第8話 狂犬お市様と尾張中村 狂犬式所得倍増計画! ――年貢一割? それは入口。地獄はここから。――
狂犬記/作者:桃(お市様祐筆)
天文十六年(西暦1547年)正月十日 冬
尾張国・中村郷/藤吉郎実家前・広場
中村郷は、朝からざわついていた。
三日前に突如――
「今日よりわらわの領地!」と宣言され、
深紅の巨大旗――**狂犬印(丸に狂犬、雑)**が藤吉郎殿の実家に掲げられたからである。
村人は言う。
「……あれ、夢か?」
「いや、旗がまだ立っとる」
「夢じゃない……最悪じゃ」
最悪ではない。
年貢一割、畑無税になったのだから、本来は天国のはずだ。
だが中村の村人は経験で知っている。
――安いものには裏がある。
特に、狂犬が関わると裏しかない。
■ 朝から集合:村人、逃げ道を探す
広場に村人が集められた。
男も女も子も老人も、なぜか鶏を抱いた者までいる。
中央には、愛馬・豊臣号に跨るお市様。
朝日を受けて白い肌が光り、髪は艶、目は宝石。
……美しいのに、目が戦場。
その横で、藤吉郎殿が正座。
私も正座。筆を抱える。胃は立って逃げたい。
お市様が手を上げる。
「静まれ」
空気が凍った。
冬の寒さではない。狂犬の圧である。
「今日、所得倍増計画を発表する」
村人「「「……しょとく?」」」
老人「……しょとく、とは何じゃ」
若者「たぶん銭の話だ!」
女衆「銭!? いい話!?」
男衆「いや、絶対よくない!」
藤吉郎殿が小さく呟く。
「……所得倍増……姫様、何をさせる気だ……」
顔は青いが、目は真剣だ。
逃げたいのに理解しようとする。これが藤吉郎殿の強さか。
■ 狂犬式所得倍増計画:結論は三つ
お市様は堂々と宣言した。
「中村を倍にする策は――三つじゃ」
村人「「「三つ!?」」」
(助かった。十二よりは生きられる。)
お市様は指を立てる。
「一つ。水を制する。――水路じゃ」
「二つ。灯りを増やす。――油じゃ」
「三つ。売る。――余りを銭に変えよ」
村が、ぽかんとなる。
「……それだけ?」
お市様がにっこり笑う。
「それだけで、十二になる」
(出た。)
■ 地獄の十二は“段取り”で殺す
お市様は続けた。
「水路を拡幅する。春の田に水を回す。
田植えは村総出で一気に終わらせる」
村人「人海戦術!!」
「田には鯉を放て。虫を食い、食えて、売れる」
村人「鯉!? 魚!?」
「畑には菜種を作れ。油を搾れ。灯りを取れ」
女衆「油があれば夜に機織りできる……!」
男衆「夜に仕事!?」
「そして余った分は売れ。銭は道と薬になる」
村人「銭……!」
――ここまでで、村人の頭は限界に近い。
だが、お市様は止まらない。
「牛十頭で耕せ。糞は堆肥じゃ」
村人「十頭!? どこで!?」
「鶏は各戸十羽。卵で病を減らせ」
村人「十羽!? うるさい!!」
「養蚕、綿花、藍、染め、薬草、椎茸、蜂蜜、ハゼ、漆……」
村人「「「情報量ぉぉぉ!!」」」
老人「……はぜ、とは魚か?木か?」
若者「どっちもある気がする!」
私も思った。
(村が一回死んだ顔だ。私もだ。)
■ 反乱寸前:藤吉郎、試される
村の長が恐る恐る言った。
「姫様……ありがたい話もある……が……
それを、誰が、いつ、どのように……」
お市様は即答。
「わらわが教える」
村人「「「姫様が!?」」」
「そして、おぬしらがやる」
村人「「「結局やるのは俺ら!!」」」
藤吉郎殿が耐えきれず叫ぶ。
「姫様! 水路も中洲も田植えも鯉も牛も鶏も蚕も藍も綿花も油も薬草も!
