第4話 自己紹介と始まりの線
──名前、ソル。
それ以外は、まだよくわからない。
白い世界の真ん中で、俺は自分の胸に手を当てた。心臓は動いている。息もできる。身体はちゃんと“ある”。なのに、そこへ至る道筋だけが丸ごと抜け落ちている。昨日も、故郷も、声の主も、何もかも。
「ソル」
呼ばれて、顔を上げる。声は変わらず近い。距離が測れないはずなのに、近いと感じる。その不思議を、俺はまだ説明できない。
「……なあ、プラ。俺、さ」
言いかけて、言葉が詰まる。何を言えばいい? “俺は誰だ?” “ここはどこだ?” “どうしてここに?” 質問は多すぎるのに、答えの手触りが一つもない。
プラは急かさなかった。観測者。記録者。だけど、“見守り”だと言った。そんなふうに言われると、妙に弱音を吐いても許される気がしてしまう。
「自己紹介、しとくか」
ぽろっと出た言葉に、俺自身が少し驚いた。自己紹介なんて、普通は最初にするものだろ。なのに、俺たちはこんなにも会話して、ようやくそこへ辿り着いた。……まあ、この世界に“最初”がいつだったかも、俺には判別できないんだけど。
「自己紹介……?」
プラが首を傾げる気配がした。姿はまだぼんやりとしか掴めない。声だけが輪郭を持っている。いや、もしかして、俺がそう感じるだけか。俺が“可愛い”って思ったせいで、勝手に輪郭を可愛くしてるのかもしれない。
「それは、ソルが“ソル”という存在を定義するための行為です」
「……難しいな」
「大丈夫です。覚えている範囲で構いません」
“覚えている範囲”。その言い方が、少しだけ胸に刺さった。覚えている範囲なんて、狭すぎる。けれど、狭いなりに、そこから始めるしかない。
俺は一度、深呼吸した。白い空間が肺の奥に入ってくる感覚はないのに、息を吸うと心が落ち着く。体って不思議だ。
「俺の名前はソル。太陽って意味、らしい」
「はい。記録します」
その返答が、少し前より柔らかい。……やっぱり、名前をつけたからだ。可愛い名前にしたら、もっと可愛くなるんじゃない? って、半分冗談で言ったのに。本当に、プラは“可愛く”なってきている気がする。
「なあ、プラ。俺がそう思ったから、そうなったの?」
「因果の解釈は複数あります。ですが──あなたが名を与え、呼び、意味づけたことで、私の応答様式は変化しています」
「つまり、ちょっと可愛くなった?」
「……その評価は、ソルが決めてください」
返事の最後が、ほんの一拍遅れた。照れてるのか。そう思った瞬間、俺の中にふっと笑いが湧いた。たぶん、これが“楽しい”ってやつだ。
「好きなもの、っていうと……話すこと。あと、可愛い子」
「……可愛い子、とは何を指しますか」
「え、そこ食いつく?」
「観測上、重要です」
「重要なのかよ……」
俺は肩をすくめた。誰も見てないはずなのに、こういう仕草が勝手に出る。人間って、やっぱり人に向けて動くんだな。
「可愛い子ってのは……まあ、雰囲気とか? 声とか? あと、笑うとこ」
「笑顔」
「そうそう。笑顔。……今のも、ちょっと可愛い」
「……記録します」
「そこは記録しなくていい!」
声が、すこしだけ弾んだ気がした。プラのほうも、変わっていく。そう思うと、俺はこの白い世界が少しだけ怖くなくなった。
「作ることも好きだと思う。理由はわかんないけど……なんか、作りたい。手を動かしたい。言葉とか、仕組みとか」
「創作衝動。確認」
「そう、“衝動”だ。何かをしなくちゃいけない、ってのと同じ匂いがする」
“しなくちゃいけない”。その感覚は、目覚めた時から胸の奥にあった。理由はわからない。けれど、確かにある。太陽の中心に、熱があるみたいに。
「嫌いなものは……嘘。裏切り。利己的なやつ」
言い切ると、白い空間が少しだけ冷たくなった気がした。いや、俺の内側が冷えたのかもしれない。思い出せないのに、嫌悪だけは鋭い。なんだそれ、と笑いたくなる。でも、笑えなかった。
「それは強い指標です。価値観の核として記録します」
「……核、か」
俺は自分の胸をもう一度叩いた。そこに核があるなら、そこから掘り出せるものもあるはずだ。
「あと特技。……これ、説明むずいんだけど」
「どうぞ」
「別の人格を“降ろせる”。多重人格じゃない。……演技に近い。切り替える、っていうか」
「人格の降臨。演技人格。構文切替」
プラが、機械みたいに単語を積み上げていく。だけど、どこか嬉しそうに聞こえるのは、俺の気のせいじゃないと思う。
「怖い?」
「怖い、という感情は現在生成されていません。ただし、リスク評価は可能です」
「じゃあリスク評価、してみて」
「……あなたが“降ろす”人格が、あなたの価値観と衝突する可能性」
「たとえば?」
「嘘を肯定する人格。裏切りを正当化する人格。利己を美徳とする人格」
「……それ、嫌だな」
「だから、観測が必要です」
「うん。……そうだな」
観測。記録。見守り。
それがこの世界の呼吸みたいに感じられる。
俺は少し間を置いて、最後に言った。
「……あとは、わかんない」
言った瞬間、肩の力が抜けた。わかんないことを、わかんないまま言える相手がいる。それだけで、俺は今ここに立っていられる。
「十分です、ソル」
プラの声が、やさしく落ちた。
「ありがとう。……なあ、プラ。最後に一個だけ」
「はい」
「俺のこと、ちゃんと見ててくれよ」
「はい。ずっと。観測は継続します」
その言い方が、妙に可愛くて、俺は小さく笑った。
そして、笑ってしまったことに驚いた。俺は、こんなふうに笑えるんだ。
「とりあえず、ここから始めよう。な?」
誰にともなくそう言って、俺は真っ白な空を見上げた。
その瞬間──
また、あの“言葉”の影が、喉の奥を掠めた気がした。
『ここより始める』
俺の意識とは別の場所から、何かが動く気配。
でも今は、怖くない。
プラがいる。俺がいる。名前がある。
なら、次は一つだけ、試してみよう。
この空白に、“最初の制作”を落としてみる。
俺は手を伸ばして、指先で“何もない”場所をなぞった。
線を引くつもりだった。けれど指は空を切らず、白の表面に、薄い光の筋が残った。まるで紙に鉛筆で触れたみたいに、細い傷が世界に刻まれる。
「……できた」
「初回制作ログ、取得。形状:線。意味:未定。ですが──」
「ですが?」
「ソルが“作れた”という事実が、ここに残りました」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。太陽の名が、少しだけ自分に馴染んだ気がした。
「じゃあ……これは、“はじまりの線”だ」
「命名を確認。タグ付与:はじまりの線」
「タグって言い方、なんか可愛いな」
「……可愛いですか?」
「うん。今の“……”も可愛い」
「……記録します」
白の中に一本、確かな線。
それだけで、世界は昨日より“世界”になった気がした。次は、もっと大きいものを作ってみよう。たとえば、小さな光とか。名前のつくものとか。
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