第4話 偽りの日々

 ――この女神は怠惰だ。


 豊穣の女神の館に仕えることになってから数日。

 少年は至極率直な答えを出した。


「アル~? 湯船の温度が冷たいんだけど」


「この料理しょっぱすぎない?」


「肩凝っちゃったわ。マッサージ頼める?」


「……はい、ただいま!」


 四方八方から飛んでくる理不尽な要求に応えつつ、

 アルは召使としての役割をこなしていた。


 屋敷は広く、いくら掃除をしてもし足りない。

 にもかかわらず、女神はほとんど動かない。

 まるで世界に興味を失ったように。


「……この部屋は?」


 その日アルは屋敷の奥に存在する書斎を見つけた。

 歴史、文学、神々に関する文献が整然と並んでいた。


 アルは一冊を手に取り、自室へ持ち帰った。


「女神フレイヤについて」


 夜、燭台に火を灯しながらページを繰る。


 ――花は土を選ばず、日を選ばず、フレイヤの息吹で咲く。

 ――フレイヤは世界を孕ませる女神であり、人は彼女に愛を乞い、豊穣を祈る。


「フレイヤの神性……」


 確かに館は甘い残り香のような神秘で満ちていた。

 ただ、その香りは日に日に薄まっている気がした。


 少年の脳裏にだらけきった女神の姿がよぎる。


 ――あれが女神のはずがない。


 ただ一つ、女神が決して頼まないことがあった。


 それは“外へ出ること”だ。


 どんな些細な用事でも外出は禁じられ、

 買い物は女神自らが行っていた。


 まるで外の世界を見せまいとするかのように。


「……」


 アルは本を閉じ、寝台に身を沈めた。

 あの美しい女神の眼差しだけは、嘘であってほしくなかった。


 ◇


 ――この少年は、人の要求を叶えることが好きらしい。


 目の前で忙しなく動くアルを横目に、ロキは息をついた。


 フレイヤの館に住み着いてから半年。

 神々の動きは依然としてない。


 それが不気味でもあり、同時に安堵でもあった。


「さて、次はどうすべきか……」


 自ら起こした事柄でありながら、

 ロキ自身その真意を掴みきれていなかった。


 なぜ、あの時イズンを殺せなかったのか。


「面倒ごとは嫌いだ」


 皿の果実をつまんで口に放る。

 味が薄い。それどころかわずかに苦い。


「……フレイヤが離れすぎたか」


 フレイヤの神性は弱まりつつあり、

 その変化は村人にも波及していた。


 ――収穫が悪い。

 ――口論が絶えない。

 ――祈りが届かない。

 ――神が姿を見せない。


 疑念は憎悪を呼び、館を取り巻いていく。

 屋敷に住むただ一人の同居人も似たような目をしていることを、ロキは理解していた。


「限界か……?」


 狡知の神。欺瞞の神。

 騙すことにかけて自分の右に出る者はいない。


 だが、騙し続けたその先の未来は、

 ロキ自身経験がなかった。


 結果、問いは最初に戻る。


「……未来が縮む音がする」


 偽物の日常の中に閉じ込められた世界に、ロキは目を細めた。

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