第8話:北風と鉄、そして若き龍の迷い

幽州の冬は、容赦がない。

呂布軍が薊(けい)の城外に陣を構えてから、半月が過ぎようとしていた。

吹きすさぶ北風は、兵士たちの肌を切り裂くように冷たく、吐く息は瞬時に白く凍りつく。

だが、その極寒の大地にあって、呂布軍の駐屯地だけは異常な熱気に包まれていた。


「腰が高い! それで敵の突撃を受け止められるか!」


練兵場の中央で、華雄の怒号が飛ぶ。

彼が指導しているのは、歩兵部隊だ。その中には、洛陽からついてきた古参兵に加え、ここ幽州で新たに募集した新兵たちも混ざっている。

新兵の多くは、公孫瓚の圧政や異民族との争いで家族を失った若者たちだ。彼らの目には「強くなりたい」という渇望があるが、体格や技術はまだ未熟だった。


「華雄将軍! もう限界です! 足が動きません!」

「ああん? 限界だァ?」


華雄は、へたり込んだ新兵の前に仁王立ちした。

その手には、訓練用の棍棒が握られている。


「いいか、ガキども。戦場で『限界です』って言ってみろ。敵が『そうか、じゃあ休憩しよう』って言ってくれるか? 待ってくれるのは死神だけだぞ!」


華雄は棍棒で地面を叩き割った。

その衝撃に、新兵たちがビクリと震える。


「俺たちが守るのは、後ろにいる家族や民だ。俺たちが崩れれば、奴らが死ぬ。……お前ら、家族を二度殺させたいのか?」


その言葉は、新兵たちのトラウマとプライドを同時に刺激した。

彼らは歯を食いしばり、震える足で立ち上がる。

華雄の指導はスパルタだが、そこには愛がある。訓練後には、自らの手で新兵たちに粥を振る舞い、悩みを聞く姿があった。

呂布軍特有の「家族的な結束」が、この極寒の地で着実に育まれていた。


***


一方、陣地の外れにある林の中では、静かなる戦いが繰り広げられていた。

雪を踏みしめる音。そして、木剣がぶつかり合う乾いた音。

呂布と、趙雲子龍である。


趙雲はまだ、呂布軍には加わっていない。

彼は公孫瓚の命令で呂布軍を「監視」する立場にあり、形式上は敵同士だ。

だが、この半月の間、彼は日参するように呂布の下を訪れ、手合わせを続けていた。


「ハッ!」


趙雲が鋭い突きを放つ。

神速。雪の結晶すら切り裂くような、美しく鋭利な一撃。

だが、呂布は動じない。

わずかに体を捻り、切っ先を紙一重でかわすと同時に、踏み込んで肩をぶつける。

ドォンッ!