いっぺんにやったら村が死にます!!」
お市様は藤吉郎殿を見た。
叱る目ではない。
――試す目だ。
「藤吉郎」
「は、はい!」
「なら、順番を考えよ」
「……え?」
お市様はゆっくり言った。
「おぬしは、わらわの知恵を、おぬしの知恵にせよ。
村が回る形に組み替えよ」
藤吉郎殿の脳が爆速で回転するのが見えた。
(姫様は全部決めてるようで、実は段取り役を育てている……?)
(村だけじゃない……わし自身も……)
藤吉郎殿は歯を食いしばり、頭を下げた。
「……分かりました。やります」
村人「「「え、やるの!??」」」
■ 藤吉郎、段取りを“人間サイズ”にする
藤吉郎殿は枝を拾い、地面に図を描いた。
「まず、冬のうちにできるのは水路だ」
「水路が広くなれば、春の水が回る」
村の若者「春までにやるんか……」
藤吉郎殿は頷く。
「田植えを村総出で一気に終わらせるのは――
“後の時間”を作るためだ」
村の女が言った。
「時間ができたら、畑も、機織りも……?」
「そうだ」
藤吉郎殿は指を地面に走らせる。
「油ができれば灯りが増える。
灯りが増えれば夜に手が動く。
手が動けば布が増える。
布が増えれば売れる」
村人たちが、少しだけ黙った。
「鯉は虫を食う。食える。売れる。
卵は栄養だ。病が減る。働ける」
藤吉郎殿は汗を拭い、言葉を絞り出す。
「……姫様の狙いは、倍増じゃない。
“余る”村を作ることだ」
その瞬間。
村の空気が、一歩だけ前へ出た。
お市様が満足そうに頷く。
「よいぞ藤吉郎。少し賢くなった」
「……ありがとうございます(怖)」
■ 代金問題:熱田と、胃痛と、親父殿
村の長が震えながら言った。
「だが……牛や鶏や種や道具……どこから……」
お市様がさらっと言う。
「足りぬものは熱田で買え」
村人「「「熱田!?」」」
「代金は――」
私と藤吉郎殿が同時に嫌な予感を抱く。
「親父信秀、兄信長につけておけ」
村人「「「つける!?」」」
藤吉郎殿が叫ぶ。
「姫様! 商人が泣きます!」
お市様は涼しい顔だ。
「泣かせるな。笑わせよ」
「難易度が戦国!!」
私は小声で呟いた。
「……胃が痛い……」
お市様が即答。
「桃、胃が痛いなら薬草を育てよ。計画の中じゃ」
「私の胃、政策に組み込まれてる!?!?」
■ 最後に:中村狂犬領の“最初の掟”
お市様は、最後に念押しした。
「なお、中村狂犬領の掟を一つだけ追加する」
村人「「「一つなら……」」」
お市様は、にこり。
「逃げるな」
村が固まる。
「逃げる暇があるなら、手を動かせ。
手を動かせば、腹が減る。腹が減れば、食える。
食えれば、生きる。生きれば、勝てる」
狂犬の理屈は雑だ。
だが、妙に真っ直ぐだった。
藤吉郎殿が村人に向き直り、深く頭を下げた。
「皆。死なせない。
……俺が段取りを付ける」
村の誰かが、恐る恐る頷いた。
中村は今日、地獄を見た。
だが――地獄の先に、道がある気がした。
(胃は痛いが。)
◉桃の所見(祐筆)
本日、中村は「所得倍増」という名の地獄を見た。
だが同時に、藤吉郎殿が“段取り役”として立ち上がった。
狂犬が投げた無茶は、
誰かが受け止めれば「策」になる。
受け止めたのは、禿げ鼠――ではなく、藤吉郎殿である。
(なお髪は減っている。)
……胃薬を増やす。
――以上。
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