第2話 止まれない世界

 恒常活性因子。

 それは、人類が不老不死を目指す過程で生み出した産物。


 生きている間、身体機能と神経活動を常に高い水準で維持し続ける。

 疲労は溜まりにくく、回復は早く、痛みは鈍化する。


 病気への耐性も極めて高い。

 この因子の普及が始まり、労働力が格段に向上したことで、高度経済成長を迎えた。


 その結果、医療は衰退し、この因子が前提で社会設計されていくこととなる。


 問題は、死んだ後だった。



 朝のロッカー室の空気は冷えていた。

 守屋恒一は鏡の前でネクタイを締め直し、黒を基調とした制服の襟を整えていた。


 ロッカー室の扉が勢いよく開いた。

 足音も止まらないまま、久保直人が入ってくる。


「おはようございます!」


 守屋は鏡越しに一度だけ久保を見て、短く返す。


「おはよう。 

 やけに元気だな」


 久保は笑いながら答えた。


「はい!

 新人のやつ、意外と覚えが良くて」


 守屋は、何でもないことのように息を吐く。


「なんだ……間に合ったのか」


 久保は、うれしそうに口の端を上げた。


「昨日はいい夜でしたよ」


 久保は携帯を取り出し、画面を見せようとしてくる。


「この子といい感じになって──」


 守屋は視線を外したまま切る。


「聞いてない」


「つれないなあ」


 二人はそのまま廊下を歩き、未終死体処理課の部屋へ向かった。

 局内は朝でも騒がしく、遠くで電話が鳴り、誰かの早口の返事が重なる。


 部屋に入ると、相馬悠斗が机に向かっていた。


「おはようございます」


「おはよう」


 相馬の目の下には、はっきりとしたクマがあったが、守屋は何も言わなかった。


 久保が、相馬の顔を覗き込んだ。


「寝れなかったか?」


 相馬は、少し遅れて頷く。


「はい……

 昨日の奥さんの目が、頭から離れなくて」


 久保の明るさが、一瞬だけ薄くなった。


「そうか……」


 久保は相馬の肩を軽く叩いて、自分の机へ向かった。


 守屋は書類を一枚めくり、相馬に声をかける。


「相馬。

 書類を片付けたら、パトロールに出るぞ」


 相馬は喉の奥で息を飲み、返した。


「……わかりました」



 昼前。

 三人は車に乗り込み、久保の運転で街を走っていた。


 守屋は助手席で腕を組み、目を閉じている。


 久保は前を見ながら、ミラー越しに相馬を確認した。

 相馬は俯いていて、膝の上で指先が落ち着かない。


「今日は通報なくて、平和ですね」


 守屋は目を閉じたまま答えた。


「そうだな」


 相馬の口が、小さく動く。


「……平和?」


 久保が、聞き逃さずに返す。


「どうした?」


 相馬は慌てて顔を上げて、否定する。


「い、いえ!

 なんでもないです!」


「そうか……」


 久保はそれら以上追わなかった。


 守屋は少し目を細めながら、相馬を見ていた。


 その時、車内の無線が鳴った。

 その音で、前に座る2人の空気が変わる。


「恒常生命管理局、通信です。

 私立あおば小学校、校内事故。

 階段から児童一名が転落。

 頭部外傷あり。死亡確認未了。

 未終死体発現の可能性あり」


 久保が即座に反応した。


「あおば小学校!

 ここから近いですね!」


 久保はサイレンを鳴らし、アクセルを踏み込んだ。

 一般車が道を開け、車列の隙間を縫うように進む。


 守屋は無線を手に取り、冷静に告げる。


「こちら未終死体処理課、守屋班。

 該当事案、受理。現場へ向かいます」


 無線を切った瞬間、相馬は小さく呟いた。


「また……未終死体が……」


 守屋は相馬の顔を一度だけ見た。

 だが言葉は出ず、守屋はただゆっくりと目を閉じた。



 小学校に到着すると、正門の前は既に混乱していた。

 校庭へ児童が誘導され、泣き声があちこちから上がっている。

 教師たちの声は大きいが、統率は崩れている。


 三人は車を飛び降りた。

 守屋が一番近くにいた教師に手帳を示す。


「恒常生命管理局の者です。

 事故現場はどちらですか」


 教師の顔が、守屋を見た瞬間に崩れた。


「ありがとうございます!

