第4話 飼い犬
翌日。
「おはよ、喬一」
欠伸をかみ殺しながら寝室—ベッドが置いてあるだけの空き部屋—から
事務所に出て来た俺に、
机で文庫本を読んでいた彼女、悠美が声をかけてきた。
「ああ、おはよ」
グレーのYシャツと、ブラウンのスラックスといった格好の俺は、2DK程の事務所を横切り、隅に置かれている冷蔵庫の扉を開きながら、
「何時だ?」
「昼過ぎ」
「そうか。寝すぎたな」
欠伸をかみ殺して呟いた俺に、
「また、ここに泊まったの?」
「ああ」
悠美に背中を向けたまま答えた俺は、やはり部屋の隅に設えてある洗面所で顔を洗うと、冷蔵庫から取り出したソーセージとレタス、オレンジジュースの
紙パックにナイフを持って悠美の隣、自分の机に着いた。
「まあ、その辺で寝てるよりはマシだけど」
そう言って溜息を吐いた彼女に、そうだろ、と呟いた俺は素早くナイフで
切ったソーセージとレタスをオレンジジュースで胃に流し込んだ。
「あんたね」
たちまちのうちに食事を終えた俺に、悠美が呆れた口調で、
「まともな食事の摂り方、知ってる?」
「そんなモノが在るのなら」
そうするさ。と他人事の様に答えて立ち上がった俺に、悠美が改まった
口調で、
「で、昨日はどうだったの?」
「別に何も無かった。車の中で一晩過ごしてから、彼女を会社に送って、ここのベッドに潜り込んだ」
それだけだと言いながら、自分の机に歩く。
「ホントに?」
「ああ」
昨日はな。と俺は口の中で呟いた。
○
「よう」
嫌な雰囲気の男だった。
夕方、俺を尾行てきた車、スカイラインGTRを運転していた男。
俺の車の後ろに停めた、ガンメタリックの車から降りたその男が、俺に話しかけて来た。
「お前に話があるんだがな」
「悪いが、俺の方に話は無い」
俺は無愛想に応える。
夜。
市街地の郊外。
依頼人の彼女、水無瀬梨絵が住んでいるマンション 、「エンゼル・コーポ」の入口が見渡せる道路上。
「ここで何をやってるんだ」
「仮眠だよ。昼間疲れてね」
「女と一緒に帰って、その夜に仮眠だと?」
街灯に照らされた、フェアレディZのドアの外に立っている男が小さく笑い声を漏らした。
金髪、碧眼に紺色のスーツ姿。
その、地味だが仕立ての良い上着の左の腋は、不自然に膨らんでいた。
「それで……俺に何の用だ」
「交渉かな」
男の意外な台詞に、訊き返した。
「交渉?」
「お前の受けている依頼をキャンセルして欲しいんだ」
「……」
目を細めた俺に、
「理由はちょっと勘弁してくれ」
そう言った男は、スーツの内ポケットから煙草を取り出すと、両切りのそれを咥え、真鍮のオイルライターで火を付けた。
煙草の煙とオイルの燃える匂いに混じって、
「勿論タダとは言わん。それなりのモノは出す」
どうだ、と男。
「断る」
短く答えた俺に、また咽の奥で笑った男が、
「決裂か。そう来るとは思っていた」
「残念だ」
「全くだ」
と、全く残念そうではない口調の男に、俺はのんびりとした口調で、
「で、そいつを鳴らすつもりか?」
「いや、顔見せだな」
聞き方によっては挑発に取れる俺の台詞に構わず、男は軽く右手を上げて見せると、
「またな。吉村」
踵を返した。
「——誰だ、あんた」
吉村と、自分の名を呼ばれた俺は、男の背中に声をかけた。
「俺か?」
立ち止まり、首だけ振り向いた男が、
「ビンセントって者だ」
そう答えると、フェアレディZの後ろに停められている、スカイラインに乗り込んだ。
すぐに2・6リッターツインカムターボのエンジンがかかり、俺の横を抜けて市街地の方に走り去っていった。
「……」
丸いGTRのテールランプ。
それを見つめていた俺は、まだ残っていたオイルの匂いを振り払うように首を振った……。
○
「喬一?」
「……ああ、済まん」
悠美に返事を返した俺は、自分の机の引き出しから黒いプラスチックのケースと、紙の小箱を取り出した。
それを見た彼女が、何かに気が付いた声で訊いて来た。
「やっぱり何かあったのね」
「ま、夜のお仕事だからな」
軽口と共にソファに移る。
黒いケースを開いた。
中に入っていた鋼で出来た物を右手に取る。
一丁の拳銃。コルト1911М1。
通称、コルト・ガバメントとか、45オートなどと呼ばれている、無骨な
デザインを持つ拳銃だった。
その自動拳銃の銃口を床に向けた俺は、グリップから弾倉を抜くと、手早く分解した。
銃身や機関部の状態を確かめてから、元通りに組み立てる。
「何があったの?」
繰り返し訊いて来た悠美に、
小箱の銅と真鍮のドングリの様な45口径弾を弾倉に詰めながら、
「飼い犬に遭った」
と、俺が簡潔に応えた。
「飼い犬?」
その単語が予想も付かなかったのか、俺をじっと見ていた悠美が首を捻った。
「ああ、飼い犬だ。 毛並みは良く無いみたいだが」
ビンセントという男。
だが、ただ大人しく飼われている訳では無さそうだ。
あの男には、飼い主にも平気で吠えかかりそうな雰囲気があった。
「それを使わないといけない相手なの?」
「あまり使いたくは無いが――」
無理だろうな。という台詞を飲み込んだ。
俺の事は既に調査済みらしい。
水無瀬――彼女を乗せた時に、尾行て来た車。
そのスカイラインGTRに乗っていた男、ビンセントが俺の名前を知っていた。
俺の車――フェアレディZのナンバーを読んで、そこから手繰ったのだろう。
ナンバー・プレートと所有者との照会。
陸運事務所などは、閉まっている時間だった。
それなのに、それを、しかも短時間に出来る連中。
「……」
7発の弾で重たくなった弾倉をグリップに差し込んだ。
銃身に覆い被さっているスライドを左手で引いて放す。
リコイル・スプリングによって、前進したスライドが弾倉上端の弾丸を銃身
後部の薬室に送り込んだ。
その乾いた金属音を聴きながら――
俺は、この依頼が思ったより厄介なことになるという予感が確信に変わってい
くのを感じていた。
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