第1章第7節 噛み合わない歯車と、詠唱しない魔導師

 スラムの廃墟地帯。

 崩れかけたレンガの壁と、不法投棄されたガラクタの山を背に、レン・クロウリーは今日何度目かの絶望を味わっていた。


「……師匠! 私の『魔力制御』はどうでしたか!? あの深淵の炎を、呼吸だけで鎮めるとは……やはり師匠の理論は画期的です!」


 中二病の魔導師アリアが、レンの腕に抱きつきながら目を輝かせている。

 彼女の服は焦げ跡だらけだが、その表情は恋する乙女のように上気していた。

 近い。そして重い。

 物理的な重さではない。彼女が背負っている「設定」と「期待」が重すぎるのだ。


「……ああ、悪くなかったよ。だが、少し離れようか。歩きにくい」

「はいっ! 申し訳ありません! 師匠の歩調(神の領域)を乱すなど、弟子の不覚!」


 アリアはパッと離れ、今度はレンの斜め後ろ三歩の位置(影を踏まない距離らしい)をキープし始めた。

 反対側には、鉄パイプを聖剣のように構えたセシリア。

 背後には、周囲を警戒する老執事ガレス。

 そして足元には、呆れた顔のルナ。


(なんだこのパーティー……。バランスが悪すぎるだろ……)


 前衛:武器なし(鉄パイプ)。

 後衛:中二病(暴走癖あり)。

 指揮官:詐欺師(戦闘力ゼロ)。


 レンが胃の痛みを堪えながら、早く自宅(ボロ小屋)へ戻ろうと足を速めた、その時だった。


 ――グルルルルゥ……。


 低い、地鳴りのような唸り声が響いた。

 空気がビリビリと震える。

 スラムの野犬ではない。もっと異質で、凶暴な捕食者の気配。


「……レン様。来ます」


 セシリアが短く警告し、前へ出る。

 次の瞬間、ガラクタの山が弾け飛んだ。

 土煙の中から飛び出してきたのは、巨大な黒い影。

 全長三メートルはある四足獣。狼に似ているが、その体毛は鉄針のように硬く逆立ち、口からは紫色のよだれを垂れ流している。


「『魔狼(ダーク・ウルフ)』か!? なぜこんな街中に!」


 ガレスが叫ぶ。

 レンは一瞬で理解した。

 (アリアだ! さっきこいつが撒き散らした魔力に引き寄せられてきたんだ!)

 魔物は高濃度の魔力に集まる習性がある。アリアという極上の餌に釣られて、森から降りてきたのだろう。


 魔狼が赤い瞳でレンたちを睨みつける。

 その殺気に、レンの膝が笑い出した。ガクガクと小刻みにリズムを刻む。

 (ひいいぃぃ! デカい! 動物園のライオンよりデカい! 無理無理、あんなのに噛まれたら上半身なくなる!)


 逃げたい。今すぐルナを抱えてダッシュで逃げたい。

 だが、背後にはアリアとガレスがいる。ここで背中を見せれば、指揮系統が崩壊して全滅だ。

 レンは引きつる頬を必死に抑え、震える指先をマント(ボロ布)の下に隠した。


「……騒ぐな。たかが野良犬だ」


 レンは虚勢を張った。

 その言葉を合図に、セシリアが動く。


「はッ! レン様の手を煩わせるまでもありません!」


 セシリアが鉄パイプを振りかざし、魔狼に突っ込む。

 速い。腐っても元近衛騎士団長だ。

 ガギィンッ!