 生徒は三階の階段です!」


 守屋が間髪入れずに続ける。


「生徒たちはみんな避難を?」


 教師は言葉を詰まらせた。


「すいません。

 まだ点呼ができていなくて……」


守屋は頷き、淡々と言った。


「ありがとうございます」


「急ぐぞ!」


 久保が即答する。


「はい!」


 相馬は声が出なかった。

 それでも足は動かし、二人の背中を追った。



 恒常活性因子。

 それは死を検知しない。

 心臓が止まっても、脳が壊れても、活性化は止まらない。

 その結果、死んだにもかかわらず行動を続ける個体が生まれる。

 それが、未終死体。


 三階の踊り場に、一人の女の子が立っていた。

 頭が割れており、赤黒い血が額から頬へ流れ、顎から床へ落ちている。

 手首と指は、考えられない方向に曲がっている。


 だが女の子は、震えもせずに立っていた。


 周りには数名の児童と、一人の教師。

 児童たちは壁に貼りつくように固まり、顔を歪めて泣いていた。

 教師は前に立ち、腕を広げて守るようにしている。


 女の子が、児童たちへ向けて一歩進んだ。


「あ……そぼ?」


 教師は唾を飲み、女の子に近づき、肩に手を置いた。

 震えながらも声をかける。


「か、かなちゃん……

 一回止まろうか」


 そこに、守屋たちが踊り場へ駆け込んだ。


「離れてください!!」


 その瞬間、女の子が教師の腕を掴んだ。

 教師の口が震える。


「……かなちゃん?」


 女の子が力を入れた瞬間、乾いた音がした。

 教師は一拍遅れて、自分の腕を見た。


「……え?」


 次の瞬間、言葉にならない悲鳴が校舎に響いた。


「……っ、あ――――っ!!」


 女の子は首を傾げる。

 血で濡れた髪が、頬に張りつく。


「あそぼ……?」


 相馬の口から、勝手に声が漏れる。


「あ、あの力は……」


 久保が低い声で答える。


「人間はな、無意識に自分でブレーキをかけてるんだ。

 恒常活性因子があっても、それは外れない。


 でも……未終死体は別だ。

 女の子であれだ。

 どれだけ危険か、分かるだろ?」


 相馬は唾を飲む。


「はい……」


 守屋が、女の子と教師の間に割って入り、低く声をかける。


「大丈夫ですか」


 教師は歯を食いしばり、頷いた。


「っぐ……

 は、はい……」


 守屋は鋭い声で相馬へ命じる。


「相馬!

 この人と子供たちを守れ!

 子供たちに見せるなよ!」


 相馬は反射的に頷く。


「は、はい!」


 守屋はナイフを鞘から抜いた。


 守屋の目が、女の子だけを捉える。

 そして、短く告げる。


「久保、フォローしろ」


「わかりました」


 久保は銃を構えた。


 相馬は、泣いている児童の肩を抱き、背中を向けさせる。

 階段の下へ誘導しようとする。


 女の子が、相馬の動きを見て、目をそちらへ向けた。


「どこ……いくの?」


 児童たちを連れて下がろうとすると、女の子が一歩踏み出した。


 相馬の背筋が凍る。


「っひ……!」


 守屋が間に入り、刃を振るうが、女の子はそれを避ける。


 守屋の声が低く落ちる。


「すばしっこいな……」


 発砲音が二度、三度と響いた。

 久保の弾が、女の子の足に食い込み、血が飛んだ。


 女の子は泣かない。

 だが、一瞬だけ足が止まった。


 その一瞬を逃さず、守屋のナイフが脊椎を断った。


 女の子はゆっくりと、地面に倒れた。

 そして、最後に児童たちの方に顔を向け呟いた。


「まだ……あそぼーよ……」


 守屋は返り血を浴びながら、刃を拭き取った。

 欠けを確認し、鞘に戻す。


 相馬は、児童たちの前に立ち、体で視界を塞いでいた。

 その光景を震えながら見ることしかできなかった。



 局に戻ると、相馬は久保と並んで事務処理をしていた。


 守屋が近づき、缶コーヒーを相馬の机の端に置いた。


「大丈夫か」


 相馬は返事をするまでに時間がかかった。


「はい……

 主任……自分も、死んだら未終死体になるんですよね?」


 守屋は淡々と答える。


「ああ。

 恒常活性因子は全国民に普及してる。

 摂取していない人間は社会構造上、存在しない」


 久保が続ける。


「つまり、この国では誰もが、死ねば未終死体になるってことだな」


 相馬は、言葉を絞り出す。


「なら……

 活性因子なんて、摂取しなければ……」


 守屋は、即座に切った。


「そうはいかない」


「っえ……」


 久保が、いつもの軽さを出さずに説明する。


「その因子のおかげで高度経済成長を成し遂げたんだ。

 今の急速に成長した社会は、この因子なしの人間では崩壊する危険性がある」


 守屋が、結論を置いた。


「だから、社会はこの因子の摂取を止められない。

 未終死体を受け入れ、死を管理していくしかない。

 そのために、俺たちの仕事があるんだ」


 相馬の胸の奥が、じわじわと沈む。


「わかってる……

 わかってるんですけど……」


 久保が相馬の肩を叩いた。


「慣れていくしかないんだ」


 相馬は、頷くしかなかった。


「はい……」


 机の端に置かれた処理報告書が、視界に入る。


 処理対象、児童一名。


 それだけだった。

 名前も、顔も、声も、そこには残らない。


 相馬は視線を落としたまま、動けなかった。

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恒常生命管理局──未終死体処理課── 銀色 @hmbtsk10

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