第2章第1節 伏魔殿への行進と、試されるメッキ

 ロムレス王国の心臓部、王城『白亜の宮殿』。

 その威容は、見る者を圧倒する。高くそびえる尖塔、磨き上げられた大理石の回廊、そして至る所に配置された近衛騎士たち。

 まさに権力の象徴。


 その巨大な門をくぐり抜けた馬車の中で、レン・クロウリーは酸欠になった金魚のように口をパクパクさせていた。


(……デカい。デカすぎる。そして空気が重い。なんだこのプレッシャーは。ここ酸素濃度薄くないか?)


 レンの胃袋は限界を迎えていた。

 スラムでの一件から休む間もなく連行され、今まさに、この国の最高権力者たちが待ち受ける伏魔殿へと放り込まれようとしているのだ。

 手足の先が冷たい。心臓が早鐘を打っている。

 逃げたい。今すぐこの馬車から飛び降りて、田舎で農業でも始めたい。


「……レン様。顔色が優れませんが」


 対面に座るセシリアが、心配そうに声をかけてきた。

 彼女はボロボロの鎧姿のままだが、その背筋は剣のように伸び、瞳には決意の炎が宿っている。

 かつて自分が守っていた城に、罪人としてではなく「英雄の剣」として帰還した高揚感が、彼女を奮い立たせているようだ。


「……問題ない。城の結界が放つ魔力の波長が、僕の『深淵』と共鳴して少しノイズになっているだけだ」

「なんと……! 王城の古代結界すら感知されるとは。やはりレン様の知覚領域は人の域を超えています」


 ガレスが感心したように頷く。

 嘘だ。ただの乗り物酔いと緊張だ。

 隣では、アリアが窓の外を睨みつけながらブツブツと呟いている。


「ククク……見えるぞ。城全体を覆う偽りの繁栄のオーラが……。だが、師匠(マスター)と私が足を踏み入れた瞬間、その偽りは崩壊し、真なる闇が――」

「アリア、静かに。衛兵に聞こえる」


 レンは中二病の弟子の口を物理的に塞ぎたい衝動を抑え、馬車を降りた。


 待ち受けていたのは、宰相ゼクスと数十名の近衛騎士たちだった。

 ゼクスは不愉快そうに鼻を鳴らし、レンたちを一瞥した。


「……フン。神聖なる王城に、ドブネズミの臭いが染み付くわ。……ついてこい。陛下がお待ちだ」


 ゼクスが踵を返す。

 レンたちは、その後ろを歩かされる。

 長い回廊。

 すれ違う貴族や官僚たちが、レンたちを見てヒソヒソと囁き合う。


「あれが噂の?」

「スラムの詐欺師だろう?」

「隣にいるのは、あの『売国奴』セシリアか……」

「薄汚い」


 嘲笑、蔑み、そして好奇の視線。

 針のむしろだ。

 セシリアが悔しげに唇を噛み、拳を握りしめる。ガレスも険しい表情だ。

 だが、レンだけは無表情を貫いていた。

 いや、表情筋が凍りついて動かないだけなのだが、傍目には「雑音など意に介さない賢者」に見える。


(……落ち着け。ビビるな。ここで動揺したら負けだ。俺は賢者。俺はメンタリスト。俺は……最強……!)


