」
「悪い?」
「いや」
昨日は車の尾行が付き、今日は、住人以外は入る事の出来ないと思われていたマンションに、何者かが侵入、部屋を荒らして去って行った。
彼女が不安になっても仕方が無い。
「だが――」
「行かないで」
俺のセリフを遮った梨絵が更に近付いてきた。
「お願い」
俺と梨絵の身体が触れた。
彼女の、ビジネススーツの両腕が俺の背中に廻され、ルージュの引かれた
唇が動いた。
「おい、水無瀬――」
「ここに居て。喬一」
短い吐息を漏らした梨絵が、爪先立ちの格好のままで俺の首筋に顔を埋める。
彼女の熱い息と心臓の鼓動が、服の布地を通して伝わってきた。
「……」
ドアのノブに掛かっていた俺の右手が、だらりと垂れた。
後は。
「――水無瀬」
俺は、梨絵の背中に両手を廻した。
包み込む様に軽く力を込めて、一瞬だけ彼女の身体を抱きしめる。
だが、すぐに彼女の両肩を掴んで、自分の身体と引き離した。
「……えっ?」
見上げてきた梨絵の、非難に似た瞳の色を見つめ返した。
これ以上は、立ち入れない。
これから先は。
「……喬一?」
「……水無瀬」
すまない。と言おうとして思いとどまった俺の耳に、金属同士が擦れた音が
入った。
俺には聞き慣れた金属音。
だが、決して聞きたくは無い音だった。
「!」
その音が、何処から発せられたのかを確かめるよりも先に、身体が動いた。
目の前の梨絵を、再び右手で引き寄せながらベッドに押し倒す。
「きゃ――」
いきなりの乱暴な扱いに、悲鳴を漏らした彼女を抱いてベッドの上から床に転がり落ちた時、部屋の外で連続した銃声が響き渡った。
薄い合板製のドアを、紙のようにあっさりと貫通した弾丸が不気味な音を発てながら、俺と梨絵の頭上を通過、窓ガラスや壁に丸い模様を穿っていく。
「――」
腰の後ろのコルト・45オートを右手で押さえながら、俺は奥歯を噛み締めた。
銃撃が止まるのを待つ。
永久に続くと感じられていた時間が過ぎた。
響いていた銃声が、ぱたりと止んだ。
痺れていた俺の耳が、床に何かが落ちて跳ね返る音を辛うじて捉えた。
拳銃の空になった弾倉を捨てた音。
銃を抜いた。
親指でセフティレバーを押し下げげながら、ベッドと床の空間からドアに銃口を向ける。
引き金を絞った。
45口径の轟音と共に、高速で後退するスライドから弾き出された真鍮の
空薬莢が、ベッドの足に当たり鈴の様な音を発てる。
銃口から迸った炎が残像となる前に、更に引き金を引く。機関銃のように
45オートを速射した。
ドアから銃弾で砕かれた木屑が煙の様に巻き上がり、同時にドアの外から絶叫が聞こえてきた。
突然耳元で起こった銃声に、体中を硬直させている梨絵から身体を離した。
「ここから動くなよ」
と、告げると立ち上がる。
部屋の外を窺った。
荒い呼吸。
オロシ金のようになっているドアを開く。
狭い廊下に黒いスーツが倒れていた。
「た、助けてくれ!」
両足の向こう脛から下を45口径弾で抉り取られた男が、いかにも荒事専門だと言いたげな顔を苦痛で歪めながら、擦れた声を上げた。
「……」
俺は無言で、その男に撃鉄の起きている銃を突きつけると、スライドが後退したまま床に転がっている、スミス&ウエッソンM39自動拳銃と空の弾倉を左手で拾うと、廊下の奥に投げ捨てた。
素早く男のスーツのポケットを探る。
運転免許証とM39の予備弾倉が出てきた。
更に男の身体を調べ、他に武器を身に付けていない事を確かめると、奪った
弾倉から9ミリ弾を抜き取りながら、免許証に目を走らせた。
男は田宮というらしかった。
「さて――」
俺は、男——田宮に話しかけた。
「あんたに聞きたいことがある」
「……」
沈黙で応えた田宮に、
「……あんたは、すぐに病院で治療すれば、まだ助かる段階にある。だが、
このまま放っておけば、出血多量でくたばる可能性の方が高いな。まあ、どっちを選ぶかはあんたの勝手って奴だが――」
そう告げると、
「な、何を聞きたいっていうんだ」
「マンションの部屋を荒らしたのは、あんたか?」
「い、いや違う。あそこからは何も出て来なかったので、俺にお鉢が廻って
来たんだ」
「俺に何の用だ?」
「あ、あんたじゃない。あの女に用があったんだ」
「どんな用なんだ?」
「……」
田宮は言いにくそうに目を逸らす。
「そうか」
「詳しい事は知らないんだ! あの女を連れて来いと云われただけで、俺は
そこまでしか知らされていない」
「――じゃあ、質問を変えよう。 あんたたちは何者だ?」
「……」
「俺が撃たないとでも思ってるのか? もう何発撃っても同じ事なんだぜ?」
田宮に向けている、45オートを小さく振った。
冷酷な声を出した俺と、撃鉄が起きて撃発状態になっている拳銃の銃口を
見比べた田宮は、呻き声が混じった声で、
「と、東邦物産の者だ」
「何だと?」
返ってきた意外な答えに、俺は思わず田宮に聞き返した。
「東邦物産って言ったか?」
「ああ、そうだ。そこで表沙汰に出来ないトラブル解消を引き受けている」
「……」
東邦物産。
俺の依頼人である、水無瀬梨絵が勤めている会社。
黙り込んだ俺に、早く病院に連れて行けと喚きだした田宮の頭を軽く蹴った。
あっさりと気絶した田宮からネクタイとベルトを引き抜き、両方の太腿に通っている血管を強く縛って止血する。
「……喬一?」
