第16話 狂犬お市様の狂犬式・幹部育成術 ――試用期間? なにそれ美味しいの?――
寧々・まつ目線(交互)/狂犬記・作者:桃(末尾)
天文十六年(西暦1547年)五月上旬 初夏の気配
清州城下〜団子屋「井戸端団子(仮)」〜帰り道
■寧々(胸が、まだドキドキしてる)
採用。
採用って――あの、お市様のところに?
信じられへん。
清州城の帰り道、私は懐に入れた紙を何度も触ってしまう。
紙がくしゃって鳴るたびに、現実やって確認できる。
「寧々、また触ってる」
横で、まつが笑った。
いつも通りの、明るい声。
「だって……ほんまに……」
「ほんまやって。うちら、狂犬の門くぐったんやって」
「“門”ゆうても、あれ“地獄の入口”やろ」
「それな!」
二人で笑った。
笑ったけど、心臓は忙しい。
お市様の“採用通知(雑)”は、妙にちゃんとしてた。
文字は達筆で、紙は良い和紙で、朱色の狂犬印鑑がどーん。
文面は雑。けど、印鑑だけは強い。政治や。
採用通知
木下寧々 殿
そなた、狂犬家臣団・幹部候補生として採用す。
試用期間三ヶ月。
だが、試用も本採用も関係なく使う。
給金 五百文。
試用期間終了後 一貫。
尚、当社比(木下藤吉郎:日々五文の小遣い)。
以上。
狂犬(印)
「“当社比”って何やねん……」
私は紙見ながら、思わず声出した。
まつも同じ紙持ってる。まつのは宛名が前田まつ。
「“当社比”って、藤吉郎さんのことやろ」
「うん……藤吉郎様、毎日五文……」
「え、五文って、駄菓子しか買えへんやん」
「尾張の駄菓子……せんべい一枚で終わる……」
「いや、それ、藤吉郎さんが“せんべい配ってる側”になる未来しか見えへんわ」
二人でまた笑う。
笑わな、やってられへん。
■まつ(あたし、燃えてきた)
採用通知。
500文。
一貫。
金額だけ聞いたら「え?」やけど――
うち、分かってる。
これは“入口価格”。
お市様は、ほんまに稼ぐ場所作るタイプや。
「なあ寧々、団子食べよ」
「うん、団子食べよ……胃がきゅうってしてる」
「よし。団子は正義。尾張の胃袋は味噌と団子で出来とる」
清州城下の団子屋、行きつけ……になる予定の店に入る。
暖簾くぐった瞬間、甘い醤油の香り。
ここの“焼き団子”は、焦げ目がうまい。
城下の小ネタやけど、清州は井戸水がええから、団子も餅も妙にうまい。
「二本ずつでええか?」
「……三本」
「お、寧々、今日強いな」
「採用のショックで血糖が必要やねん……」
座敷に座って、団子が来た。
湯気と香りで、心がちょっと落ち着く。
「で?」
まつは箸を持ちながら言う。
「うちら、幹部候補生やねんけど」
「うん」
「試用期間、三ヶ月やけど」
「うん」
「“関係なく使う”って、言われたよな」
「言われた」
二人で顔を見合わせる。
「つまり」
私(まつ)が言う。
「明日から“本番”や」
寧々が、団子を噛みながら小さく震えた。
「……うち、縫うのは得意やけど、殴られるのは……」
「殴られる前提やめよ!?」
「いや、ほら、藤吉郎様、あの顔やったやん……」
確かに。
藤吉郎さん、面接の時点で「地獄増えた」みたいな顔してた。
ってことは、地獄や。
でも、うちは逃げへん。
逃げたら負けや。
利家? 知らん。今は目の前の狂犬。
■寧々(作戦会議:生き残り方)
団子を食べながら、私は真剣に言った。
「なあ、まつ。うちら、まず何から覚えなあかんと思う?」
まつは即答。
「“空気”」
「それ、藤吉郎様の得意分野……」
「ちゃう。狂犬の空気や。あれ、読めへんと死ぬ」
「いや、死なんけど、心が死ぬ」
「うん、心は死ぬ」
私は自分の紙を見て、指でトントンした。
「“幹部候補生”って、何するんやろ」
「雑用全部やろ」
「それ、普通やん」
「狂犬の雑用は規模が違う」
まつが団子を一本、勢いで食べる。
「なあ寧々」
「うん」
「うちら、強みあるやろ」
「強み?」
「寧々は裁縫。料理もいける」
「家庭料理やけど……」
「家庭料理が一番強い。腹を制する者は現場を制する」
「名言っぽいけど、雑」
まつは胸を張った。
「うちは、体力と根性。あと、場を回す」
「それ最強やん」
「せやろ。二人で組んだら、狂犬堂の台所も縫製も回せる」
「狂犬堂って、もう店の名前決まってるん?」
「知らん。けど、絶対そのうち言い出す。お市様やもん」
私は笑って、でもすぐ真顔になった。
「……でも、藤吉郎様が怖い」
「え、藤吉郎さん優しいやん」
「優しいけど、目が死んでる」
「それは、師匠のせいや」
二人で同時に言う。
「狂犬のせい」
■まつ(背後から来る、狂犬の影)
団子屋を出た。
夕方の風、川の匂い、清州の城下は平和。
……なのに。
「なあ」
まつが言う。
「なんか、背中が寒ない?」
「それ、うちも思った」
寧々が、小声。
二人、同時に振り返る。
そこに――
深紅の小袖。
髪はきっちり結われ、顔は発光。
背筋が伸びて、歩き方が“武”そのもの。
