第2章第2節 貴族の園と、朝帰りの教頭
王都の中心から少し離れた丘の上に、その巨大な学び舎は鎮座していた。
『ロムレス王立学園』。
建国以来、数多の将軍、大臣、そして宮廷魔導師を輩出してきた、この国におけるエリート養成機関の最高峰である。
白亜の校舎は城と見紛うばかりに壮麗で、広大な敷地には手入れの行き届いた庭園と、魔術実験用の闘技場まで完備されている。
その正門を、一台の馬車がくぐった。
「……帰りたい」
レン・クロウリーは、馬車の窓から見える煌びやかな校舎を眺め、死んだ魚のような目で呟いた。
王宮での謁見から一夜明け、彼は正式に『特別講師』として着任することになってしまったのだ。
辞令は絶対。拒否権はない。
しかも、国王の肝入り人事となれば、失敗した時の反動は「クビ」では済まない。「物理的な首」が飛ぶ。
「レン様、何を弱気なことを。ここが貴方様の新たな戦場(狩り場)です」
隣でセシリアが腕組みをして頷く。
彼女は今日からレンの「護衛兼助手」として学園に入ることになった。ボロボロだった鎧は新調され、純白の騎士服に身を包んでいる。無駄に凛々しい。すれ違う女子生徒たちが「きゃあ、麗しい……」と頬を染めるレベルだ。
「フフフ……。貴族の温室育ちどもに、深淵の恐怖(トラウマ)を植え付ける時が来たようですね」
反対側では、アリアが黒いローブ(学園指定の制服を勝手に改造したもの)を翻し、不吉な笑みを浮かべている。彼女も「特待生兼助手」として強引に入学手続きを済ませていた。
ちなみにガレスは「裏から手を回す」と言って別行動を取り、ルナは「学園の影を掃除する」と言って天井裏に消えた。
カオスだ。
教育機関に持ち込んでいい人材ではない。
馬車が本館の正面玄関に横付けされる。
待ち構えていたのは、教職員の一団だった。
全員が高級そうなローブやスーツを纏い、その表情は一様に硬い。
特に、中央に立つ鷲鼻の男――教頭のゴートは、あからさまに敵意のこもった視線をレンに向けていた。
「……ようこそ、クロウリー先生。国王陛下の御推薦とはいえ、このような『平民』をお迎えすることになるとは、学園の歴史始まって以来の珍事ですな」
開口一番、嫌味の洗礼だ。
ゴート教頭は、鼻の頭に分厚い眼鏡を乗せ、神経質そうに指でそれを押し上げた。
周囲の教師たちからも、嘲笑とも憐憫ともつかない空気が漂う。
「魔力ゼロの一般人が、魔法のエリート校で何を教えるんだ?」という無言の圧力が、レンの胃を締め上げる。
(うわぁ、めっちゃ歓迎されてない。帰っていい? 今すぐ回れ右していい?)
レンの心臓は早鐘を打っていた。
だが、ここで萎縮すれば、生徒たちにナメられ、授業崩壊、そして国王の不興を買って処刑コースだ。
レンは震える足を叱咤し、馬車から優雅に降り立った。
そして、ゴート教頭の目を真っ向から見据える。
「……丁寧な出迎え、感謝するよ。教頭」
レンは口角だけで笑った。
ゴートが眉をひそめる。
「フン。余裕があるのも今のうちです。……職員室へ案内しましょう。貴方の担当クラスについて『重大な説明』がありますのでね」
ゴートが背を向け、大股で歩き出す。
レンたちはその後ろについた。
*
職員室に通されたレンは、上座のソファに座らされた。
対面にはゴート教頭。その周囲を、魔導学や戦術学の教師たちが取り囲んでいる。
完全な包囲網。
まるで異端審問のような雰囲気だ。
「単刀直入に言いましょう」
ゴートは手元の資料を机に叩きつけた。
「我々は、貴方を認めていない。魔力を持たぬ者が魔法を語るなど、鳥のいない空を語るようなもの。……陛下が何をお考えかは存じませんが、この学園にはこの学園の『品格』があるのです」
「……それで?」
「貴方には『特別クラス』を担当していただきます。……通称、廃棄物処理場(ダストボックス)。素行不良、魔力制御不全、あるいは家柄だけの無能……学園の面汚しを集めたクラスです」
ゴートがニヤリと歪んだ笑みを浮かべる。
「もし、一ヶ月以内に彼らを更生させ、何らかの成果を出せなければ……貴方には自主退職していただきます。当然、陛下には『能力不足』と報告させていただきますが」
事実上の追放宣告だ。
周囲の教師たちがクスクスと笑う。
セシリアが殺気を放ち、アリアが杖に手をかける。
(待て待て、ここで暴れたら俺の立場がない!)
