第2話
第二話
一本松ゼミには、在籍していない学生がいる。
正確に言うと、在籍していないのに返事だけはする学生だ。
一本松ゼミは教育人間科学部の教育課程に属する研究室だ。教育課程にはいくつかゼミがあり、合同での講義も多く行われる。
「では次、一本松ゼミの松本佐知さん」
「はい」
出欠確認のために名前を読み上げられると、元気な返事が講義室に響いた。隣に座っていたマリアが瞬きをする。
「……佐知、今日来ていないよね」
静は頷いた。
「そういえば、試合が近いから今日はサボるって言ってたかも」
「じゃあ今の返事、誰?」
惣一郎が真顔で言った。
「はい」
再び何かが返事した。今度ははっきりした声だった。しかも声は佐知そのものだったのだ。
講義の後、研究室に集まって先ほどの話をすると、一本松教授は笑った。
「高畑先生の講義だったんだろう。あの先生は、欠席に厳しいからな」
一本松教授の言葉に応えるように、机の下からまたあの声がした。
「はい」
「ちょっと、やめてよ。今日ひとりでトイレいけなくなるじゃん」
マリアが青ざめながら近くに置いてある塗り壁人形に抱きついた。教授の私物である。大きさが適切とはいえ、縋るものが間違っている気がする。
「妖怪に抗議してもなあ……」
「はい」
「ほら!今の絶対『はい』って言った!」
一本松教授は嬉しそうに大学ノートを開いた。
「うん、姿を見せずに返事だけはする。勤勉な妖怪だ」
「勤勉すぎません?」
その時、研究室のドアが勢いよく開いた。
「すみませーん!遅れました!」
本物の佐知だった。ショートカットにジャージ姿で、肩にはテニスのラケットバッグを背負っている。
「ところで高畑先生の講義、出欠取った?」
「取った」
「返事してた」
静とマリアが一連のできごとを説明すると、佐知は目を丸くした。
「え、なにそれ怖」
佐知は一瞬だけ黙り込み、それから言った。
「でもさ、私そういうの、ちょっと心当たりある」
「あるんかい」
それまで黙っていた誉が即座に突っ込んだ。
「ほら、高畑先生の講義の時、来れない日でも『はい』って返事したいなって思うこと、あるじゃん」
「あるね」
「それはある」
全員が同意した。佐知はだからね、と頷いた。
「それさ、私の未練が返事したんだよ……」
その瞬間、机の下から小さく、
「はい……」
という、自信なさげな声がした。弱っている。正体を言い当てられて、弱ってしまったのか。もしくは本物の佐知が現れたことで用済みだと悟ったのか。
一本松教授は立ちあがって手を叩いた。
「なるほど。これは『返事残り』だな。学生の心残りが妖怪になる、学内限定の存在だ」
「そんなピンポイントな妖怪います?」
「国立大学にはなぜか多い。学生が無駄に誠実なんだ」
なぜか全員納得してしまった。
佐知が「とりあえずさ」と立ち上がった。
「お腹すいたからみんなで学食行こ。未練も連れていっていいかな」
「学食行く妖怪、初めて聞いた」
その日、学食で注文した定食はひとつ多かった。誰も食べていないのに、白米だけが少しずつ減っていった。味噌汁には、手が付かなかった。
「これからも、いざという時は頼むよ」
佐知が言うと満足そうな返事が返って来た。
「はい」
それ以降、佐知が欠席の時には時々『返事残り』が現れている。佐知以外が欠席の時にはあらわれない。妖怪にも好みがあるのかもしれない。佐知は、美人なのだ。
一本松教授のノートには、妖怪を捕まえる機能は備わっていないらしい。
「妖怪はね、捕まえなくてもいい。気づいて、忘れなければ、それでいいんだ」
佐知だけが得をして、佐知だけが損をしない妖怪が、今日も頑張っている。
一本松教授のノートには、下手な絵と共にこう書かれている。
『返事残り
主な出没場所:講義室、一本松研究室
好物:学食の白米
好きな女性のタイプ:茶髪ショートカットの美人』
一本松研究室は今日も平和だ。
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