103号室から顔を出した梨絵が、俺の後ろから恐る恐る声をかけてきた
「居場所が奴らに割れた。ここから離れるぞ」
彼女に短く応えた俺は、S&Wの弾倉と、抜いた弾丸を捨てると、45オートの残弾の少なくなった弾倉をブルゾンのポケットから出したそれと交換する。 「割れ……ばれたって事?どうして――」
「それは俺が聞きたい」
廊下を小走りで、フロントに出た。
ここに入る時に鍵を渡して来た男は姿が見えない。
「誰もいないの?」
「ああ。 逃げたみたいだ」
それとも――
その辺に転がされているかのどちらかだろう。
部屋の鍵をカウンターに放った俺は、絵梨に合図すると走り出した。
ホテルの外に出る。
駐車場。
フェアレディZは、ここに来た時と同じ場所に停まっていた。
だが。
「待ち伏せをされているのは……当然か」
目を細めた俺は、一瞬の間だけ逡巡した。
本当は、ここで車を捨てて行くのが正しい選択なのかも知れないが、そうすれば機動力が無くなってしまう。
暗い街灯に照らされた銀の車体。
その後ろにガンメタのボディが停まっていた。
ニッサン・スカイラインGTR。
そして。
「よう」
全く場違いな口調で声がかけられた。
「!?」
反射的に、右手の45口径を向けた。
梨絵が息を呑む。
「また会ったな。吉村」
金髪・碧眼の男――ビンセントがスカイラインに凭れかかるようにしながら、 俺に話しかけて来た。
嫌な雰囲気の男。
「……」
名前を呼ばれた俺は、動揺を悟られない様に沈黙で応えた。
だが、ビンセントはそんな俺の態度を気にも留めずに、
「昨日の今日で悪いが、お前に話がある」
「……悪いが、急いでるんだ」
「警察には手を廻してる。ここには来ないさ」
「……」
そういうのは得意でね。と小さく笑い声を漏らしたビンセント。
俺は、その街灯に照らされているビンセントの顔から視線を外さずに、
右手の拳銃の引き金に人差し指を這わしていった。
シャツ下のは冷たい汗で濡れている。
分が悪すぎる。
どう贔屓目に見てもだ。
こちらの武器は拳銃一丁で、後ろには梨絵がいて、俺の周りには遮蔽物は無し。右手の45オートは薬室と弾倉の弾を入れて8発。
俺の目の前に居る、ビンセントの他に何人が配置されているか――
「……」
「待って!」
人差し指がようやく引き金にかかった時、
「待って、喬一。それにあなたも」
背後の梨絵が制止の声を上げて、
「……ミスタ・ビンセント?」
「そうだ」
梨絵が訊くと、ビンセントから肯定と確認の言葉が返ってきた。
「ミズ・水無瀬?」
「そうよ」
予想外の2人の会話に動きを凍りつかせた俺に構わず、頷いた梨絵が続けた。
「もっと速く来て欲しかったわ」
「根回しとか、こっちにも都合ってもんがあってね」
「おかげで、私の部屋は無茶苦茶よ」
不満そうに喋る梨絵に、
「……水無瀬。お前何を」
「あなたの仕事はここまでよ。喬一」
やっとの事で喉から言葉を搾り出した俺に、彼女が答えた。
静寂の中、アスファルトに靴音を響かせた梨絵が、黙り込んだ俺の横をそのまま通り過ぎた。
ビンセントの隣に並んで振り向き、
「この人の言うとおりにして」
「……冗談だろ?」
「いいえ、本気よ」
「……」
言葉を失った俺と、自分の横に来た梨絵をちらりと見たビンセントは、スーツのポケットに手を入れ、何かを取り出した。
「そういう事だ」
こいつを、と俺にそれを放る。
反射的に左手で受けた。
硬い紙の感触。封筒。
中に分厚い物が入っているのが判った。
「300ある。今までの必要経費と違約金だと思ってくれ」
「……」
「まあ、あんたにも思うところが在るだろうが――」
「止せ」
饒舌に続けていたビンセントを、短く制した俺に「そうだな」と答えて、
「あんたの事務所には手をだしていない。勿論、彼女にもな」
「……そうか。助かる」
「じゃあな。吉村」
それだけ告げたビンセントは、俺に軽く手を上げてから梨絵を促すと痩せぎすの背中を向けた。
踵を返したその後ろに梨絵が続く。
フェアレディZの後ろに停められている、スカイラインGTR。
その車のドアを開け乗り込む寸前、梨絵が俺の方を振り向いた気がしたが、
すぐにエンジンがかかり、スカイラインのトレードマークである、丸いテールランプを紅く光らせて、市街の中心へと走り去る。
「……」
2人を乗せた、GTRの排気音が遠ざかり、静寂が戻ってきた。
俺は右手に拳銃を持ったまま、フェアレディに近づいた。
ドアを開いて車に乗り込んだ。
助手席にセフティレバーを押し上げた45オートを置いて、エンジンを
かける。
まだ冷えていない、6気筒エンジンのアイドリング音を聞きながら、先程受け取った封筒の中身を確かめた。
「……」
あの男、ビンセントの言っていた通りの物が入っていた。
「……必要経費に違約金ね」
それにしては結構な金額と言えた。口止め料も入っているとしてもだ。
「破格の金か……」
それが出来る連中。それがあの男、ビンセントの背後に居る。
「……」
ふと、オイルの焼ける匂いを感じた。
だが、それが錯覚、気のせいだというのは解っている。
旧いオイルライターの匂い。
知らない内に噛み締めていた唇から、押し殺した声が漏れた。
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