 自己暗示をかけながら、レンは謁見の間への扉をくぐった。


          *


 『謁見の間』。

 高い天井に描かれた宗教画。赤い絨毯。

 その最奥の玉座に、一人の老人が座っていた。

 国王、ロムレス三世。

 かつては賢王と呼ばれた男だが、今の彼は痩せ細り、眼窩は落ち窪み、まるで蝋人形のように生気がない。

 その横に、尊大な態度で立っている金髪の青年がいる。

 第一王子、テオドール。

 派手な装飾の服を着込み、レンたちを見下ろすその目には、隠しきれない傲慢さと浅はかさが滲んでいる。


「……面を上げよ」


 テオドールが気だるげに言った。

 レンたちは跪き(レンは足が震えていたので、跪く動作が一番安定して助かった)、顔を上げる。


「貴様か。市井で騒ぎを起こし、『賢者』などと自称している不届き者は」


 テオドールの声には、明確な敵意があった。

 隣のゼクスが、ニヤリと陰湿な笑みを浮かべている。

 完全に出来レースだ。

 国王が目覚めたというのは事実かもしれないが、まだ意識は混濁しているのだろう。実権を握っているのは、依然としてゼクスとこの王子だ。


「自称した覚えはありません。周囲がそう呼ぶだけです」


 レンは静かに答えた。

 テオドールが眉を跳ね上げる。


「口答えか。……ふん、まあいい。父上が『会いたい』と寝言を言ったから呼んでやったが、どうせまぐれ当たりの手品師だろう。……ゼクス、この男の化けの皮を剥いでやれ」

「御意」


 ゼクスが一歩進み出た。

 その手には、水晶玉のような魔道具が握られている。


「これは『真実の宝珠』。高位の鑑定魔法が封じられており、対象の魔力保有量と属性を瞬時に暴き出す国宝です」


 ゼクスは勝ち誇った顔でレンを見下ろした。


「レン・クロウリー。貴様が本当に魔狼を一撃で葬るほどの力を持っているなら、この宝珠が眩い光を放つはずだ。……さあ、手をかざしてみろ」


 ――詰んだ。

 レンの背中を冷たい汗が伝う。

 魔力ゼロ。

 手をかざした瞬間、宝珠は沈黙し、レンが「ただの一般人」であることが科学的に証明される。

 そうなれば、即座に「王家を欺いた罪」で処刑だ。


(……罠だ。最初から俺を処刑するために呼んだんだ)


 セシリアが気配を変えた。腰の剣(城に入る前に支給された儀礼剣)に手を伸ばそうとする。

 ガレスも身構える。

 アリアに至っては、「フフフ……愚かな。私の魔力を測定しようなどと、そのガラス玉が耐えられるかな?」と、なんか逆にやる気になっている。

 全員、暴れる気満々だ。


 ダメだ。ここで武力衝突すれば、全員逆賊として殺される。

 レンは脳をフル回転させた。

 逃げ道はない。魔力がないことは誤魔化せない。

 ならば――。


(……論点をずらすしかない)


 レンはゆっくりと立ち上がった。

 周囲の騎士たちが槍を構える。


「何をしている? 早く手をかざせ」


 ゼクスが急かす。

 レンは水晶玉を一瞥し、そして――鼻で笑った。


「……くだらない」


 その一言は、静まり返った謁見の間に大きく響いた。


「な、なんだと……?」

「一国の宰相ともあろうお方が、そんな『玩具』で人を値踏みするとはね。……僕を試したいなら、そんなガラス玉よりも確かな方法があるでしょう?」


 レンはゼクスから視線を外し、玉座のテオドール王子を直視した。

 不敬極まりない行為。

 だが、レンの瞳は「観察眼」によって極限まで研ぎ澄まされていた。


(瞳孔の微細な揺れ。左手で玉座の肘掛けを何度も叩く仕草。そして、頻繁にゼクスの方をチラ見する視線移動。……承認欲求と不安の塊だ。この王子、自分が『王の器』であるかどうかに自信がない。だからゼクスの言いなりになっている)


 レンは賭けに出た。

 『コールドリーディング』による、王子の心理的マウント崩し。


「テオドール殿下。貴方はいま、退屈されている。……違いますか?」


 テオドールが虚を突かれた顔をした。


「……は?」

「貴方は、心のどこかで思っているはずだ。『なぜ自分は、いつも誰かの顔色を窺わなければならないのか』と。……偉大なる父王、そして口うるさい宰相。貴方は彼らの影に怯え、自分自身の言葉で語ることを恐れている」


 図星だ。

 テオドールの顔が紅潮した。怒りか、羞恥か。


「き、貴様……! 無礼な……!」

「僕は『目』がいいと言ったはずです」


 レンは畳み掛ける。

 一歩、また一歩と玉座へ近づく。騎士たちが止めようとするが、レンの堂々たる歩調に、思わず道を空けてしまう。


「貴方のその焦り。……爪を噛む癖に現れていますよ」


 レンが指差したのは、テオドールの右手親指だ。

 綺麗に手入れされているが、爪の先がわずかにギザギザになっている。ストレスによる爪噛みの痕跡。

 至近距離での観察(スキャン)でしかわからない情報を、さも「心を見透かした」かのように突きつける。


「なッ……!?」


 テオドールが慌てて手を隠した。

 その反応こそが、肯定の証。

 謁見の間がざわめく。

 「殿下が爪を?」「まさか……」

 空気が変わった。

 「詐欺師の尋問」から、「王子の秘密の暴露」へと、主導権が移ったのだ。


 ゼクスが焦って叫ぶ。


「だ、黙らせろ! 殿下を侮辱する気か! 斬り捨てろ!」


 騎士たちが抜剣する。

 殺気がレンに集中する。

 (ひいいっ! やめて! 刃物向けないで! 俺の寿命が縮む!)

