第5話 錯綜


 同じ頃、アスガルド。

 オーディンは鴉フギンとムニンを肩に乗せたまま言った。


「イズンは死んでいない」


 声には揺らぎがなかった。


「ならば誰かが匿っている。匿える者は限られている」


 鴉たちは鳴き、神々の名を順に告げていく。


 その列に一人欠けている名があった。


「ロキだ」


 フギンが低く鳴き、ムニンは羽を震わせた。


「ロキなら、神の匿匿も、変身も、記憶の操作もできる」


 オーディンは片眼を閉じた。


「そしてロキは……イズンを殺せる唯一の存在だった」


 その言葉は鋭い刃のように空を切った。


「……だが殺していない」


 それが最も奇妙だった。


 死んでいない。

 行方不明。

 痕跡なし。

 そしてロキ。


「何を企んでいる……?」


 しかし捜査範囲は狭まった。

 神界はついに“次の場所”を見る。


「フレイヤの館だ」



 一方、霧深いヨトゥンヘイム。

 氷壁に囲まれた広間で、ユミルは部下から報告を聞いていた。


「フレイヤ不在との報せです」


「本当か?」


「人間界で目撃されたと。人の男と旅をしているとの噂」


 隣で座する巨人スリュムが立ち上がった。


「……人間風情と旅、だと?」


 怒りではなく、“嫉妬”だった。


「あの女神は、我らを拒む一方で人間を愛したというのか」


 拳を握る音が響いた。


「奪われたものは取り返す。それが巨人の法よ」


 ユミルは同志に目で続きを促した。


「で、イズンは?」


「不明。神界ではロキを疑っている様子」


 ユミルが歯噛みした。


「奴め……裏切ったな。スリュム!」


 ユミルが声を上げると冷気が吹き荒れた。


「人の世界を見てきなさい。恵みは止まり、争いは始まり、愛は荒れつつある。」


 スリュムは深々と頭をたれると、踵を返した。


 凍える息に溶かすように言葉を吐く。


「……それでもフレイヤは私のものだ」


 執着は一度火がつけば、世界一燃費が悪いものだと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る