恒常生命管理局──未終死体処理課──

銀色

第1話 死者を終わらせる仕事

 昼前の交差点は、音で溢れていた。

 クラクション、怒鳴り声、泣き声。

 赤色灯が乱暴に点滅し、警察官の笛が何度も鳴り響く。


 陽の光がアスファルトを照らし、血の色だけがそこから浮いていた。


 その中心で、ひとりの男が鞘から大型のナイフを抜いた。


 黒髪の短髪。

 整った顔立ち。

 黒を基調とした制服は皺ひとつなく、袖口も靴も手入れが行き届いている。


 だが、目だけが死んでいた。

 目の下に濃い影が落ち、瞬きの回数が少ない。


 男の前にいるのは、先ほどの交通事故で命を落としたはずの男性だった。

 腕は歪な角度に折れ、腹のあたりが潰れている。

 口から吹き出した血が止まらず、路面を赤く濡らしている。


 それでも、動いている。


 呻き声を漏らしながら、壊れた腕を引きずって、こちらを見る。

 焦点は合っていない。

 それでも、何かを探すように、前へ出ようとする。


 警察官たちが距離を取り、盾を構える。

 周囲の誰もが息を詰めていた。


 男はナイフを構え、短く息を吐いた。


 俺の仕事は死んだ人間を……もう一度殺すことだ。



 その日の朝。

 守屋恒一はいつも通り、目を殺して出勤していた。

 くまの残る目を擦りながら、警察署の横に建つ、妙に新しい建物へ入っていく。


 派手さのない看板に、控えめな文字が並んでいた。


 恒常生命管理局。


 建物の中は、空気が少し冷たかった。


 守屋恒一は無言でロッカー室へ入り、スーツを脱ぎ、黒を基調とした制服に着替える。


 背後で扉が開き、軽い足音が近づく。


「先輩、おはようございます」


鏡越しに守屋が返す。


「ああ、おはよう」


 入ってきた男の名は久保直人。

 茶髪のセンター分け。

 少し垂れ目で、笑うと柔らかく見える顔立ち。


 久保は着替えながら、鏡越しに話しかける。


「新人、今日からでしたっけ?」


「ああ」


「なんて名前でしたっけ?」


「相馬悠斗。色々教えてやってくれ」


久保は笑って、肩をすくめる。


「書類仕事以外なら任せてください」


 守屋は返事を短く済ませた。


 着替え終えた二人は廊下を歩く。


 まだ人の少ない時間帯でも、どこかが常に忙しない。

 電話の呼び出し音が遠くで鳴り、返事が重なる。


 久保が、いつもの調子で言う。


「先輩、今日だけは残業したくないっす」


「なんだ、今日もか?」


「はい。今日は相手がナースなんですよ」


「聞いてない」


「つれないなー。たまには一緒にどうです?」


「俺はいいよ」


「固いっすねー。たまには息抜きした方がいいですよ?」


 守屋は一拍置いて答えた。


「ああ、そうだな」 


 二人は何気ない会話をしながら、名札が出ている部屋へ入った。


 未終死体処理課。


 二人が部屋に入ると、処理官が何名か机に向かい、黙々と仕事をしている。

 パソコンを叩く音と、紙をめくる音だけが残る。


 入口付近で、ひとりの男が待っていた。


「お、おはようございます!」


 守屋が近づき、声を落とす。


「おはよう。相馬悠斗だな?」


「はい。よろしくお願いします!」


 相馬は深く頭を下げる。


 明るめの茶髪のマッシュヘアで、可愛い系の顔をしている。

 真面目な好青年に見えるが、どこか緩い雰囲気が残っていた。


 守屋は手を出した。


「主任の守屋恒一だ。よろしく頼む」


 相馬は慌てて握手を返す。


「はい!」


 久保も手を出す。


「俺は久保だ」


「久保さん。よろしくお願いします!」


 守屋が淡々と告げる。

「基本的に今日から俺たち三人で一つの班として行動する。

 わからないことがあれば何でも聞いてくれ」


「わかりました!」


 久保が相馬の顔を覗き込む。


「なんだお前、緊張してんのか?」


「は、はい!」


 久保は相馬の肩を軽く叩く。


「落ち着けよ。

 そんなすぐに通報が来るわけじゃ──」


 言い終わる前に、部屋の無線が鳴った。

 この部屋の空気が一瞬で変わる。


「恒常生命管理局、通信です。

 池袋駅東口交差点、交通事故。

 死亡確認未了。

 未終死体発現の可能性あり」