そして、笑顔が“慈悲”なのに、圧が“戦場”。
「……お市様」
寧々の声が裏返った。
お市様は、団子屋の前に立ち、首を傾げた。
「ほう。そなたら、団子か」
まつ「はい!」
寧々「はい……!」
お市様「よい。糖は力じゃ」
(理屈が筋肉。)
お市様は、ニヤリ。
「作戦会議は済んだか?」
寧々「え、聞いて……」
まつ「盗み聞き!?」
お市様「盗み聞きとは心外じゃ。わらわの領内では、声がでかいと全部聞こえる」
まつ「尾張の地理のせいにするな!」
お市様は楽しそうに笑う。
「よいよい。仲が良いのは武士団に必要じゃ」
「明日から、幹部育成を始める」
寧々「……育成……」
まつ「……術……」
お市様「試用期間? 関係ない。今から本番じゃ」
言うた。
ほんまに言うた。
■寧々(狂犬式・幹部育成“術”=まず地獄の説明)
お市様は、私たちに採用通知をもう一度見せろと言って、指先で紙をトントンした。
「寧々、まつ」
「はい」
「この紙、よく見よ」
「……はい」
お市様が、さらっと言う。
「五百文は、“最低保証”じゃ」
まつ「最低保証?」
「働きが良ければ増える。悪ければ減る」
寧々「減るんですか?」
お市様「減る」
まつ「容赦ない!」
お市様「容赦は慈悲じゃ。甘やかしではない」
私は思わず聞いてしまった。
「お市様……幹部候補生って、何を……」
お市様は、にこっと笑った。
「一つ。帳面」
「え?」
「桃が忙しくなる。ゆえに、記録ができる者を増やす」
「……はい」
「二つ。清潔」
「清潔?」
「商売は清潔が命じゃ。肌に塗るものを扱うならなおさら」
「たしかに……」
「三つ。口」
まつ「口?」
「客に笑顔で声をかける。商売は戦じゃ。声は槍じゃ」
まつ「声が槍!」
お市様「四つ。体力」
寧々「体力……」
お市様「疲れた顔は売上を落とす。ゆえに鍛える」
まつ「結局そこ!?」
お市様は、さらっと最恐を言った。
「明日から、朝稽古に参加せよ」
寧々「えっ」
まつ「えっ」
お市様「藤吉郎だけでは圧が足りぬ」
藤吉郎がどこからか出てきて、泣きそうな顔で言う。
「姫様、“圧”って便利な単語にしないでください……」
お市様「黙れ圧」
藤吉郎「はい……」
まつが私の袖を掴む。
「寧々、うち、空手とか無理やで」
「うちも無理……受け身とか、首折れる……」
お市様「折れぬ。殺さぬ」
(安心できない安心。)
■まつ(狂犬式“幹部育成”の最初の課題)
お市様は、団子屋の前で指を一本立てた。
「課題じゃ」
まつ「課題!?」
お市様「帰り道で、清州の店を十軒見てこい」
寧々「見て……何を……?」
お市様「何が売れているか、何が売れていないか」
「店の声、匂い、人の流れ、客層、値段、看板の字」
「全部、覚えよ」
まつ「それ、商人の修行やん!」
お市様「武士も商いを知らねば国は治められぬ」
寧々「……ほんまに国作る気や……」
お市様は、私たちに近づいて、顔を覗き込む。
近い。
いい匂い。
美貌の圧で、頭が真っ白になる。
「……そなたら、知恵にせよ」
「わらわの意図を考え、盗め」
「考える者が、勝つ」
そして最後に、笑って言った。
「団子、もう一本食べてもよいぞ。脳に糖を入れよ」
まつ「ありがとうございます!」
寧々「……団子で釣られる幹部候補生……」
まつ「釣られる! 団子は釣り餌じゃない、燃料や!」
お市様は満足げに頷いた。
「よい。では帰れ」
「明日、卯の刻(午前六時)に遅れるな」
寧々「卯の刻……」
まつ「……早っ」
お市様「遅れたら?」
寧々「……遅れたら……?」
お市様「握手会なしじゃ」
まつ「それ、罰なん?」
寧々「……尾張の男には最大罰……」
お市様はケラケラ笑い、豊臣号にひらりと乗って去っていった。
残された私たちは――団子を追加しながら、震えた。
◉桃の感想(祐筆)
寧々様とまつ様は、採用通知を受け取ってすぐ“知恵にしよう”としている。伸びる。
お市様の幹部育成は「給与」より「習慣」を作るタイプ。朝稽古を入れた時点で、逃げ道は消える。
試用期間三ヶ月は名目。実態は初日から全力運用。
藤吉郎殿は「圧」として便利に使われ始めた。本人は不服だが、組織の圧は必要である。
団子で脳に糖を入れろ、という指示は理にかなっているようで、結局はお市様が団子好きなだけの可能性もある。
◉桃の日記(狂犬記)
天文十六年(西暦1547年)五月上旬 初夏
本日、寧々様・まつ様が採用通知を受領。
給金は五百文、試用期間終了後一貫。尚当社比として藤吉郎殿は日々五文。
両名は帰途に団子屋へ寄り、幹部候補生として生き残るための作戦会議を行った(声が大きく、お市様に全て聞かれていた)。
お市様は「試用も本採用も関係なく使う」と改めて宣言。
幹部育成の第一課題として、清州城下の店十軒の観察を命じた。
両名は恐れつつも前向き。
明日より朝稽古参加。城の備品破損が増えぬことを祈る。
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