レンは目で二人を制し、ゆっくりと息を吐いた。
そして、観察(スキャン)を開始する。
ターゲットは、目の前で勝ち誇っているゴート教頭。
(……この男、焦っているな)
レンの目は、ゴートの微細な違和感を捉えていた。
まず、**左手**。
机の上で組まれた両手のうち、左手の親指が小刻みに震えている。
次に、**匂い**。
強力なハッカの香りがする。口臭ケア用のハーブだ。だが、その奥にかすかに漂う、甘ったるい発酵臭。
そして、**目**。
白目の部分が充血しているが、それを魔法薬か何かで無理やり白く見せている痕跡がある。瞬きの回数が異常に多い。ドライアイだ。
情報を結合する。
朝一番の会議。手の震え(アルコール離脱症状の初期)。ハッカによる隠蔽。充血。
結論は一つ。
(……二日酔いか。いや、まだ抜けてないな。朝まで飲んで、そのまま出勤したのか)
さらに、彼の視線が頻繁に壁掛け時計に向けられている。
「早くこの茶番を終わらせて、水を飲みたい(あるいは迎え酒をしたい)」という生理的欲求の表れだ。
レンは深くソファに背を預け、足を組んだ。
そして、唐突に言った。
「……教頭。水、飲みますか?」
ゴートの動きがピクリと止まった。
「……は? 何を言って……」
「喉が渇いているんでしょう? 脱水症状だ。……昨晩の『深酒』が、まだ残っているようだね」
その瞬間、職員室の空気が凍りついた。
ゴートの顔色が、怒りの赤から、恐怖の青へと変わる。
「な、ななな、何を馬鹿な! 私が酒など……神聖な学園に持ち込むわけが……!」
「僕は『持ち込んだ』とは言っていないよ。……『外で飲んで、そのまま来た』と言っているんだ」
レンは畳み掛ける。これは『ダブルバインド』の応用だ。否定すればするほど、墓穴を掘る。
「そのハッカの香り。……『銀の葡萄亭』特製のブランデーの匂いは、ハーブ程度じゃ消せないよ。それに、左手の震え。……血糖値が下がっている証拠だ」
店名は適当だ。王都で一番高い酒場の名前を出しただけだ。だが、ゴートのような見栄っ張りの権力者が安酒を飲むはずがない。高い確率で当たる。
そして、もし外れていても、「なぜ店名を知っている?」という動揺を誘える。
ゴートの目が泳いだ。
図星だ。
周囲の教師たちが、疑いの目を教頭に向ける。
「教頭、まさか……」「だから朝からハッカの匂いが……」
「き、貴様……!」
「安心してください。陛下には黙っておきますよ」
レンはニッコリと、悪魔のような慈悲深い笑みを浮かべた。
「誰にでも息抜きは必要だ。……特に、無能な部下や、言うことを聞かない生徒たちに囲まれていれば、ストレスも溜まるでしょう?」
これは『ラポール(信頼関係)』の強制構築だ。
相手の弱みを握りつつ、「私は貴方の苦労を理解していますよ」という共感を示すことで、相手を心理的に支配下に置く。
ゴートはパクパクと口を開閉させた後、ガクリと項垂れた。
完全に戦意喪失だ。
ここでレンを否定すれば、自分の飲酒疑惑を追及される。認めるしかない。
「……わ、わかった。……クロウリー先生の着任を、認めよう……」
ゴートは絞り出すように言った。
「ただし! 特別クラスの担任であることは変わりませんからね! あそこには……貴方の手には負えない『怪物たち』がいるのですから!」
捨て台詞を吐き、ゴートは逃げるように席を立った。
「と、トイレだ!」と言い残して部屋を出て行く。
静まり返る職員室。
レンは残された教師たちを見回した。
「……さて。他に僕の『目』を試したい方は?」
教師たちが一斉に目を逸らした。
誰も、自分の秘密を暴かれたくはない。
レンは内心で(よっしゃあ! 制圧完了! これで職員室でのいじめは回避できた!)とガッツポーズをした。
「では、教室へ案内してもらおうか」
レンは立ち上がり、セシリアとアリアを引き連れて職員室を後にした。
廊下に出た瞬間、レンは壁に手をついた。
足がガクガク震えている。
「……お兄ちゃん、すごーい! あの意地悪そうな眼鏡、泣きそうな顔してたよ!」
天井裏からルナの声が降ってくる。
「……レン様。見事な交渉術でした。敵の弱点を瞬時に見抜き、恩を売って口を封じる。まさに外交の極意」
「フフフ……やはり師匠は、人の業(カルマ)を見通す魔眼の持ち主……」
仲間たちが勝手に評価を上げている。
違う。ただのハッタリだ。
レンは深いため息をつき、廊下の先を見た。
そこには、隔離された別棟――通称『廃棄物処理場』へと続く道がある。
(……教頭があれだけ脅すってことは、相当ヤバい生徒がいるってことだよな……)
レンの胃痛は、まだ始まったばかりだった。
彼を待ち受けるのは、王立学園きっての問題児たち。
そしてその中には、昨日会ったばかりのあの人物――第一王子テオドールの姿もあった。
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