第3話 尾行

 昼間は数える程しか居なかった通行人が、今は歩道に溢れ返っていた。

 黒や紺色のビジネススーツを身体に被せて、石畳の道を歩いている男女は、

髪や肌の色がそれぞれ違っているし、その中にはスーツ姿よりナイフや銃を下げている方が似合っている連中も混じっていた。

 「……」

  車道の端に停めているフェアレディZのフェンダーに凭れて、歩道にひしめいている人間を眺めていた俺は、視線を動かした。

 自動車の排気ガスで白い壁がまだら色になっている、ビルを見上げる。

 「東邦物産」と浮き彫りされたブロンズの看板が掛けられている、

15階立ての建物。

 それは、この街の象徴とも言える、この区画に建っていた。

 広大なジネス街。

 何世紀も前から、この地域を通る商隊の補給地として発展したこの街は、他と比べるとタダ同然の様な法人税によって、個人営業から巨大資本の複合企業までがひしめき合う、辺境最大の自由貿易都市といった表情を持っている。

 毎日、陸と海の路を通って、膨大な数と量の物資が入って来るこの街では、

それを扱う人々――堅気の商社員からブラック・マーケット専門の故買屋までと幅広く、当然そこには主に経済的、つまり金銭絡みの問題から端を発した揉めごとが数多く発生する。

