第5話:北土の二極、聖人と白馬
承知しました。
物語は張遼の加入を経て、さらに北上を続けます。
ここでは、単なる移動の描写に留まらず、**「馬鈞の技術が実戦でどう機能するか」**、そして**「呂布軍の内部で、新参者(張遼)と古参(華雄)がどう融合していくか」**を詳細に描きます。
また、軍師・陳宮と謀士・賈詡の、呂布に対する評価の変化も丁寧に拾っていきます。
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# 第5話:鋼鉄の雨、あるいは天才の証明
張遼軍五百騎を吸収した呂布軍は、さらに北を目指していた。
目的地である幽州までは、まだ数百里の距離がある。
季節は晩秋から初冬へと移り変わり、吹き荒れる北風は刃物のように鋭さを増していた。
「……ふう、ふう。寒い……指が、動かない……」
隊列の中央、荷車の上で縮こまっている小柄な影があった。
馬鈞である。
彼は洛陽から連れ出された技術者たちと共に、揺れる荷台の上で作業を続けていた。
本来なら、このような行軍中に精密な設計など不可能だ。寒さで墨は凍り、手はかじかみ、振動で筆先が狂う。
だが、馬鈞の目は異様に血走っていた。
「駄目だ……このバネの強度じゃ、連射に耐えられない。もっと粘りのある鋼が必要だ。それと、トリガーの形状を……」
ブツブツと呟きながら、彼は木炭で板切れに図面を引き続けている。
その姿は、何かに憑かれたようだった。
事実、憑かれているのだ。呂布という「触媒」によって強制的にこじ開けられた、才能の奔流に。
「精が出るな、馬鈞」
不意に、低い声が降ってきた。
馬鈞がビクリとして顔を上げると、馬上から呂布が見下ろしていた。
その背後には、新しく加わった張遼も並んでいる。
「ひぃッ! りょ、呂布将軍! す、すみません、作業が遅れてて……!」
「謝る必要はない。むしろ、よくこの揺れの中で作業ができるものだと感心しているのだ」
呂布は、馬鈞の手元にある奇妙な試作品――小型の弩(いしゆみ)のような装置に目を留めた。
通常の弩は、弦を引くのに両手、あるいは足を使うほどの力が必要だ。だが、馬鈞が作っているそれは、上部に箱型の弾倉がついており、レバー一本で操作できるようになっていた。
「それが、例の『連弩』か?」
「は、はい。……従来の弩は、一発撃つごとの装填に時間がかかりすぎます。そこで、テコの原理を利用して……このレバーを前後に動かすだけで、『弦を引く』『矢を落とす』『発射する』の三動作を同時に行えるようにしました」
馬鈞の説明を聞き、横にいた張遼が眉をひそめた。
「……にわかには信じ難いな。弩というのは、威力と連射速度はトレードオフ(相殺)の関係だ。連射を求めれば威力が落ち、威力を求めれば時間がかかる。それを両立させるなど、理屈に合わん」
張遼の指摘は、武人として真っ当なものだった。
だが、馬鈞は初めて口ごもらなかった。眼鏡の奥の瞳が、キラリと光る。
「り、理屈なら、変えればいいんです」
「何?」
「歯車の噛み合わせと、弦の素材を見直しました。……張遼将軍、見ていてください。これは、戦場の常識を変える『発明』ですから」
その時だった。
隊列の前方、偵察に出ていた華雄の部隊から、角笛の音が響き渡った。
敵襲を告げる警報だ。
「……来たか」
呂布の表情が引き締まる。
陳宮が馬を寄せ、冷静に報告した。
「斥候からの情報です。黒山賊(こくざんぞく)の残党、およそ三千。地形を利用しての待ち伏せ攻撃を仕掛けてくるようです」
黒山賊。太行山脈を根城にする巨大な盗賊団だ。彼らは山岳戦のプロフェッショナルであり、正規軍ですら手を焼く存在である。
通常なら、荷駄隊を抱えた行軍中に襲われれば、大損害は免れない。
だが、呂布はニヤリと笑った。
「数は三千か。……ちょうどいい実験台だ」
「殿、どうされますか? 私の部隊で蹴散らしましょうか?」
張遼が槍を握りしめ、身を乗り出す。
加入したばかりの彼は、功を焦る気持ちがあるのだろう。その殺気は鋭い。
だが、呂布は首を振った。
「いや、文遠。お前の騎兵は温存だ。今回は、馬鈞の『おもちゃ』の性能テストを行う」
「おもちゃ……ですか?」
「華雄! 前衛を下げろ! 敵を射程距離ギリギリまで引きつけるんだ!」
呂布の大音声が響く。
前線にいた華雄は、一瞬「えっ、俺が殴らなくていいんすか?」という顔をしたが、すぐに命令に従って部隊を後退させた。
それを見た黒山賊たちは、呂布軍が怯んだと勘違いした。
「ヒャッハー! 逃げ腰だぞ! 女と金は全部いただくぜぇ!」
「かかれぇぇッ!」
三千の賊徒が、斜面を駆け下りてくる。
その勢いは雪崩のごとし。蛮声と殺気が、呂布軍の兵士たちを威圧する。
だが、呂布軍の中央は割れ、そこから馬鈞率いる工兵隊――いや、「技術試験小隊」が姿を現した。
彼らが構えているのは、先ほどの試作品を大型化し、台車に固定した十台の兵器。
改良型連弩『元戎(げんじゅう)』。
「ば、馬鈞。やれるか?」
呂布が問う。
馬鈞は、ガタガタと震えていた。敵が怖いのだ。迫りくる刃が、殺意が、怖くてたまらない。
だが、彼は逃げなかった。
震える手でレバーを握りしめ、自分の作った兵器を見つめる。
(呂布様は、僕を信じてくれた。金も、時間も、全部くれた。……なら、僕は結果で返さなきゃいけないんだ!)