 レンの内面は悲鳴を上げているが、ここで引くわけにはいかない。


 その時。

 レンの背後から、黒い影が飛び出した。

 アリアだ。


「師匠への無礼……万死に値するッ!」


 アリアが杖を構える。

 詠唱を始める気だ。いや、この距離で魔法を撃てば、王族殺しの大罪人になる。

 それだけは阻止しなければならない。


「アリア、待て!」


 レンが叫ぶよりも早く、アリアの杖の先から紫の火花が散った。

 詠唱の初期段階。威嚇射撃のような小規模な爆発。

 パンッ!

 乾いた音が響き、ゼクスの持っていた『真実の宝珠』が粉々に砕け散った。


「あ……」

「なッ……!?」


 全員が凍りついた。

 アリアが「あ、やっちゃった」という顔をしている。

 国宝を破壊した。

 これは言い逃れできない。


 ゼクスが顔を真っ赤にして絶叫した。


「き、き、貴様ァァァッ!! 国宝を! 謀反だ! 全員殺せ! 今すぐ串刺しにしろ!!」


 騎士たちが一斉に襲いかかる。

 セシリアが剣を抜き、応戦しようとする。

 乱戦必至。

 血の海になる未来が見える。


(終わった……。何もかも終わった……)


 レンが絶望の淵に立たされた、その瞬間だった。


「――控えよ」


 しわがれた、しかし雷鳴のような声が、玉座から響いた。

 テオドールではない。

 その隣。

 今まで死んだように眠っていた、国王ロムレス三世が、カッと目を見開いていた。


「へ、陛下……!?」


 ゼクスが動きを止める。騎士たちも硬直する。

 ロムレス三世は、震える手で玉座の肘掛けを掴み、痩せこけた体を起こした。

 その瞳は、病人のものではなかった。

 かつて賢王と呼ばれた男の、理知と威厳に満ちた眼光。

 その目が、真っ直ぐにレンを射抜いた。


「……面白い」


 国王は、口の端を歪めて笑った。


「宝珠などというまやかしを使わず、言葉一つで息子の心の鎧を剥ぎ取り……挙句、国宝を爆破するとは。……痛快だ」


 場が静まり返る。

 国王の真意が読めない。怒っているのか? 楽しんでいるのか?


「ゼクスよ。……その男は『本物』だ」

「は、はい……? し、しかし陛下、魔力測定もまだ……」

「黙れ。余の目が節穴だと言うのか?」


 国王の一喝に、ゼクスが縮み上がる。

 国王はレンに向き直り、ニヤリと笑った。


「レン・クロウリーと言ったな。……気に入った。貴様を『王立学園』の特別講師に任命する」


 ――は?


 レンの思考が停止した。

 学園? 講師?

 処刑じゃなくて?


「我が国の未来を担う若者たちを、その『目』と『度胸』で鍛え上げよ。……テオドール、貴様もだ。貴様もその男から、王としての器を学べ」


 国王の無茶振りに、テオドールが「ち、父上!?」と素っ頓狂な声を上げる。

 ゼクスは「な、何を血迷ったことを……!」と狼狽している。


 レンは呆然と立ち尽くしていた。

 助かった。

 助かったが……なんか変な方向に話が進んでいないか?

 王立学園。そこは、貴族の子弟や、魔法の才能を持つエリートたちが集まる場所。

 魔力ゼロの自分が、そこで講師?

 しかも、中二病のアリアや、堅物騎士のセシリアもセットで?


(……もしかして、処刑された方がマシだったんじゃないか?)


 レンの予感は的中する。

 そこは、戦場よりもタチの悪い、エリートたちのプライドと嫉妬が渦巻く「学園」という名の新たな戦場だったのだ。


「……謹んで、お受けいたします」


 レンは優雅に一礼した。

 顔は笑っているが、胃の中では強烈な酸が暴れ回っていた。

 こうして、勘違いから始まったレンのサクセスストーリーは、学園編へと突入することになったのである。

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