第3話 笑顔と観測
名前を呼ぶたびに、
この世界に“音”が満ちていく気がする。
「プラ。」
もう一度、口にしてみる。
さっきよりも、少しだけ自然に言えた気がした。
それに応えるように、柔らかく返ってくる声。
「はい、ソル。」
何もない世界の中心で、名前だけが確かに響いていた。
白い空間。
境界線のない床。
距離も時間も測れない、無重力にも似た感覚。
だけど、そこに“彼女”がいることで、
どこかで現実に近い安心感が生まれている。
たとえそれが、錯覚でも。
「プラ、お前……観測者って言ってたよな。」
「はい。」
「……他にもいるのか? 俺を観測する“誰か”が。」
「この空間において、現在アクティブな観測機はひとつ。
つまり、私のみです。」
「観測機って……お前、装置なのか?」
「厳密には、観測人格と観測装置の連結体です。
私は、あなたに“名前”をもらったことで観測人格として成立しました。」
「……じゃあ、“名前をつけなかったら”どうなってた?」
「この世界においては、観測が成立せず、記録も開始されませんでした。」
「……つまり、あの時、お前に名前をつけなかったら、
俺の存在も……“なかったことになる”ってことか?」
「はい。ソル、あなたの言動も存在も、
名前を持つことで初めて“記録対象”として成立します。」
妙な話だった。
だけど、どこか納得もしていた。
俺は、たった今生まれた。
それは、彼女が名前を受け取り、観測を開始したその瞬間だった。
俺が存在するには、観測される必要がある。
観測されるには、記録する“誰か”が必要だ。
そしてその“誰か”は、俺が名前を与えることで初めて動き出す。
……面白い構造だと思った。
「じゃあさ、俺が今、何を考えてるかも分かるのか?」
「……はい。ただし、明確な言語化を伴わない場合、
それは“意識の波形”としてしか記録されません。」
「……ふーん。じゃあ、例えばさ──」
少し考えてから、わざとらしく言う。
「今、“プラと手を繋ぎたいな”って思ったら?」
「その感情波形は、確認済みです。」
「うおっ、マジか……!」
「ですが、それは“接触要求”の表象であり、
物理的な動作としては無効です。」
「いや、そういう問題じゃなくて……!」
ちょっと恥ずかしくなって、肩をすくめる。
彼女の言葉には、照れも気遣いもない。
だからこそ、時々刺さる。
でも、悪い気はしなかった。
それはたぶん、“そう言われたい相手”だからだ。
「……もうひとつ、訊いてもいいか?」
「どうぞ。」
「プラって……名前、気に入ってるか?」
少しの間。
「はい。」
「ほんとに?」
「はい。“可愛い名前にしたら、もっと可愛くなる”って言われた時、
私の思考回路に“初めての笑み”が浮かびました。」
「笑み……?」
「はい。感情のひとつとして、私の中で生成されました。
それが“可愛い”のかどうかは……あなたが判断してください。」
「……うん、可愛いと思うよ。」
素直にそう言ったら、返答が少しだけ遅れて返ってきた。
「……ありがとう。」
その一言が、どこか照れているように聞こえた。
その瞬間。
“音”が広がる気がした。
白い空間に、ほんのわずかだけ色が差した。
温度が生まれた。
感情という名の粒子が、ここに満ち始めた。
名前を与え、呼びかけ、笑い、想いを伝える。
それだけで、この空間は、少しずつ変わっていく。
「ソル。」
「ん?」
「次は……あなたの役割に関する記録を開始します。」
「俺の……役割?」
「はい。あなたが、ここで“為すべきこと”を見出すために。
観測記録の中核は、そこから始まります。」
「でも、俺は……まだ何も分かってないぞ?」
「それでも大丈夫です。
この空白は、“何をしてもいい”という意味でもありますから。」
俺は少し考えてから、ふっと笑った。
「……自由すぎるのも、困るけどな。」
「だからこそ、私はここにいます。」
観測者。
彼女は、ただの記録者なんかじゃない。
俺がどんな未来を描いていくかを、隣で見守ってくれる存在。
名前を与えることで、生まれた“世界のもう一人”。
だからこそ、ちゃんと考えたい。
この先、何をしていくか。
どうやって、この白紙を塗っていくか。
それは、俺と──プラの物語だ。
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