第5話 狂犬お市様は、狂犬式ちゃんこ鍋(雑)を作成する ――飯も修行。胃袋も弟子。――

狂犬記/作者:桃(お市様祐筆)

天文十五年(西暦1546年)師走十日 冬

尾張国・清洲城下/清洲屋敷

朝稽古が終わった瞬間、藤吉郎は倒れた。

倒れたというより、地面に吸い込まれた。

「……ぜぇ……はぁ……。わし、もう……土になる……」

「なるな」

冷たい声が上から落ちる。

顔を上げると、そこに立っているのは――

世界一の美貌、世界一の理不尽。

**織田市様(十歳)**である。

冬の清洲、空気が刃みたいに冷たいのに、

お市様だけは春みたいに艶やかで、にこにこしている。

「藤吉郎」

「は、はい……(遺言の時間かな……)」

「飯じゃ」

「……飯?」

「飯も修行じゃ」

藤吉郎の目が、ゆっくり絶望に濁った。

「や、やめてください……。

 修行って、普通……飯の前に終わるものでしょう……」

「終わっておる」

「じゃあ、なんで地獄が続くんですか!」

お市様は胸を張った。十歳の胸だが、威圧は百歳。

「地獄ではない。

 鍛錬の延長じゃ」

「言い換えただけぇ!」

■ 湯浴み:藤吉郎、魂を茹でる

稽古後、藤吉郎は湯殿に放り込まれた。

「溺れるなよ」

「溺れたら自己責任じゃ」

私・桃は、湯殿の外で帳面を抱えながら見守る。

祐筆とは、主君の理不尽を“記録という形で永遠に残す”職である。つらい。

湯殿から聞こえるのは、藤吉郎の微かな独り言。

「……なんで姫様、十歳であんなに強いんや……」

「……普通の姫様って、鞠とか、貝合わせとか……」

「……うちの姫様、拳合わせや……」

そのころ、お市様も湯浴みをされていた。

湯気の向こうで、ふうっと息を吐く姿は神々しい。

「今日も、よき稽古じゃった」

……本人は満足そうだ。

弟子は半熟だが。

■ 台所:狂犬式ちゃんこ鍋(雑)の誕生

湯浴みを終えたお市様は、髪を適当に拭い、台所へ直行した。

「桃、鍋を出せ」

「はい」

私は鍋を出した。

するとお市様は、迷いなく昆布を放り込む。

どぼん。

「出汁は昆布じゃ。以上」

「……以上でございますか?」

「味噌を入れれば完成じゃ」

完成の定義が雑すぎる。

そこへ、ふらふらの藤吉郎が戻ってきた。

湯気で少しだけ生き返った顔をしている。

「……あ、姫様。今日は……味噌汁ですか……?」

「ちゃんこ鍋じゃ」

「……ちゃんこ?」

「強くなる鍋じゃ」

お市様は、次々に材料を入れる。

鶏肉、豆腐、野菜。順番は気分。

「姫様、それ……切り方……」

「切り方は、腹に入れば同じじゃ」

「料理の概念ぅ!」

鍋がぐつぐつ言い始めると、味噌をどばっと入れた。

香りだけは、ちゃんと旨い。

(……雑なのに、なぜか旨い)

藤吉郎の腹が、正直に鳴った。

「きゅるるる」

「ほら、腹が褒めておる」

「腹は正直すぎるんです!」

■ 食トレ開始:飯は優しいが、量が狂犬

鍋が出来上がり、藤吉郎は器を受け取った。

ひと口。

「……あっ」

驚きの顔。

「……意外と……うまい……」

お市様は得意げに頷いた。

「うむ。味噌と昆布じゃ。勝ち確じゃ」

(勝ち確、って何語だろう)

藤吉郎は二口目、三口目とすすり、思わず笑いかける。

「……姫様。

 これ、ほんまに、うまいです」

その瞬間。

お市様の目が、少しだけ柔らかくなった。

ほんの一瞬。

だが、私は見逃さなかった。

(……褒められるの、好きなんだ……)

