第1章第6節 深淵の少女と、暴走する厨二病
スラム街の北外れにある『幽霊屋敷』。
かつては没落した貴族の別邸だったらしいが、今は屋根が抜け、壁は蔦に覆われた廃墟と化している。
その庭先から、不気味な紫色の閃光と、爆発音が断続的に響き渡っていた。
「くっ、やはり魔物の襲撃か!?」
「急ぎましょう、レン様!」
セシリアとガレスが、現役時代さながらの速度で路地を駆け抜ける。
その後ろを、レンは死にそうな顔で追いかけていた。
体力が違う。Eランクの身体能力にとって、この全力疾走は拷問に近い。肺が焼けそうだ。
(待って……速い……置いてかないで……! いや、むしろ置いていってくれ! 俺は行きたくないんだ!)
レンは心の中で悲鳴を上げていた。
爆発の正体が何であれ、巻き込まれたらタダでは済まない。
しかし、「王の器」としての演技を始めてしまった以上、民の危機に背を向けるわけにはいかないのだ。
「お兄ちゃん、あそこ!」
先導していたルナが足を止め、廃屋の前を指差した。
そこには、異様な光景が広がっていた。
半壊した屋敷の前庭に、一人の少女が立っていた。
年齢は十六、七といったところか。
黒のゴシックドレス(ボロボロだが仕立ては良い)を纏い、左目に眼帯をしている。
彼女の周囲では、紫色の炎が不規則に噴き上がり、地面を焦がしていた。
「来るな……! 近寄るなァ! 我が右腕に封印されし『黒の戦慄(ブラック・ナイトメア)』が解放される前に、立ち去れェェッ!」
少女は叫びながら、自身の右腕を左手で必死に抑え込んでいた。
その右手からはバチバチと魔力の火花が散っている。
そして、彼女を取り囲むように、二十人ほどのスラムの住人が農具や石を手に殺気立っていた。
「悪魔だ! 魔女だ!」
「この街から出て行け!」
「焼き殺せ!」
恐怖に駆られた群集心理。
一人が投げた石が、少女の額に当たった。
赤い血が流れる。
少女は悲鳴を上げるどころか、さらに狂ったように笑い出した。
「ククク……愚かな人間どもよ。我が結界(ただの防御反射)を破るとは……。だが、これ以上私を刺激すれば、この街ごと消し炭になるぞ……!」
言葉とは裏腹に、彼女の足はガクガクと震え、目尻には涙が溜まっている。
(……あちゃー)
現場に到着したレンは、一瞬で状況を理解し、天を仰ぎたくなった。
あれは魔物でも悪魔でもない。
ただの『魔力暴走(オーバーロード)』を起こした、重度の中二病患者だ。
「レン様。あのアウラ(雰囲気)……ただ者ではありません」
セシリアが鉄パイプを構え、神妙な顔で分析を始める。
「右腕を抑えているのは、強大すぎる魔力の奔流を肉体で留めている証拠。あの紫の炎も、通常の火魔法とは理(ことわり)が違う。……おそらく、古代語魔法の使い手かと」
「……」
レンはジト目でセシリアを見た。
違う。そうじゃない。
レンの『観察眼』が見ている情報は、もっと残酷な現実だ。
(過呼吸気味の浅いブレス。瞳孔の収縮と散大の繰り返し。そして何より、右腕の筋肉は『抑えている』のではなく『痙攣している』だけだ。魔力の暴走に体がついていけず、パニックを起こしている)
彼女は攻撃しようとしているのではない。
制御できない魔力が勝手に漏れ出し、それが周囲を破壊していることに、彼女自身が一番怯えているのだ。
だが、プライドが高い(あるいは中二病設定を守る)ために、「助けて」と言えず、「近寄るな(私が暴走したらあなたたちが危ないから)」という警告を、あんな魔王のような口調で叫んでしまっている。
その結果、住民との間に致命的なコミュニケーション不全(ディスコミュニケーション)が起きている。
「殺せ! 魔女を殺せ!」
住民たちの恐怖が臨界点を超え、一斉に襲いかかろうとした瞬間。
「――待て」
レンの声が、戦場に響いた。
決して大きくはない。だが、よく通る声。
同時に、セシリアが地面を蹴り、住民と少女の間に割って入った。
ブンッ!
鉄パイプが一閃され、地面に線が引かれる。
「この線を超えた者は、王家の敵とみなす」
氷のような殺気。
暴徒と化した住民たちが、ピタリと動きを止めた。
その隙間を縫って、レンが悠然と歩み出る。
「れ、レンだ……」
「またあいつか……」
さきほどの噂が効いているのか、住民たちが道を空ける。
レンは少女の正面に立った。
間近で見ると、彼女の状態の酷さがよくわかる。顔色は蒼白、脂汗まみれ。魔力枯渇の一歩手前だ。
「……何奴だ。貴様も、我が『深淵』に惹かれた羽虫か?」
少女は荒い息を吐きながら、眼帯の奥からレンを睨みつけた。
レンはため息をつきたいのを堪え、静かに口を開いた。
「君、辛くないかい?」
「……は?」
「その右腕。痺れているだろう? 視界もチカチカしているはずだ。……過換気症候群(ハイパーベンチレーション)だ。息を吸いすぎている」
レンの指摘に、少女の表情が凍りついた。
設定(ロールプレイ)を無視した、あまりに現実的な診断。
「な、何を……私は、闇の眷属として……」
「『吸う』のをやめて、『吐く』ことに集中しろ。そうしないと、その炎はいつまで経っても消えないぞ」
レンは一歩近づく。
少女が後ずさる。
「く、来るな! 制御できないんだ! 離れないと、貴様も燃え尽きるぞ!」
ついに本音が漏れた。
紫の炎が大きく膨れ上がる。彼女の恐怖心に呼応して、魔力が暴走したのだ。
熱波がレンの頬を撫でる。
(熱っ! 普通に熱い! 眉毛焦げたかも!)
