第5話 警告
「どうしてなの……」
抑揚の無い女の声が部屋に響き、消えて行った。
「……」
「どういうことなのよ」
俺の前に立っている女――水無瀬梨絵が、呆然とした表情で呟く。
マンション「エンゼル・コーポ」
市街地から離れた所に建っている十階建て、マンションの部屋の
一つ。
その308号室。
彼女の部屋。
「……普通の鍵だと入れないのに」
まだ信じられない。といった彼女から視線を外した俺は、改めて周りを
見渡した。
20畳程の居間。
フローリングが敷かれたその部屋は、見るも無残に荒らされていた。
普段は閉じられているクローゼットや引き出しの中身は全て床にばら撒かれ、居間の中心に置かれている、俺の事務所に置かれているモノとは大違いのソフアは、表面の革を切り裂かれて中身の白いクッション材を剥きだしにされている。
「……電子式のロックを破ったのか」
この308号の部屋――3LDKのフラットに入るには、ドアに取り付けられている鍵穴に専用のICチップ入りの電子キーを挿し込まないと扉が開かない。
当然、本人以外はその部屋の中に入る事は出来ない筈だった。
だが、何者かが入って来た。
「どんな鍵でも、必ず開くことが出来るって事か」
「そんな事、一々云われなくてもっ!」
俺に、梨絵が声を張り上げたが、
「…… ごめんなさい。私っ」
「いいさ」
そう答えると、一瞬だけ俺に目を向けた梨絵だったが、すぐに目を逸らし
「でも、どうして……」
まだパニックを起こしているのか、先程と同じ台詞を繰り返した彼女に、
「そんな詮索は後だ。それより――」
「?」
「――逃げるぞ」
「えっ」
意外そうに応えた梨絵に、俺は頭の中でこのマンションのセキュリティの甘さを罵ってから続けた。
「ここに長い時間居るのはまずい」
これが単なる警告だけでは無いとしたら、この部屋に来るのは誰かは簡単に想像が付く。
「え? ええ。そうね。そうするわ」
梨絵が早口で頷いた。
○
数分後。
俺は、身の回りの物を小ぶりのバッグ詰めた梨絵をフェアレディZに押し込んで、車の頭を街へと向けていた。
「どこに行くの?」
助手席から、ダッシュボードからの光で、その端整な横顔を紅く染めている
梨絵が、ぽつりと訊いてきた。
「あなたの事務所?」
「いや、俺の所は駄目だ」
「あの娘(こ)に見られたら大変だものね」
小さく笑った彼女に、
「……そういう意味じゃない」
俺の名前を知っている連中だ。
当然、素性や住んでいる所も割れている筈だ。
そんな場所に梨絵を、彼女を連れて行けば相手に有利に事が進んでしまう
それに――
「……何も訊かないのね」
黙った俺に、梨絵が訊いてきた。
低い声で。
「訊いたら答えてくれるのか?」
ステアリングを握っている俺は短く聞き返した。
彼女に訊きたい事。
確かに訊けば、彼女は答えるかも知れない。
だが、それを聞きたい訳じゃない。
俺が聞きたいのは、本当の事だ。
「あたしのこと、どう思ってるの?」
「依頼人かな。それ以上でも以下でもない」
「そう」
「そうだ」
「……これは、お互い様ね」
「全くだ」
――訊いても答えないのは、だ。
数秒の沈黙を破って、梨絵が再びポツリと言った。
「……変ったわね。喬一」
「変った?」
「ええ、昔のあなたは……こんな事言わなかった」
それに……と言い淀んだ彼女にちらりと視線を走らせる。
「……言いにくいのなら、喋らなくてもいいさ」
「……ごめんなさい」
再びの沈黙。
道路に沿って建っている街灯が、フェアレディZの車体を鈍く光らせ、前を走っている車のテールランプが赤い光を放つ。
変わった。
確かに梨絵の、彼女の言う通りだった。
それは、汚れたと言い換えられるだろう。
マンションの荒らされた部屋で、一瞬だけ俺を見た彼女の表情がそれを証明していた。
この手の事も、今回が初めてではなかった。
気まずさをごまかす様に、カーコンポのスイッチを押した。
プリセットしてある、地元のFM局。
ダッシュボードのスピーカーから、ピアノのソロが流れて来た。
何処かで聞いたことのあるフレーズ。
旧い映画に流れていた音楽。
突然姿を消した女を、ずっと引きずっている男が出てくる映画だった。
「――時の過ぎ行くままに。か」
いくらなんでも出来すぎだった。
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