お市様は咳払いして、平静を装う。

「当然じゃ。

 わらわは世界一の美女で、世界一の天才じゃからの」

「天才は黙ってても天才です!」

「黙る必要はない」

「開き直りぃ!」

そこへ、お市様が“別皿”を置いた。

どん。

皿の上には――卵。卵。卵。卵。

卵の行列。

藤吉郎が固まる。

「……姫様……これは……」

「鳥の卵じゃ」

「見ればわかります!」

「湯でて食べよ」

「……何個……?」

お市様は、にこり。

「一日二十個じゃ」

清洲の冬が、一段階寒くなった。

「……に、にじゅっ……?」

「英雄は卵を食う」

「また英雄理論!雑理論!」

「雑でよい。

 分かりやすいのが正義じゃ」

「分かりやすさで胃が死ぬ!」

■ 藤吉郎、お市様の意図がわかりはじめる(努力)

藤吉郎は、卵を手に取って、しばらく眺めた。

顔が真剣だ。

「……姫様」

「なんじゃ」

藤吉郎は恐る恐る言った。

「……姫様は、わしを……

 ただ地獄に落としたいわけやない……ですよね?」

お市様は、少しだけ目を細めた。

「……ほう」

藤吉郎は続ける。

言葉を選びながら。

「……わしは、草履取りで、禿げ鼠で、

 足だけは速いけど、強くもないし、偉くもない。

 でも……姫様が拾ってくれた」

私は筆が止まった。

藤吉郎が、ちゃんと“考えている”。

藤吉郎は、卵を握りしめた。

「姫様は……

 これから先、尾張で、戦が増えるって……

 分かってるんじゃないですか」

お市様は、答えない。

だが否定もしない。

藤吉郎は、さらに言った。

「……わし、今日、走ってる時に思ったんです。

 姫様の足の運び、武士のそれやなくて……

 戦場を知ってる人みたいで……」

言い過ぎた、と思ったのか、藤吉郎は慌てて言い直す。

「いや!姫様は姫様で!十歳で!でも!

 とにかく!わしは!

 姫様が“生き残れ”って言うてる気がして……!」

お市様は、ふっと鼻で笑った。

「藤吉郎」

「は、はい!」

「少しだけ、賢くなったの」

「褒められた!?今、褒められた!?」

「喜ぶな。卵を食え」

「そこは地獄継続ぅぅ!」

だが藤吉郎は、以前よりも目が真っ直ぐになっていた。

(……分かろうとしている)

(理解しようと努力している)

卵を剥きながら、藤吉郎はぽつりと呟く。

「……姫様が、わしを作ってるなら……

 わしは、作られてみます」

お市様は、器を持って、ちゃんこ鍋をすすった。

「うむ。

 作られよ。

 そなたは、わらわの――」

一瞬、言葉が止まる。

「……弟子じゃ」

藤吉郎の胸が、変な音で鳴った。

恋か、胃痛かは分からない。

「……はい……弟子……」

私は思う。

藤吉郎殿、これは多分、恋である。

そして胃痛でもある。両方だ。

■ 結論:食事も地獄(ただし意味がある地獄)

藤吉郎は結局、

狂犬式ちゃんこ鍋:三杯

茹で卵:二十個

を前にして、顔面が白くなった。

「……姫様……

 胃が……戦場に……」

「胃も鍛えよ」

「胃に武士道を求めないでぇ……」

私は、そっと胃薬のメモを増やした。

未来の私へ。耐えろ。


桃の感想(祐筆として)

・狂犬式ちゃんこ鍋は、雑だが旨い。味噌と昆布は偉大。

・卵二十個は、雑理論だが“意図”はある気がする。

・藤吉郎殿が、お市様の真意を理解しようとし始めた。偉い。

・ただし胃は限界。明日が怖い。


桃の日記(狂犬記/作者:桃)

天文十五年(西暦1546年)師走十日 冬

本日、お市様は稽古後に台所へ立ち、狂犬式ちゃんこ鍋を作成。

出汁は昆布、味は味噌、切り方は気分。

しかし、なぜか旨い。恐ろしい。

藤吉郎殿には食トレ命令。

「卵は茹でて一日二十個」

英雄理論(雑)により、強制。

ただし藤吉郎殿、今日初めて、お市様の意図を理解しようとした。

“生き残れ”と言われている気がする、と。

お市様は褒めた(少しだけ)。

私はその一瞬を見逃さなかった。

結論:狂犬の地獄には、意味がある。

だが胃に優しくはない。

――以上。

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