 鉄パイプが魔狼の頭蓋を叩く鈍い音が響く。

 しかし、魔狼は怯まない。その鋼鉄のような毛皮が衝撃を吸収したのだ。逆に、錆びついた鉄パイプの方が「くの字」に曲がってしまった。


「なッ……!? 硬い!」

「グルァァァッ!」


 魔狼が前足を振るう。

 セシリアは紙一重で回避するが、衝撃波で後方へ吹き飛ばされた。

 地面を転がり、レンの足元で止まる。


「くっ、申し訳ありません……! 武器さえあれば……!」

「謝る暇があったら構えろ。来るぞ」


 レンは冷静(に見えるよう)に告げた。

 物理攻撃が通じないなら、魔法だ。

 レンは視線をアリアに向けた。彼女は魔力満タンだ。一発で消し炭にできるはずだ。


「アリア! あの駄犬を燃やせ! 最大火力だ!」

「承知しました、師匠(マスター)!」


 アリアが前に進み出る。

 黒いドレスを翻し、右手を突き出す。

 よし、いけ。やれ。

 レンが期待を込めて見守る中、アリアは目を閉じ、不敵な笑みを浮かべたまま――黙り込んだ。


 ……シーン。


 1秒。2秒。3秒。

 何も起きない。

 魔狼が「あ?」という顔で首を傾げている。


「……アリア? 何をしている? 早く撃て」

「ふっ……集中しております。師匠のように、言葉を介さず、魂で世界(システム)に干渉するイメージを……」


 アリアの額に青筋が浮かんでいる。

 唸り声を上げて力んでいるが、火花一つ出ない。


 ――は?

 レンの思考が一瞬停止した。

 そして、戦慄の事実に気づく。


(こ、こいつ……まさか『無詠唱』で撃とうとしてるのか!?)


 アリアは天才だが、無詠唱魔法は達人クラスでも難しい高等技術だ。ましてや、彼女はさっきレンに出会って「無詠唱すげー!」と感化されたばかりの初心者。できるわけがない。

 だが、彼女のプライド(とレンへの信仰心)が、普通の詠唱を許さないのだ。

 『師匠が詠唱していないのに、弟子が詠唱するなんてダサい真似はできない』という、謎の縛りプレイを発動している。


「いや、詠唱しろよ! 声に出せ! 死ぬぞ!?」


 レンがつい本音で叫ぶ。

 だが、アリアはニヤリと笑った。


「ご冗談を。これは師匠からの試練……。言葉(ロゴス)に頼らずとも、私の『黒炎』は顕現する……!」

「顕現してねえよ! ただの便秘みたいな顔になってるだけだよ!」


 その隙を、野生の本能は見逃さなかった。

 魔狼が、無防備なアリアに向かって跳躍した。

 巨大な牙が、少女の細い首に迫る。


「アリアッ!」


 セシリアが叫ぶが、間に合わない。

 アリアが目を開け、迫り来る死に気づいて硬直する。

 終わった。

 誰もがそう思った瞬間。


 レンの体が、思考より先に動いていた。

 彼はアリアの前に滑り込み、両手を広げて立ちはだかった。


(あ、死んだ。俺死んだ。なんで飛び出しちゃったんだ俺の馬鹿アアアア!)


 レンの脳内は走馬灯モードだ。

 だが、体は勝手に「仕事」をしていた。

 前世で山岳ロケに行った際、クマに遭遇した時の対処法。

 動物行動学(エソロジー)の鉄則。

 『背中を見せるな』。『目を逸らすな』。そして――『自分を巨大に見せろ』。


 レンはボロ布のマントをバサリと大きく広げた。

 同時に、腹の底から、人間のものとは思えない低音の咆哮を上げた。


「――『待て(ステイ)』ッ!!!」


 それは言葉ではない。

 喉の奥を鳴らし、相手の威嚇音に周波数を合わせた『擬似咆哮』。

 さらに、レンの『観察眼』が魔狼の視線を捉え、その奥にある本能の中枢を射抜く。

 『捕食者』としての絶対的な自信(ハッタリ)を目に込める。


 魔狼が空中でピクリと反応した。

 目の前の獲物が、突然「巨大化」し、自分よりも上位の捕食者のような「殺気」を放ったように錯覚したのだ。

 野生動物にとって、未知の強者への攻撃はリスクでしかない。

 魔狼は空中で無理やり体を捻り、レンの目の前、鼻先数センチのところに着地した。


 ズザザザ……ッ!