 これを解決するのがトラブル・シューターと呼ばれる、俺の様な人間だった。

 「そろそろか」

 呟いた俺は、左手のクロノグラフの針が、5時30分を指しているのを

確かめると、石畳の歩道の奥にあるビル正面の自動ドアを見つめた。

 今日1日の業務が終わり、タイムカードを押し込んで退社する社員の波が次第に途切れがちになっていき、遂に消えてしまった頃、出入り口にスーツ姿の女が現れた。

 ブランド物のハンドバッグを肩に下げたその女は、歩道を横切ると、車道脇の俺の目の前で立ち止まって、数時間前と同じ様に微笑んだ。

 「お待たせ」

 依頼人の水無瀬梨絵。

 今日からの護衛の対象。

 「時間通りなのは、変ってないわね。喬一」

 「この商売は時間厳守がモットーだ」

 そう梨絵に答えながら、背後を親指で示して、これに乗ってくれと合図を送る。

 ロングノーズ・ショートデッキの、独特なシルエットを持つ車体。

 「これって」

 それを、はっとした表情で見つめた梨絵が俺に振り向くと、

 「まだこの車に乗ってるの?」

 「いや、あれとは別の奴だ」

 「ふうん、そうなんだ」

 と、声を漏らした梨絵が、助手席に座ってシートベルトを締めた。

 「家でいいのか?」

 「ええ、お願い」

 行き先を確かめた俺は、イグニッション・キーを捻り、フェアレディZの

エンジンをかけた。

 咳き込む様にスターターが回り、いい加減旧式になっている2バルブ6気筒

エンジンが動き始めたのを、 耳と運転席のメーターで確かめた俺に、

 「フェアレディ、だったわねこの車」

 「ああ」

 「そっか、懐かしいわ」

  助手席で目を細めている梨絵に、出すぞと助手席に声をかけてからアクセルを踏んだ。

  評判の良く無い燃料噴射から気化器、キャブレターに交換しているだけではなく、エンジンにも手を入れているフェアレディZの車体を、通勤による渋滞が

始まりつつある車道に乗り入れる。

 ちなみに、梨絵の住んでいる家—マンション—は、ここから車で20分という所で彼女自身はバスでの定期通勤だ。

 今時の車に混じって三車線の道路を走り出したフェアレディが、前を走っているスズキ・スイフトに追いついた。

「……何年だったかしら」

 目の前のハッチバックが黄色い車体を小刻みに動かしているのを目で追っていた俺の隣で、梨絵がぽつりと口を開いた。

 「よん――いや5年?」

 「そんなもんだろ」

 俺は素っ気なく応えた。

 「5年か。長いわね」

 「そうだな」

 低い排気音に混じって、クラクションの音が聞こえた。

 途切れた会話を繋ぐ様に、梨絵が再び口を開いた。

 「喬一、あなたに訊きたいことがあるんだけど」

 「どうぞ」

 「あのコとはどういう関係なの? 恋人?」

 「……俺と誰だって?」

 思いもかけない梨絵の言葉に、シフトレバーを動かしていた手を止めて俺が

聞き返すと、興味津々といった表情で、

 「だから事務所に居た、森脇さんってコ」

 「聞きたいのがこれか……って、どうしてあいつの名を」

 「帰り際に聞いたの。お名前は?って」

 「それだけか?」

 「何が?」 

  大きな仕草で首を傾けた彼女に、

 「あいつの名前を訊いただけじゃ無いだろ」

 「それだけよ。昔付き合ってた女ですって、前置きを付けたけど」

 あっさりと答えた梨絵に俺は呆れた声で、

 「……おい」

  道理であの時、悠美がやたらと訊いてきた訳だ。

 「で、どうなの?」

 「悠美と俺がか――どうしてそう思う?」

 「彼女が貴方を見る目、かな」

 「良く見てる。だが、外れてるな」

 「違うの?」

 「違うといえば違うが……」

 俺は言葉を濁した。

 悠美が恋人かと聞かれて、それを否定する気は無いのだが、彼女は恋人というより――

 「どうだろうな」

 「そうなの」

 答えることを避けた俺に、つまらなそうな顔をした梨絵は、膝の上に置いてあったハンドバッグを取り上げた。

 アルファベットのロゴが散らばっている蓋を開き、

 「吸ってもいいかしら?」

 と、細長い長方形のパッケージを取り出した。

 メンソール入りのシガレット。

 「……いつから吸い始めたんだ」

 「つい最近よ」

 ストレスが溜まってね。と応えた彼女に、俺は後悔に似た気持ちを抱いた。

 それを抑え付けながら、

 「ここでは遠慮してくれると助かる」

  済まないが、と顔を前に向けたまま付け加えた。

 「あ、ごめんなさい」

 それでも、まだ煙草に未練があるらしい彼女が、

 「どうしてか聞いていい?」

 真剣な顔で訊いて来た。

 「そいつの匂いは勘が鈍るんだ」

 「勘? そんなものが――」

 「言っとくが、当てずっぽうのいい加減なものじゃないぞ」

 「じゃ何?」

 不審そうに眉をひそめた梨絵と、バックミラーとをちらりと見比べた俺は、

 「経験上、色んな事が分かるというか――そんな類のものだな」

 「例えば?」

 「後かな」

 「えっ?」

 怪訝顔で俺を見た梨絵に、

 「尾行が付いてる。尾行(つけ)られた」

 驚いた顔の彼女が、肩越しに後ろを振り返った。

 「一台挟んで後ろの車だ」

 俺と梨絵が乗っている、フェアレディの後ろを走っている車の列。

 その中の一台。

