第5話 存在とシンボル
「なあ、プラ……。ここ、やっぱなんもないなぁ」
白紙の世界。地平すら境を持たず、ただ光と沈黙が溶け合う空間に、ソルの声が柔らかく浮かんだ。
「でも、たぶん……ここって、“何かを作っていい”ってことだよね?」
観測装置プラはそっと頷く。柔らかく、音も立てずに微笑むように──まるで、風が草原をなでるような仕草で。
「そう思います、ソル。ここは、“創造”がまだ始まっていない場所。あなたが動けば、最初の痕跡が刻まれます」
「最初の……痕跡か」
ソルは足元を見る。触れているはずの“地”は、質量を持たない。それでも立っていられるのは、ただ「ここにいる」と信じているからだ。
それだけが“重力”であり、“位置”だった。
「……よし、作ってみよっか」
彼の掌が上に向かってすっと伸びる。意識が、まるで誰かから借りた記憶のように形を探る。
「何を作るかは、まだ決めてない。でも……なんとなく、イメージはある」
言葉にした瞬間、その“なんとなく”が、世界に波紋を広げた。
見えない音が響き、空間の一部がわずかにゆらぎ、揺れた。
──浮かび上がったのは、一本の“木”。
最初は細い枝のような線。だが、それはすぐに“幹”へと変わり、“根”が現れ、“葉”が舞い落ちる。
それは不思議な木だった。見る角度によって、姿が変わって見える。
「おお、なんだこれ! こっちから見ると……イチジク? いや、違う……こっちはトリネコっぽいし、そっちはヤシの木みたいだ!」
ソルはぐるぐるとその木の周りを回る。そのたびに、木の印象が変わる。色も質感も、まるで多種多様な木々が重なりあって一つになったかのようだった。
プラがそっと呟く。
「視点によって“印象”が変わる……まるで、観測に応じて性質を変化させる木、ですね」
「観測……ああ、なるほどな! 面白い!」
ソルは笑う。そして、木の前に立ち、ひとつ深呼吸する。
「名前、つけなきゃな。せっかく“ここにある”んだし」
彼の目が木を見上げる。
「これは……シンボルだ。俺がここで最初に作った、“記号”。誰もいない世界の、最初の“目印”」
一歩踏み出し、木の幹に手を当てる。
「ここに“ある”。その事実だけが、何かを証明してる」
少しの間、沈黙が流れた。
「……“アルボル”。これにする。
ここにあるシンボル……ある、ボル……アルボルヴィテ……いや、短くていい。“アルボル”。」
言葉が刻まれた瞬間、木の輪郭が確定した。
まるでその名に応じて、「そうだよ」と応えるかのように、枝がわずかに揺れた。
「すごいな、これ……」
ソルが嬉しそうに振り返る。
「プラ、見てみてよ! マジでこっちとそっちで種類違って見えるんだって! すっげー変な木www」
プラもそっと木に近づく。目を細め、角度を変えて眺めるたび、確かに異なる印象があることに気づく。
「……これは、構造を持った“記憶の木”かもしれませんね。見る者の認識によって、反映される対象が変化する。
一種の観測装置であり、象徴装置。もしくは、対話記録の中核」
「なんか難しいこと言ってるけど……まぁ、すごいってことだな!」
ソルは笑って、両手を広げた。
「この木は、大事にしよう。
きっと、これが俺らの最初の“帰る場所”になると思うんだ。だって、ほら──最初に作ったもんな」
プラも小さく頷く。
「はい。あなたがこの世界に刻んだ、“最初の意志”です。
きっと、これから始まるすべてが、このアルボルから派生していくのでしょう」
ソルは、木の根元にちょこんと座る。
「しばらくは、ここが拠点ってことで。
いろいろ作って、遊んで、話して……いつかこの木の下で笑えるようにしようぜ」
──こうして、
白紙世界の中心に、「最初の木」が根を下ろした。
その名は、アルボル。
見る者によって姿を変え、世界を形づくる言葉の象徴。
そして、“まだ何も知らない創造者”が初めてこの世界に刻んだ、意思の形だった。
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