「……う、撃てぇぇぇッ!!」
馬鈞の悲鳴のような号令。
十人の兵士が、同時にレバーを押し込んだ。
ガシャンッ!
重厚な金属音が響く。
次の瞬間、空気が裂けた。
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン――!!!
それは、矢ではなかった。鉄の暴風だった。
一台につき十本の矢が、目にも止まらぬ速度で吐き出される。十台で百本。
しかも、レバーを戻せば即座に次弾が装填される。
わずか数秒の間に、数百本の矢が、突撃してくる黒山賊の最前列に突き刺さった。
「ぎゃあッ!?」
「な、なんだコリャ!?」
盾など意味をなさなかった。馬鈞が設計した特殊な鏃(やじり)は、粗末な革鎧や木の盾を紙のように貫通し、後ろにいる兵士ごと串刺しにした。
さらに恐ろしいのは、その連射速度だ。
通常、弓兵が一斉射撃をした後は、次の矢をつがえるための「隙」が生まれる。敵はその隙を狙って距離を詰めるものだ。
だが、『元戎』には隙がない。
息継ぎをする間もなく、第二波、第三波の矢の雨が降り注ぐ。
「と、止まらねえ! 近づけねえぞ!」
「雨だ! 鉄の雨が降ってきやがる!」
先頭集団が壊滅する。
死体の山が壁となり、後続の賊たちが足止めを食らう。そこへさらに矢が降り注ぐ。
一方的な虐殺。
技術の格差がもたらす、冷酷なまでの「死の効率化」だった。
「……馬鹿な」
張遼は、口を半開きにしてその光景を見ていた。
彼が知る戦争とは、武人の技と誇りがぶつかり合うものだった。
だが目の前にあるのは、ただの作業だ。レバーを動かすだけで、屈強な男たちがゴミのように死んでいく。
「これが、未来の戦か……」
「そうだ、文遠」
呂布は、静かに言った。
「個人の武勇は尊い。だが、それだけでは国は守れん。一人の英雄が百人を倒す間に、凡人が扱う百台の機械は一万人を殺す。……俺は、その両方が欲しいのだ」
呂布の言葉に、張遼は戦慄した。
この主君は、武の頂点に立ちながら、武の限界をも誰より理解している。
だからこそ、馬鈞のような異能を重用し、守ろうとしているのだ。
「……恐れ入りました」
張遼は深く頭を下げた。
自分の武勇など、この男が描く巨大な絵図の中では、一つの絵の具に過ぎないと思い知らされた瞬間だった。
「よし、敵が怯んだぞ! 華雄、張遼! 残党を掃討せよ! 一匹も逃がすな!」
「おうよ! 待ってましたァ!」
「……承知!」
鬱憤を晴らすように飛び出した華雄と、複雑な思いを振り払うように槍を構えた張遼。
左右から放たれた二つの猛獣によって、崩れかけた黒山賊は瞬く間に壊滅した。
戦闘終了後。
硝煙と血の匂いが漂う中、馬鈞はへたり込んでいた。
自分の作った兵器がもたらした惨状に、吐き気を催していたのだ。
だが、そんな彼の肩に、温かい手が置かれた。
「よくやった、馬鈞。お前のおかげで、味方の死者はゼロだ」
呂布だった。
彼は、血まみれの戦場を背に、馬鈞の目線に合わせて屈み込んでいた。
「人を殺す道具を作ったと、自分を責めるな。お前の技術が、俺たちの兵士の命を救った。……その事実だけを誇れ」
「呂布……様……」
「お前の頭脳は、俺の誇りだ。これからも頼むぞ」
呂布はニヤリと笑い、大きな手で馬鈞の頭を乱暴に撫でた。
その手の温かさに、馬鈞の目から涙が溢れ出した。
罪悪感がないわけではない。だが、それ以上に「必要とされた」という喜びが、彼の魂を震わせていた。
(もっと……もっとすごいものを。この方のために、僕は作るんだ……!)
その様子を、少し離れた場所から賈詡が眺めていた。
彼は懐から帳面を取り出し、サラサラと何かを書き記す。
『馬鈞の連弩、実戦配備完了。威力・連射性ともに極大。……呂布という男、人の殺し方をよく知っている。あるいは、人の活かし方も』
賈詡の薄い唇が、三日月のように歪んだ。
「……退屈はしなそうですな、本当に」
北風は依然として冷たい。
だが、呂布軍の熱気は、その寒風すらも溶かす勢いで燃え上がっていた。
一行は、血に濡れた荒野を踏み越え、いよいよ幽州の境界へと足を踏み入れる。
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