第24話 狂犬お市様の尾張伝説の狂犬ライブ初日・午前講演

天文十六年(西暦一五四七年)初夏・八月八日 

尾張の伝説の日

尾張国・熱田 熱田神宮盆踊り夏祭り大会/特設野外ステージ

今日は伝説の日である。

確実に日を記載せねばならぬ。祐筆としての義務である。

――天文十六年(西暦一五四七年)八月八日。

尾張の男はこの日を、後世「胃が痛いのに幸せだった日」と呼ぶであろう。私は呼ぶ。今、呼ぶ。

熱田狂犬堂は、上から下までひっちゃかめっちゃかだった。

銭が舞い踊り、煎餅が飛び、団子が転がり、薬包が雪崩れ、反物が風にたなびく。

中村の農民――いや、いまや狂犬家臣団従業員である彼らは、夜明け前から生産し、牛車に積み、舟に積み、担ぎ、走り、熱田に在庫を積み上げていた。

みな忙しい。

胃が痛い。

でも――

笑顔だ。

「忙しいのに笑顔って怖いな……」と私が呟いたら、

隣で藤吉郎が光りながら言った。

藤吉郎「……姫様が“笑え”って言うから……」

私「命令が雑すぎる……」

藤吉郎「……でも、楽しい……」

私「それ、洗脳の入口だよ……」

寧々様とまつ様は、店の奥で目配せしていた。

この二人、最近“幹部”になってから表情が戦のそれである。

寧々「桃、帳簿、書ける?」

私「書けますが……この速度は“戦場”です」

まつ「戦場やな。熱田、今日だけで一国落ちるで」

私「尾張、落ちるのやめて……」

■祭りの熱田、もう戦場

そして外。

熱田神宮盆踊り夏祭り大会――すでに人が、いる。

数千?数万?

分からぬ。数えようとしたら胃が死んだ。

屋台は煙を上げ、太鼓が鳴り、盆踊りの輪ができ、子供が走り、男が叫び、女が笑う。

商人たちも忙しいが、みんな笑顔だ。

誰もが、今日だけは「売れる」と分かっている。

つまり――熱田が一番カネの匂いを出している。

そこへ、姫様。

姫様は皆を笑顔にさせる。

方法は雑。基本丸投げ。

だが結果だけは完璧。

「姫様……お出ましです……」と誰かが言うと、

人の流れが、潮のように一方向へ向かった。

特設野外ステージ。

ここからが、私の本番である。

記録せねば。

今日の狂犬伝説を、未来に残さねば。

■舞台袖:準備完了、胃が限界

舞台袖にて、姫様は鏡の前におられた。

ハイブランド・フルメイク。

世界一の美人が、世界一の美人を仕上げている。意味が分からない。

香りがする。

ハイブランド香水「お市」。

甘いのに凛としていて、近寄るだけで背筋が伸びる。怖い。

私「姫様……香水、強すぎませぬか……」

お市様「桃」

私「はい」

お市様「伝説は、匂いから始まる」

私「理論が雑すぎます……」

お市様「よい」

私「よいの!?」

寧々様は隣で、衣装の最終チェックをしていた。

深紅の狂犬織――ド派手。遠目でも分かる「狂犬」。

そして手には、骨太い津軽三味線。

寧々「姫様、爪、折れたら困るので、指先の補強は……」

お市様「ぬかりはない」

まつ「ぬかりあったら、尾張が泣くで」

私「もう泣いてるの私の胃です」

藤吉郎は袖で、チケット係と導線係と警備係を同時にやっていた。

光っている。眩しい。怖い。

藤吉郎「並ぶ者よ! 押すな! 押すとわしが潰れる!」

子供「おっちゃん、光ってる!」

藤吉郎「おっちゃん言うな!!」

■開演前:お市様、ひと言で場を支配

太鼓の合図。

司会が「まもなく開演!」と叫ぶ。

その瞬間、姫様が舞台袖から一歩出た。

――空気が変わった。

祭りのざわめきが、一瞬、静まる。

「見たい」という視線が、熱田の空に突き刺さる。

お市様(小声で私へ)「桃、書け」

私「はい!」

お市様「尾張の者よ」

私「(うわ、今から声出すやつだ)」

お市様「今日を忘れるでない」

私「(もう忘れられないやつだ)」

お市様「なぜなら――」

私「(胃が痛い)」

お市様「わらわが世界一美しいからじゃ」

私「(結論が雑!!)」

客席が、爆発したように湧いた。

「うおおおおおお!」

「姫様ぁぁぁぁ!」

「尾張の宝ぁぁ!」

「嫁にしてくれぇぇ!」

「黙れぇぇ!(女衆)」

女衆が強い。尾張の女は強い。

男衆が黙る。尾張の男は弱い。

この辺が、尾張の小ネタである。

■午前講演:第一曲「尾張じょんがら節」

姫様、構える。

三味線の撥が、空を切る。

――ジャーン!

