地球上で異世界転移するとして

「ああ、今日も世間は地獄絵図だなぁ」


小泉賢二郎は誰に言うでもなくそう呟いた。日差しの強い初夏の白昼、テニスコート脇に備えてある唯一の屋根付きベンチに腰掛け、ぼんやりと団扇を弄んでいる。視線の先では男女の高校生がラケットを手に部活動にいそしんでいた。誰も彼も自分の見知った生徒であるけれども、だからといってその違和感を拭いきることはできない。


「……イルカ、干からびないかな」


ふと、心配になって呟く。

まん中のコートで必死に黄色い球を追いかけているのはイルカの女生徒だった。初夏と言えどこの陽気では、水中生物のイルカはさぞ大変だろう、と小泉は同情する。それから、その向かい、イルカの女生徒に振り回されているチーターの男子生徒にも。イルカの、しかも女の子に弄ばれてしまうのは、チーターの矜持的なものがあれで悲しかろうなぁとため息をつく。

最も、実際のところ大変なのも悲しいのも、どちらかと言えば小泉の方だった。何故こんなところにいるんだろうかと思っている。異世界に放り込まれて十数年、未だ帰り方が分からないのだから当然だった。


「帰りたいなぁ」

「おや、どちらに?」


再び、誰に語りかけるでもなく呟いた言葉には返答があった。左隣、うすぼけた青色の背もたれに両肘をついて、彼の幼馴染、宮山田が小首を傾げている。シャツ一枚でもうっすらと汗ばむような陽気の中、淡いグレイのスリーピーススーツを着た宮山田は涼しい顔をして、暑いですねえとほほ笑んだ。


「こんな陽気じゃあ、帰りたくもなりますよねぇ。まだ五月だって言うのに。……ほら、そこ、蝉の幼虫が這い出て来てますよ。彼だか彼女だか知らないですけど、可哀想に夜はまだ冷えますから、きっと今夜限りの蝉生ですね」

「人生みたいに言うなよ……お前、何しに来たの?」

「小泉くんに会いに来ました」

「……え?」

「小泉くんに会い来たんです。朝起きたら、そうだ、小泉くんに会いに行こうと思ったので」

「……あー、うん、分かった」

「分かってくださいましたか」

「いくら欲しい?」

「ほんっとーに分かってらっしゃる! 五万貸してください!」

「潔いなぁお前……馬鹿なの?」

「はい! よく言われます!……お願いしますよぉ! お父さんにバレて生活費切り詰められてるんですよぉ!」

「タワマンに住んでるのが間違いなんじゃねぇかな……」

「おや小泉くん、ご存じない? なんとかと煙は高いところが好きなんですよ!ご多分に漏れず私もそう!たとえ電気が止まっても!私は高みから庶民どもを見下ろしてやるのですよ!」

「…………あっ、うんはい。あー…………財布に金入ってないわ」

「小泉くんともあろう方が!?では私の今日のご飯は!?私は何を食べればよいのですか!?」

「そんなもん草でも食っとけよ」

「私が!?草を!?」

「宮山田には草がお似合い」

「…………私人間ですが!?」

「そうだよぉ、お前まで人間じゃなくなったら俺は首を吊るしかないじゃないか」

「お、出た出た小泉くん今日も元気に病気ですねぇ。今日はどっち?俺がおかしいんだの方?それとも世界がおかしいんですか?」

「イルカがテニスしてんのに世界がおかしくないわけがあるか?」

「あはぁ、鋭い。イルカはどれですか?」

「奥のコートの女子。嶺倉」

「ほう!将来有望!うーーーん……中の上!」

「まあイルカは見られるほうだよな」

「そういうことじゃないんですけどね!まあそういうことにしておきましょうか!ところで彼女のメールアドレス、私がいただいても」

「今日日女子高生がメールすると思うか?」

「宮山田SNSはよく分からんのですよ」

「だよな?そもそも月の半分スマホ止まってるもんな?」

「そうなんです」

「近くの公衆電話把握してんの今日日お前だけだよ」

「そうなんですよぉ!私、強いですよ!これなら誰にも負けません!電話番号も覚えてますよ!」

「その記憶力使うべきところが他にありそう」

「本当にそう!!人生ままなりませんねぇ!」


言う割に、宮山田は朗らかだった。所謂、実家が太い実家に住んでいないだけのこの男をきっと子供は軽蔑の目でみるだろう。とはいえ世の中にはこんな人間がはいて捨てるほどいるのを小泉は知っていた。更に付け加えるならば、そうであるとしても、宮山田は小泉にとって残り少ない人間であるから、それが例え、寝癖だらけのどこか大人になりきらない面立ちのふざけた男であっても関係を切り上げることができそうにない。


「小泉くん安心するでしょう宮山田がいて」

「は?」

「宮山田がいて良かったですねぇ小泉くん」

「……生徒がさぁ、それ聞くと困るんだよなぁ。……そうなんだけど」

「ですよね!」


いい加減首が疲れた小泉はぼんやりとコートへ視線を戻した。イルカが力強く地面を蹴り上げて、華麗なスマッシュを決めている。右へ左で振られたチーターは野生の法則に反して黄色いボールへは追いつけない。

けれども、これが小泉にとっての今日であった。十九年前から始まった非日常は、いつの間にか日常に溶けている。


「宮山田ぁ」

「なんです?」

「財布に一万あるんだけど」

「はい!」

「煙草買ってきて」

「よしきた!宮山田疾風のごとく、いってまいります!…………あ、コンビニでパスタ買っても……」

「いいよぉ好きなだけ買えよ」

「これだから好きですよ小泉くん!一生病気でいてくださいね!」

「あーはいはい」

「では宮山田!行ってまいります!!」


大仰な敬礼をして、宮山田が駆け出した。運動神経もへったくれもない後ろ姿に苦笑する。

きっと宮山田は人間ではない。世界に人間がいなくなって、宮山田だけが残ったら、きっと宮山田は人間ではないのだろう。そんな未来が、いつか来るような、そんな気がした。





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