レンの内面は涙目だが、ここで逃げれば彼女もろとも燃えるだけだ。
レンは覚悟を決めた。
心理学の奥義『ペーシング(同調)』と『リーディング(誘導)』を使う。
相手の世界観(中二病設定)に乗っかり、その内側から誘導するのだ。
「……なるほど。制御できないのではない。力が『強すぎる』のか」
レンは演技がかった口調で言った。
「そ、そうだ! 我が魔力は無限! この器では収まりきらぬ!」
「ならば、その器、僕が補強してやろう」
レンは炎の中に手を突っ込んだ。
正確には、炎の「隙間」だ。不規則に揺らぐ炎のパターンを観察し、安全なルートを見極めて、少女の肩をガシッと掴んだ。
「ひっ!?」
「目を見ろ」
レンは少女の(眼帯をしていない方の)瞳を至近距離で凝視した。
強制的なアイコンタクト。
他者に触れられ、見つめられることで、彼女の意識は「暴走する魔力」から「目の前の男」へと強制的に切り替わる。これを『パターン・インタラプション(パターンの破壊)』という。
「いいかい。今から僕が『鍵』をかける」
レンはもっともらしい嘘をついた。
「君のその溢れ出る『深淵』を、僕の精神力で蓋をする。……呼吸を合わせろ。僕が吸ったら吸え。吐いたら吐け」
レンは大げさに息を吸い、そしてゆっくりと長く吐いた。
少女は戸惑いながらも、レンのリズムに合わせて呼吸を始めた。
吸って、吐いて。吸って、吐いて。
『呼吸同調(ブレス・ペーシング)』。
呼吸が整えば、副交感神経が優位になり、パニック状態が鎮静化する。精神が安定すれば、暴走していた魔力も自然と収まるはずだ。
「そうだ。上手いぞ。……感じるか? 『鎖』が君の力を縛っていくのを」
「う……うん……。く、鎖が……見える……」
見えてない。ただの暗示だ。
だが、思い込みの激しい彼女には効果覿面だった。
次第に、周囲の紫の炎が小さくなっていく。
右腕の痙攣も治まっていく。
「……鎮まった」
少女が呆然と呟いた。
周囲の住民たちも、セシリアも、ガレスも、目を見開いてその光景を見ていた。
彼らの目には、レンが「手をかざしただけで暴走魔法を消滅させた」ように見えている。
実際は、深呼吸をさせただけだ。
「ふぅ……」
レンは心の中で大量の冷や汗を拭いながら、少女の手を離した。
そして、キメ顔で告げる。
「暴走は止めた。だが、その『禁断の力』……一人で抱えるには重すぎるだろう?」
これは勧誘(スカウト)だ。
この少女、魔力の総量は桁違いだ。使いこなせれば、対ドラゴン戦での火力担当として使える。何より、今ここで恩を売っておけば、強力な手駒になる。
少女は潤んだ瞳でレンを見上げた。
その瞳に、強烈な崇拝の光が宿るのを、レンは見逃さなかった。
「……貴方、は……」
「レン・クロウリー。……通りすがりのメンタリストさ」
「メンタリスト……? そ、それは、古代語で『精神の支配者』を意味する言葉……!?」
勝手に解釈した。
「ああ、我が名はアリア! 深淵を統べる魔導師アリア・ミル・ヴァルデン! ……あ、貴方様こそ、私が探し求めていた『師(マスター)』……!」
アリアはその場に跪き、レンのボロボロの靴に額を擦り付けた。
「どうか! この愚かな弟子に、その『無詠唱魔法』の極意をご教授ください!」
「……え?」
レンの頬が引きつった。
無詠唱魔法?
違う。ただの深呼吸だ。
「先ほどの、炎の中に手を入れても焼かれない結界術……そして、言葉一つで私の魔力を封印した『呪言(カース)』……! 感動しました! 私も、貴方様のように『詠唱などという下等なプロセス』を省略し、真理に到達したいのです!」
――あ。
レンは悟った。
これが、地獄の始まりだと。
(待て待て待て! 俺は魔力がないから詠唱できないだけで、君は普通に詠唱してくれ! そうしないと火力が出ないだろ!?)
だが、アリアの瞳は「師匠と同じ高み(縛りプレイ)を目指す」という決意に燃えている。
背後では、セシリアとガレスが「おお、新たな戦力が……!」と頷き合っている。
レンは遠い目をした。
最強の火力職を手に入れたと思ったら、とんでもない不良債権だった。
「……とりあえず、場所を変えようか。住民たちの目もある」
レンは疲れ切った声で言った。
こうして、レンのパーティーに「中二病の魔導師」が加わった。
彼女が「詠唱してくれない」という問題にレンが頭を抱えることになるのは、もう少し先の話である。
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