第7話 狂犬お市様と尾張中村 ――領地とは、もらうもの。村とは、震えるもの。――

狂犬記/作者:桃(お市様祐筆)

天文十六年(西暦1547年)正月七日 冬

尾張国・清洲城下 → 中村郷(なかむらごう)

清洲の朝は冷える。

川風が骨に刺さり、吐く息が白い。

……だというのに。

「よし、行くぞ!」

我が主君――**狂犬お市様(十一歳)**は、冬空の下でピカピカしていた。

顔も声もテンションも、だいたい全部が明るすぎる。

「桃!」

「は、はい!」

「藤吉郎!」

「は、はいっ!」

「出陣じゃ!」

「出陣!?」

藤吉郎殿が目をむく。

私も目をむく。

正月七日に出陣する姫を、私は知らない。

お市様は、当たり前のように言った。

「今日から中村は、わらわの狂犬領じゃ。見回りに行く」

「……見回りって」

「領主の仕事じゃ」

「領主の概念が雑すぎる……」

■ 豊臣号、冬の尾張を駆ける

お市様は愛馬・**豊臣号(芦毛のサラブレッド)**にひらりと乗った。

馬が嬉しそうに鼻を鳴らす。尻尾までご機嫌である。

そして、私と藤吉郎殿には――

「歩け」

「えっ」

「歩け」

「姫様、寒いです……」

「歩けば温まる」

「温まる前に心が折れます!」

お市様はニコニコしたまま、豊臣号を軽く進めた。

「藤吉郎」

「はいっ!」

「案内せよ。中村は、そなたの庭じゃろ?」

「いや、庭ってほど広くは……」

「庭じゃ庭」

(庭認定が強引すぎる)

清洲から中村へ。

道中、庄内川の方から冷たい風が吹き、畑には霜が白く残っていた。

お市様は、道端を見て突然言った。

「……この辺の畑は、痩せておるの」

藤吉郎殿が驚いた顔をする。

「姫様、分かるんですか?」

「分かる」

「……なぜ?」

お市様は胸を張った。

「わらわは、医の天才で、経済の博士で、歴史の教師じゃ」

「どれも尾張の十一歳に過積載ぃ!」

私は筆を握り直した。

今日も記録が追いつかない予感がする。

■ 中村到着:藤吉郎の顔が固まる

しばらくして中村郷に入ると、藤吉郎殿の足が遅くなった。

「……懐かしいか?」

お市様が問う。

藤吉郎殿は小さく頷いた。

「……はい。……ただ」

「ただ?」

藤吉郎殿が、やや青い顔で言った。

「……村の人らに、姫様を紹介するの、怖いです」

「なぜじゃ」

「姫様、だいたい全部、急に決めるからです……」

私は深く頷いた。祐筆の同意である。

お市様は、ふむ、と顎に手を当てて考えた――ふりをして。

「では、今決める」

「今決めるのが一番怖い!」

■ 藤吉郎の実家:今日より狂犬屋敷

藤吉郎殿の実家は、中村の外れ。

茅葺きの家で、庭には薪、裏には畑、近くに小川。

尾張の“普通”の家だ。

普通のはず、だった。

お市様が馬上から指示した。

「桃」

「は、はい」

「旗」

「……は?」

「旗を立てよ」

振り向くと、家臣(と呼んでよいのか分からぬ)数名が、いつの間にか担いでいた。

――めちゃくちゃでかい、深紅の旗。

中央に丸印、そして雑な筆致で「狂犬」。

下にはさらに雑に「狂犬印」。

「……姫様、あれ、いつ作ったんですか……」

「昨日の夜」

「夜な夜な実験って、それですか!!?」

藤吉郎殿が顔面蒼白になる。

「うちの家が……燃える……」

「燃やさぬ」

「でも、村が燃えそうです!!」

お市様は、旗が掲げられるのを満足そうに見上げた。

深紅の狂犬旗が、冬の風にバサバサと鳴る。

村の鳥が一斉に飛んだ。

「うむ。よい」

「よくない!」

■ 村人招集:中村、震える

旗が上がった瞬間から、村の空気が変わった。

畑仕事の手が止まり、家の戸が少しずつ開き、影が増える。

そして、誰かが叫ぶ。

「おい! 中村に……赤い旗が立っとるぞ!」

「え、戦か!?」

「いや、あれ……“狂犬”って書いてある!」

「狂犬って何だ!?」

「犬が領主か!?」

違う。犬ではない。姫である。狂犬姫である。

お市様は馬上から、堂々と命じた。

「中村の者、全員出てこい!」

声が通る。

十一歳の声とは思えない。寺の鐘より響く。

村人がぞろぞろ集まってくる。

男も女も子も、赤子を抱えた母も、腰の曲がった老人も。

そして最前列に、藤吉郎殿の母――**仲(なか)**がいた。

仲殿は、息子を見て、次に旗を見て、最後にお市様を見て、静かに言った。

「……藤吉郎」

「か、母上……」

「……何を、やらかしたの」

「わしは……何も……」

「顔が“やらかした顔”だよ」

母は強い。尾張の母はさらに強い。

■ 狂犬領宣言:年貢一割、畑は無税(ただし)

