第1話 影の依頼

朝の道場は、まだ冬の冷えを残していた。

古い体育館を改装した床は冷たく、裸足で立つと芯まで響く。


空手家、江原真雄えはらまさおは鏡の前に立ち、静かに呼吸を整える。

腰を落とし、視線を前に据えた。


ウンスー。


踏み込みと同時に両腕が交差し、身体が回る。

力は抑えられているが、動きに無駄はない。


「……止め」


背後で弟子の動きを制した。


「型は速さじゃない。

 受けた力をどう流すかだ」


弟子は頷き、構えを直す。

江原はその姿を見つめながら、わずかに息を吐いた。


守るための型。

それが、彼の空手だった。



昼過ぎ。

江原は道着を脱ぎ、スーツに着替えて警護会社の事務所に入った。


机の上には契約書と請求書。

知り合いの立花たちばなから受けた融資の返済表が、現実の重さを突きつけてくる。


警護会社を立ち上げて、まだ五年に満たない。

金融ヤクザや右翼団体から市民を守る仕事は、

警察が動きにくい領域を補うものだった。


「最近、宗教絡みの相談が増えてます」


声をかけたのは、瀧政則たきまさのり

江原の空手道場の弟子であり、現在は警護会社の社員として現場と事務を支える男だ。


「過激な勧誘、集団行動、それと……行方不明者」


江原は短く頷く。


「噂だけで動くな。

 だが市民に被害が出る兆しがあれば、放ってはおけない」


そのとき、事務所のドアがノックされた。


数分後、

瀧が大きな段ボール箱を抱えて戻ってくる。


「社長、これ……会社宛てです。

 宛名がなくて、差出人も不明でした」


箱はやけに重かった。



中身を開けた瞬間、瀧が顔をしかめる。


「……何ですか、これ。

 誰かのイタズラじゃないですか?」


中に入っていたのは、

赤いマフラー、

黒と青緑のコスチューム。


そして、見覚えのあるダークブルーのヘルメット。


白いベルト――タイフーン。

中央の風車が、静かに佇んでいる。



だが江原は、何も言わず、一通の手紙を取った。

便箋に走る筆字を見た瞬間、表情が変わる。


「……違う」


低く、断定する声だった。


瀧が振り向く。


「え?」


江原は筆跡から目を離さない。


力の入れ方。

字の癖。

行間の間合い。


間違えるはずがなかった。


――――――――――――――――――


江原君


突然こんな依頼をして、すまない。

冗談ではないことは、

昨今のショッカーの動向を見れば分かると思う。


私は、再び戦うための準備に入る。

そのため、しばらく東京を離れる。


一文字いちもんじも各地の対応に追われ、

今は東京まで手が回らない状況だ。


その間、この街を頼みたい。

改造の力ではなく、

自分の意思で前に立てる人間が必要だ。


君を信じている。


必ず戻る。

それまで時間を稼いでくれ。


本郷 ほんごうたけし


――――――――――――――――――



高校空手部の先輩。

そして、仮面ライダー一号。


江原は手紙を机に置き、深く息を吐いた。


「……本物だ」


瀧が言葉を失う。


「じゃあ……これ……」


「冗談ではない」


江原は視線をコスチュームに落とす。


改造された身体ではない。

特別な力もない。


あるのは、

これまで積み重ねてきた空手と、

守る仕事を続けてきた現実だけだ。


それでも――

逃げるという選択肢は、最初からなかった。


夕方、道場へ戻る前。

江原は一人、事務所に残り、手紙を折りたたむ。


「……本郷先輩」


小さく呟いた。


その夜、

東京のどこかで、

黒装束の集団が動き始めていることを、

彼はまだ知らない。


だが、

影は確実に、江原の足元まで伸びていた

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