重い。太い。芯がある。

津軽じょんがら節が、尾張の血を浴びて生まれ変わった。

曲名:「尾張じょんがら節」

最初の一撥で、客席の背筋が揃った。

まつ(小声)「……これ、魂ごと引っぱられるやつや」

寧々(小声)「姫様、音が“命令”になってる」

私(小声)「音で治安維持してる……」

姫様の指が走る。

撥が唸る。

香水の匂いが風に乗って客席へ落ちる。

女衆が、泣いた。

男衆が、叫んだ。

子供が、ぽかんと口を開けた。

子供「おいちさま、かみさま?」

母「そういうの言うたらあかん」

父「でも神や……」

母「うるさい、団子買ってこい」

父「はい……」

■第二曲「尾張りんご節」

間髪入れず――二曲目。

曲名:「尾張りんご節」

観客が手拍子を始める。

盆踊りの輪が、勝手に踊り出す。

屋台の親父が、串を落としそうになる。

屋台親父「おい……いま串落としたら、わし……尾張から追放される……」

屋台女将「落としたらあんた、獄門(※ブランド)やで」

屋台親父「獄門は買う側だろ!!」

笑いが走る。

祭りが一段上がる。

藤吉郎が袖で歯を食いしばる。

藤吉郎「……この熱狂……物量が足りぬ……」

私「足りないのは物量じゃなく、胃薬の量です」

藤吉郎「姫様に言うと“飲め”で終わるぞ」

私「雑すぎる……!」

■第三曲「俺たちの織田家臣団」

三曲目。

ここで姫様は、観客に煽りを入れた。

お市様「織田の者よ、声は出せるか」

男衆「出せるうううう!」

女衆「出しすぎるなぁぁ!」

曲名:「俺たちの織田家臣団」

これは危険だ。

この曲は危険だ。

団結が強すぎる。軍になる。

歌詞は姫様が歌うのではない。

客席が歌う。勝手に歌う。

知らないのに歌う。怖い。

「おーだ!おーだ!」

「家臣団!」

「うつけ様!」

「姫様!」

「胃が痛い!(※私の心の声)」

私は祐筆だ。

こういうときは冷静に記録する。

しかし手が震える。熱狂が紙に移る。

■第四曲「俺たちの尾張」

最後、姫様はゆっくり息を吸った。

曲名:「俺たちの尾張」

ここで、祭りが“伝説”に昇格した。

尾張の空が、震えたように感じた。

熱田の海風が、客席の汗を乾かし、香水の匂いを運ぶ。

姫様は、笑っていた。

世界一の美貌で。世界一の余裕で。

そして最後の一撥。

――ジャーン!

拍手。叫び。泣き声。笑い声。

午前講演は、完璧に終わった。

■終演後:姫様の丸投げ

舞台袖に戻ると、姫様は言った。

お市様「よし。次の講演までに――」

私「はい!」

お市様「売れ」

私「雑!!」

寧々「次の衣装、午後用に……」

お市様「まかせる」

寧々「承知」

まつ「団子の追加、倉から出すで」

お市様「まかせる」

まつ「承知」

藤吉郎「導線が詰まってるので、警備を……」

お市様「まかせる」

藤吉郎「承知……(胃が死ぬ)」

姫様は丸投げである。

だが――

全員、笑顔で走り出す。

怖い。

けれど、確かに楽しい。

この狂犬堂、もう止まらない。

■桃の祐筆日記

狂犬記/作者:桃

天文十六年(西暦一五四七年)八月八日。

尾張の伝説の日。

熱田神宮盆踊り夏祭り大会、特設野外ステージにて、

狂犬お市様・野外津軽三味線ライブ午前講演、開催。

登場曲は、

一、尾張じょんがら節

二、尾張りんご節

三、俺たちの織田家臣団

四、俺たちの尾張

姫様はハイブランド・フルメイク、香水「お市」の匂いは風に乗り、

観衆の熱狂は数千どころか、数万の気配。

終演後、姫様は「売れ」と仰った。

とても雑である。

だが我々は、なぜか笑顔で走った。

胃は痛い。

しかし今日、私は歴史の現場にいる。

次は 第25話(午後講演)

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