お市様は、皆を見渡し、さらっと言った。

「今日より、中村はわらわの領地じゃ」

村人「「「……は?」」」

藤吉郎殿「は?」

私「は?」

胃「キリキリ」

お市様は続けた。

「今年から、水田の年貢は一割。畑作は無税じゃ」

村が一瞬静まる。

次の瞬間――

「い、いちわり!?」

「畑が……無税!?」

「本当か!?」

ざわざわ、ざわざわ。

尾張の小ネタを言うと、

この時代の百姓の年貢は“軽くない”。むしろ“重い”。

だから、村人の目がいきなり光った。

しかし。

お市様は、間を置いて、にこり。

「ただし」

村人たちが、息を飲む。

「わらわの指導に従え」

村人「「「……は?」」」

藤吉郎殿「は??」

私「は???」

お市様は指を一本立てた。

「まず、畑を見せよ。畝を整える。水の引き方を変える。

 それと、冬の間に仕込みをする。春に勝つ」

村人A「姫様、何を……」

お市様「あと、身だしなみを整えよ」

村人B「え」

お市様「むさ苦しい男は――」

私が反射で筆を止める。

お市様「タコ殴りじゃ」

村人「「「ぇぇぇぇ!?」」」

藤吉郎殿が叫んだ。

「姫様!村人に何を教える気ですか!?」

「強く生きる術じゃ」

「強く生きるの方向性が拳!」

■ 藤吉郎、理解しようと努力する

藤吉郎殿は、母の横に立ち、村人を見回し、そしてお市様を見上げた。

その目が、さっきまでの“怯え”から、少し変わっている。

「……姫様」

「なんじゃ」

藤吉郎殿は、勇気を出して聞いた。

「……どうして、中村なんですか」

お市様は、ほんの少しだけ言葉を選んだ。

「……ここは、そなたの故郷じゃろ」

藤吉郎殿の喉が鳴る。

「……はい」

「そなたが強くなるなら、根も強くなれ」

村の者は、まだ分かっていない。

だが藤吉郎殿は、少しずつ分かってきた。

(姫様は、“土地を取った”んじゃない)

(“守る場所”を作ったんだ)

藤吉郎殿は、深く頭を下げた。

「……わし、村のために働きます」

仲殿が、ぽつり。

「……藤吉郎」

「はい、母上」

「……髪、どうしたの」

「……英雄の道です」

「その道、やめな」

母は容赦ない。尾張の母は最強。

お市様が横から言った。

「仲殿」

「……はい、姫様」

「藤吉郎を、立派に仕上げる」

仲殿は、一瞬だけ息を飲んでから、頭を下げた。

「……よろしくお願いいたします」

藤吉郎殿の顔が、ぐしゃっと歪んだ。

泣きそうなのを必死で堪えている。

お市様は、にこり。

「泣くな。泣くなら卵三十個じゃ」

「脅し方ぁぁぁ!」

■ 村人、最後に一つだけ聞く

村の長らしき老人が、恐る恐る言った。

「姫様……年貢が軽いのはありがたい……

 だが、領主になったからには……我らに何を求める?」

お市様は即答した。

「働け。学べ。清潔にせよ。

 子を守れ。老人を守れ。女を守れ。

 そして、余った分は、売れ」

村人たちの顔が、ぽかんとなる。

「売る……?」

お市様は頷いた。

「米も、野菜も、布も、売って銭にせよ。

 銭は、道と橋と薬に変える」

私は思った。

この姫様――遊びで言っていない。

(……胃が痛いけど)


◉桃の感想(祐筆として)

・深紅の狂犬旗は、でかい。目立つ。村が震えた。私も震えた。

・年貢一割・畑無税は衝撃。だが「指導に従え」がもっと衝撃。

・藤吉郎殿が、お市様の意図を理解しようと努力している。良い。

・仲殿(母)は強い。尾張の母は、狂犬にも怯まぬ。

・私の胃が痛い。誰か、狂犬式胃腸薬を。


◉桃の日記(狂犬記/作者:桃)

天文十六年(西暦1547年)正月七日 冬

本日、狂犬お市様は豊臣号に乗り、藤吉郎殿と私を伴い、中村郷へ。

昨日作成した深紅の巨大狂犬旗(雑)を藤吉郎殿の実家に掲げ、

「今日より狂犬屋敷」と宣言された。

さらに村人全員を招集し、

「今日よりわらわの領地」

「水田年貢一割、畑は無税」

と告げたため、中村は一瞬天国になった。

が、続けて

「わらわの指導に従え」

と宣言されたため、中村はすぐ地獄になった。

藤吉郎殿は、なぜ中村なのかを問い、理解しようと努力していた。

お市様は「根も強くなれ」と言った。

私は筆が止まった。意味が重い。

なお、藤吉郎殿の母・仲殿は

「髪どうした」と容赦なく突っ込み、藤吉郎殿は沈黙。

母は最強である。

私の胃は痛い。

中村の未来は明るい……たぶん。

――以上。

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