重い衝撃音と共に、趙雲の体が数メートル吹き飛ばされ、雪だまりに突っ込んだ。


「ぐっ……!」

「悪くない。だが、まだ綺麗すぎる」


呂布は仁王立ちで趙雲を見下ろした。

その体からは湯気が立ち昇り、背中には無数の古傷が刻まれている。

それは、教科書通りの武術ではない。泥と血にまみれ、生き残るために磨き上げられた「実戦の武」だ。


「お前の槍は、型に囚われている。公孫瓚の下で教えられた『正解』をなぞっているだけだ」


呂布は趙雲に手を差し伸べた。


「誰かを守るための武とは、泥臭いものだ。形などどうでもいい。歯を使っても、爪を使っても、最後まで立っていた奴が勝ちだ。……俺はそうやって生きてきた」


趙雲は、痛む体を起こし、呂布の手を取った。

その掌は分厚く、温かかった。

悔しい。だが、それ以上に清々しい。

公孫瓚の下では感じたことのない、魂が洗われるような感覚。

この人は、自分の技術ではなく、その奥にある「生き方」を見ている。


「……呂布殿。貴方はなぜ、私にそこまで構うのですか?」


趙雲は問いかけた。

自分は一介の無名な武将に過ぎない。天下無双の飛将軍が、時間を割いて稽古をつける理由が分からない。


「俺は敵ですよ。公孫瓚将軍が命じれば、貴方を討たねばならない立場だ」

「ハッ、お前に俺が討てるか?」


呂布はニヤリと笑った。

傲慢だが、嫌味のない絶対的な自信。


「それに、お前は敵ではない。……迷っているだけだ」

「迷い……?」

「ああ。自分の槍を誰に捧げるべきか。公孫瓚か、劉虞殿か、それとも……」


呂布は言葉を切った。

趙雲の瞳が揺れる。図星だった。

彼は公孫瓚のやり方(力による支配)に疑問を持ちつつも、劉虞を守るためには公孫瓚の武力が必要だと自分に言い聞かせてきた。

だが、呂布という「力ある仁」を持つ存在が現れたことで、その均衡が崩れ始めているのだ。


「焦るな、子龍。答えは戦場にある」


呂布は木剣を雪に突き刺した。


「近いうちに、公孫瓚が動く。奴は俺たちがここで力をつけるのを黙って見てはいられないはずだ。……その時、お前自身の目で確かめろ。どちらが真の『守護者』であるかをな」


呂布は背を向け、陣地へと戻っていった。

残された趙雲は、雪の中に立ち尽くし、自分の槍を握りしめた。

その柄の冷たさが、熱を持った掌に痛いほど食い込んでいた。


***


その夜。

呂布の天幕では、軍議が開かれていた。

集まったのは、呂布、陳宮、華雄、張遼、そして馬鈞。


「……殿。公孫瓚軍に動きがあります」


陳宮が地図を広げ、冷静に報告した。


「国境付近に集結させていた兵力を、徐々に南下させています。名目は『黒山賊の討伐』ですが、狙いは明らかに我々です」

「黒山賊討伐にかこつけて、我々の補給線を断つつもりか」


張遼が腕を組み、眉をひそめる。

呂布軍は現在、劉虞からの支援を受けているが、その物資輸送ルートを断たれれば干上がってしまう。


「手口が陰湿だな。正面から堂々と挑んでくればいいものを」


華雄が鼻を鳴らす。

呂布は、地図上の公孫瓚軍の配置を見つめ、静かに笑った。


「奴らしいやり方だ。自分の手は汚さず、じわじわと真綿で首を絞める。……だが、それが奴の命取りになる」


呂布は、地図の一点を指差した。

そこは、公孫瓚軍の進軍ルート上にある、険しい渓谷だった。


「馬鈞。例の『アレ』は、あとどれくらいで作れる?」

「は、はいっ! 現在、試作機を含めて二十台……部品さえ揃えば、あと三日で十台追加できます!」


馬鈞が目を輝かせて答える。

彼が作っているのは、先日黒山賊相手に威力を発揮した『連弩』の改良型だ。

さらに、張遼率いる騎兵部隊には、新兵器『鐙(あぶみ)』の配備が進んでいる。


「十分だ。……公孫瓚は、俺たちを『洛陽から逃げてきた敗残兵』だと思っている。数で囲めば勝てるとな」


呂布は立ち上がり、全員を見渡した。


「教えてやろう。俺たちが、もはや昨日までの俺たちではないことを。……この北の大地で、最初の『伝説』を作るぞ」


天幕の中に、武者震いのような熱気が走った。

彼らは知っている。自分たちが日々強くなっていることを。そして、この戦いが単なる防衛戦ではなく、呂布軍が「最強」への階段を登るための第一歩であることを。


外では、雪が激しく降り始めていた。

だが、その白き闇の向こうで、運命の歯車は確実に回り始めていた。

北の狼・公孫瓚と、修羅の軍団・呂布軍。

激突の時は、すぐそこまで迫っていた。

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