 ガンメタリック塗装の日産•スカイラインGTR。

 BNR32、通称サンニイGTRと呼ばれている車。

 そいつが、常にこちらとは一定の距離を保って尾行いて来ていた。

 しかも自分の車の前には別の車を挟んでいるという念の入れようだった。

 「いままで車で尾行けられたことは無いっていってたな」

 「ええ、多分……だけど」

 自信が無さそうに梨絵が喋る。

 「だとしたら、今まで水無瀬を付け回してた奴らとは、別口ってことも考え

られるな」

 「じ、冗談でしょ!?」

 一瞬の内に顔色を変えた彼女が上ずった声を上げ、

 「まだそうと決まった訳じゃないさ」

 その反応の過敏さに俺が顔をしかめて答えた時、前を走っているスイフトが

 ウインカーを点滅させて、隣の右車線に移った。

 「……」

 俺は、ウインカーとステアリングを切って車の進路を変えた。

 スイフトの後ろに付ける。

 フェアレディのすぐ後ろを走っていたトヨタ•セリカGT4が俺の横に

並んだ。

 前方の交差点の信号。

 その下に取り付けられている横断歩道用のそれが青色の点滅を始めた。

 自動車用の信号はまだ青なので、充分に交差点を通過出来るタイミングだが、ブレーキを踏んだ。

 同時にシフトダウン。

 ゆっくりとスピードを落として行くフェアレディの横を、ツインカムターボの加速でセリカが走り去っていく。

「ちょっと!?  どうしたの――」

「どこかに掴まってろ」

 慌てた様な梨絵の文句を遮った俺は、今までは後続車の影になって見えなかった尾行車のナンバーと、運転席の男の人相を頭に刻み付ける。

 前にいたスイフトと、セリカが交差点の向こうに消え、俺と梨絵の乗る

フェアレディが停止線の先頭になって停まった時、信号が黄色に変った。

 後数秒すれば、こちらと交わっている左右の車が動き始める。

 その瞬間。

 俺は、アクセルペダルを踏み込んだ。

 左足のクラッチペダルを放す。

 後輪のラジアルタイヤを鳴かして、大きくテールを沈めたフェアレディZが弾かれた様に交差点に飛び出した。

 回転計の針が右側に跳ね上がる。

 すぐに一速ギアが吹け切った。

 先程とは打って変わって、マフラーは図太い排気音を撒き散らし、キャブレターの吸気音とミッションとデフの唸り声の様なメカノイズの中、クラッチペダルを踏んで二速にギアを叩き込んだ。

 「……!」

 あっさりと制限速度をオーバーしたフェアレディの助手席で、メリハリのある身体をシートに押し付けられた梨絵が、歯の間から悲鳴を上げた。

 「ぶっ、ぶつか――!」

  目の前の信号が青になり、交差点に入って来た車が、自分達の真横に突っ込んできたフェアレディZに仰天して、ホーンを喚かせながら急停止した。

 急ブレーキでタイヤがアスファルトに削られる、カン高い音。

 急激にフロントのサスペンションを縮めて、前につんのめる様になって停まっている車の鼻先を掠めるようにして、フェアレディZが突っ切って行く。

 「いいぜ、振り切った」

 交差点を抜けたフェアレディの運転席でブレーキを踏んだ俺は、隣に声をかけた。

 交差点で立ち往生している車の中に尾行車のスカイラインが居るはずだが、

止まっている周りの車が邪魔で、身動きを取る事が出来ないだろう。     「そっ、そう」

 四輪ディスクブレーキによって、確実にスピードを落としていくフェアレディの助手席で、ドアに付いているハンドルを握り締め、顔をひきつらせていた梨絵が、やはり引きつった声で応えた。

 「――よかったわ」

 尤も――

 振り切ったというよりも、向こうが見逃したのかも知れなかった。

 「……」

 「それで? これからどうするの?」

 「予定通りだ。君の、水無瀬の家に帰る」

 「大丈夫なの?」

 「待ち伏せは無いと思う」

 「……その根拠は?」

 「俺がいるからな」

 「……自信過剰だと取っていいのかしら?」

 「お好きな様に」

  梨絵にくっついている俺は、相手側から見れば正体不明の人間の筈だ。

  誰だって藪をつついて蛇を出すのは嫌だろうから、俺の素性が分かるまでは連中も手は出して来ないだろう。

 「それとも、何か御希望が有るってのなら、どうぞその旨を」

 何とか余裕を取り戻したらしい梨絵に、俺はステアリングから離した左手を、自分の胸に当てて答えた。

 「やめてよ……私が決めていいの?」

 「依頼人から一言って奴だ」

 「……分かったわ。ミスター・ブラウン」

 すでに制限速度までスピードが落ちている車の助手席から、投げやりに応えた梨絵が続けた。

 「……じゃあ」

 彼女のルージュを塗った唇が、声と共に動く。

 「……希望ってのが、それか」

 「女って、こういう話が好きなの」

 「……」

  参った、と小さく左の手首から先を挙げてみせた俺は、見えてきた交差点に合わせて、握っていたステアリングを左に切り始めた。

長いボンネットが向きを変えていく。

 全く……

 数時間前にも、似たような台詞を聞いていた俺が口には出さずに呟くと、梨絵が軽く俺を睨みつけてきた。

「聴こえたわよ」と言いたげに。

 ……これが、勘っていう奴かもしれなかった。

 

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