 部屋の奥、署長席に座っていた男の声が飛ぶ。


「守屋!頼めるか?」


 守屋は迷わずに返事をする。


「はい。すぐに向かいます」


 守屋が振り返る。


「行くぞ」


 久保が即答する。


「はい!」


 相馬も遅れて声を出す。


「は、はい!」


 三人はすぐに部屋を出た。

 久保が鍵束を掴み、車へ向かう。

 相馬は足元がふわつきながらも、必死でついていく。


 車に乗り込み、久保が運転席に入る。

 サイレンが鳴り、門を抜ける。


 一般車の間を縫うように走ると、街の音が薄くなる。



 久保が前を見たまま言う。


「通報ってのは、なんでこう毎回タイミングがいいんですかね」


 助手席の守屋は腕を組み、目を閉じている。


「そういうもんだ」


 久保が軽口を重ねる。


「新人覚えとけ。

 昼飯にカップラーメンだけは絶対に選ぶなよ」


 後部座席の相馬が慌ててメモ帳を取り出した。


「わかりました!」


 守屋が目を開け、呆れたように相馬を見る。


「しょうもないことをメモするな」


「す、すいません!」


守屋は視線を前に戻した。


「とにかく、相馬。

お前は現場に着いたら何もしなくていい」


「えっ。何もですか?」


「ああ。

ただ、目は逸らすなよ」


 相馬は戸惑い、頷くしかなかった。


「はい……」


 その瞬間、久保の顔から笑いが消えた。

 仕事の顔に切り替わる。

 相馬には、その切り替えの速さが、相馬には不気味に見えた。



 一方、事故現場では、すでに人間の手に余っていた。


 事故で死んだはずの男が起き上がり、壊れた身体のまま、歩き出している。


 口から血を垂らしながら、声にならない声で呼ぶ。


「さ……なえ……」


 屈強な警官三人が盾を構え、死体を取り押さえようとするが、片腕で薙ぎ払われる。

 盾が転がり、隊列が崩れる。


 指揮を取る警部が叫ぶ。


「くそ!撃て!!」


 銃声が連続した。

 肩に当たり、腹に当たり、頭部をかすめる。


 血が飛び散り、男は一瞬のけ反る。


 だが、それでも止まらない。

 そのまま歩いてくる。


 警部が怒鳴る。


「処理官の到着はまだか!」


「あと五分ほどです!」


「五分……持ち堪えれるか……

 足を狙え!少しでも時間を稼げ!」


 泣き崩れていた妻と思われる女性が叫ぶ。


「やめてください!旦那を殺さないで!」


 警部が即座に怒鳴り返す。


「下がってください!あなたが狙われてるんだ!」


「で、でも……!」


「死にたくなかったら早く下がってください!」


 男の口が、また同じ音をこぼす。


「さなえ……」


 5分後、サイレンが近づいた。

 守屋たちの車が止まり、三人が降りる。


 現場からは銃声と怒号が聞こえ、空気が張りつめている。


 守屋が短く言う。


「急ぐぞ」


 久保と相馬が答える。


「「はい!」」


 交通規制の輪を割り込むように入る。

 守屋が手帳を開き、警官に示す。


「恒常生命管理局のものです」


 警官が息を吐く。


「待っていました!こちらです!」


 案内されて走り込んだ現場は悲惨な状況だった。

 電柱に突っ込んだ車は原型を留めていない。

 路面には、まだ温かい血が飛び散っている。


 そして、その中心に死んでいるはずの男が立っている。


 警官たちは距離を取り、銃で進行を防いでいた。

 頭を撃ち抜かれても、目だけは乾いたまま開いていた。


相馬は慌てて口を塞ぐ。


「あれが……未終死体……」


「警部!到着されました!」


「間に合ったか!」


 警部が守屋を見て、短く息を吐く。


「まさか、守屋主任に来ていただけるとは。心強い!」


「遅くなり申し訳ありません。あとはお任せを」


「お願いいたします」


 警部が指示を飛ばす。


「処理官が来られた!下がれ!」


 警官たちが瞬時に退いた先で、男は妻へ向けて歩き出した。


 目を開いたまま、こちらを見る。


「さ……さなえ……」


 泣き崩れていた女が反応し、瞳が揺れる。

 立ち上がり、駆け寄ろうとした。


「あなた!」


 だが、久保が即座に腕を掴み、引き留める。


「落ち着いてください!」


「離してください!まだ話してる!