 鋭い爪が地面を削る。

 レンの目の前に、凶悪な牙と、生臭い息がある。

 心臓が止まりそうだ。いや、もう止まっているかもしれない。

 だが、レンは瞬き一つしなかった。

 瞬きをした瞬間、食われる。


「……いい子だ」


 レンは震える声を、喉の奥で殺して低音に変えた。

 そして、ゆっくりと、極めてゆっくりと右手を上げる。

 攻撃の予備動作ではない。「撫でる」ような動作。


「そこでお座りしていろ。……動けば、殺す」


 最後の単語に、明確な殺意(という名の恐怖心)を込める。

 魔狼の耳がペタリと伏せられた。

 尻尾がわずかに下がる。

 困惑。恐怖。

 (なんだこいつは? なぜ逃げない? なぜこんなに堂々としている? もしや、群れのボス級なのか?)

 魔狼の本能が、レンを「危険生物」認定し始めていた。


 レンは視線を魔狼に固定したまま、背後のアリアに囁いた。


「……アリア。聞こえるか」

「は、はい……!」

「君の無詠唱へのこだわりは理解した。だが、今は『特別授業』だ」


 レンは口から出まかせを紡ぐ。

 アリアに魔法を撃たせるための、最高に厨二病心をくすぐる言い訳を。


「あの獣は、古代の呪いに侵されている。通常の無詠唱魔法では、その呪いを貫通できない」

「な、なんですって……!?」

「だから、許可する。……『言霊(コトダマ)』による増幅術式(ブースト)を使え。全力の詠唱で、奴の魂ごと浄化してやれ」


 アリアの表情が、驚きから歓喜へと変わった。

 「未熟だから詠唱しろ」ではない。「強敵だから限定解除しろ」という指示。

 それは、彼女の琴線にこれ以上ないほど触れた。


「承知しました……! 師匠の許可が出たのなら、容赦は不要……!」


 アリアが立ち上がる。

 その体から、先ほどとは比べ物にならない濃密な魔力が溢れ出す。

 今度は迷いがない。

 彼女は杖を構え、高らかに叫んだ。


「――闇より出でて、闇より暗き漆黒よ! 我が右腕の封印を解き放ち、愚かなる獣に終焉を与えよ! 穿て! 『黒炎の葬列(ブラック・レクイエム)』ッ!!」


 長い。無駄に長い詠唱。

 だが、その効果は絶大だった。

 杖の先から、奔流のような黒い炎が渦を巻いて放たれた。


「グルァッ!?」


 魔狼が反応する間もなかった。

 黒炎の直撃を受け、巨体が吹き飛ぶ。

 ドォォォォォォンッ!!

 ガラクタの山ごと、魔狼が爆炎に包まれた。

 夜空を焦がすほどの火柱。スラムのボロ家が数軒、衝撃波で吹き飛ぶ。


(やりすぎだ馬鹿野郎オオオオオオ!!)


 レンは爆風に煽られながら、必死にマントで顔を隠した。

 火柱が収まった後には、黒焦げになった地面と、炭になった魔狼(だったもの)が転がっていた。


 静寂。

 そして、アリアが肩で息をしながら、恍惚とした表情でレンを振り返った。


「やりました……! 見ましたか師匠! これが、言霊による増幅……!」

「……ああ。見事だ」


 レンは引きつった顔で頷いた。

 腰が抜けて立てないのを、「余韻に浸っている」ように見せかけて誤魔化す。


 セシリアが、ガレスが、そしてルナが、畏怖の眼差しでレンを見つめていた。


「……魔狼を、殺気だけで制止させるとは」

「アリア殿のあのような大魔法を、的確に指示して制御するとは……」

「やっぱりお兄ちゃんは最強だね!」


 違う。

 全部、綱渡りの結果オーライだ。

 レンは深く、長くため息をついた。


「……帰ろう。今度こそ、本当に休ませてくれ」


 レンの切実な願いは、夜風に溶けて消えた。

 こうして、凸凹だらけの「メンタリスト・パーティ」の初陣は、街の一角を消し飛ばすというド派手な戦果(被害)と共に幕を下ろしたのである。


 だが、彼らはまだ知らない。

 この騒動が、王宮の奥深くに潜む「真の敵」の目を、ついに覚ましてしまったことを。

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