 まだ……まだ生きてるじゃないですか!」


 守屋は目を瞑り、言葉を捻り出す。


「残念ですが……死んでいます」


 守屋が目を開き、久保へ視線を投げる。


「久保。奥さんに見せるなよ」


「わかってます!」


 久保が女を抱えるように後ろへ下げる。


 相馬は身体が震え上がり、足が動かなかった。

 守屋が相馬に視線を移す。


「相馬、目を離すなよ」


 相馬は返事ができなかった。

 喉が固まり、呼吸が浅くなる。


 守屋がナイフを抜く。


 男が呻き声を上げ、守屋に突っ込んでくる。


 守屋は一歩踏み込んだ。


 次の瞬間、男の視界から守屋の姿が消える。

 背後に回り、刃が脊椎を断つ。

 血が噴き上がるよりも先に、男の身体から力が抜けた。

 倒れる音だけが路上に残る。


 守屋は返り血を浴びたまま、ナイフの血を拭き取る。

 刃の欠けを確認し、何事もなかったように鞘に戻した。

 それはあまりにも洗練された動作だった。


 近くの新人の警官が息を呑む。


「す、すごい……警部、あの方は……」


 指揮をとっていた警部が小声で答える。


「ああ。

 ほら去年の渋谷で、でかいヤマがあっただろ?」


「あの事件の!あの人が有名な守屋主任ですか!」


 警部が低い声で言う。


「憧れるなよ」


「っえ?」


「処理官なんて仕事、この世にはない方がいいんだよ」


 警部は吐き捨てるように続けた。


「お前も続けてたらわかる。

俺はいくらもらっても、処理官なんて仕事はごめんだ」


 守屋が歩いて戻ってくる。


「あとはお任せします」


「わかりました」


 警官たちが遺体を袋に詰め始める。

 そこへ妻が駆け寄る。


「あなた!!」


 袋にしがみつき、泣き崩れる。


 相馬は口を開けたまま、その光景を見ることしかできなかった。

 その横で、守屋が言う。


「ちゃんと見たか?」


 相馬は固まったまま、返事ができない。

 守屋はそれでも言葉を置く。


「これがお前の……俺たちの仕事だ」


 守屋が立ち去ったあと、相馬はもう一度現場へ目をやった。


 路面の端に、潰れたケーキが落ちていた。

 プレゼント用に包装された車のおもちゃも、原型を残さずに押し潰されている。


 ケーキの上には、チョコレートの文字が残っていた。


ゆうと。

五歳の誕生日おめでとう。


 そして、夫婦の方に視線を戻す。


 妻がこちらを睨んでいた。

 まるで、人殺しを見るような目だった。


 相馬は思わず絶句する。


「……っ」


 声にならない。

 久保が相馬の腕を掴み、現場を引きずるように離す。


「見るな。見なくていい」


「はい……」


 夕方。

 局へ戻ると、部屋の空気は朝と同じはずなのに、相馬には別の場所に感じられた。

 机の上の書類が現実に戻してくる。


 久保が相馬の顔を覗き込む。


「新人、初出勤どうだった?」


 相馬は上手く言葉が出なかった。

 指先はまだ震えている。


「そ、その……」


 久保が相馬の肩を叩く。


「最初はそんなもんだ。俺や先輩だってそうだ」


 守屋が言う。


「相馬、覚えとけよ。

 死者を守る。それが処理官の誇りだ」


 相馬が小さく繰り返す。


「死者を守る……」


「そうだ。少しずつ慣れていけばいい」


「はい……」


 守屋が机の上を一瞥して、久保を見る。


「ああ、久保。相馬に事後処理の書類の書き方を教えてやってくれ」


 久保が露骨に顔を歪める。


「っえ?書類は先輩がやってくれるんじゃないんですか?」


「去年までは許していたがダメだ。

 お前にも後輩ができたし、これからは部下もできる」


 久保の顔が曇る。


「で、でも今日は合コンが……」


「今日は諦めろ」


「そ、そんな……」


 守屋は返事を短く切った。


「頼むぞ。俺はたまには息抜きしてくる」


 久保の文句を背中に受けながらも無視し、守屋は一人で外へ出た。


 タバコを咥え、火を点ける。

 煙を吐き、空を見上げる。

 暗い目の奥に、疲労が沈んでいた。



 死の定義が壊れた先で、終われない生が蔓延る。

 ここは、人類が死を越えようとして踏み外した世界。


 昔、この世界では、人は死ねば確実に終われたらしい。

 だが、ある時から未だ終わらない死体。

 未終死体が生まれ始めた。


 死は解放ではない。



 俺の仕事は死んだ人間を、もう一度殺すことだ。

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