第2話――森の縁で、人の痕跡を拾う
朝は、音で来た。
鳥の鳴き声ではない。
もっと鈍く、重い。
遠くで何かが“動く”音。森全体が、それに合わせてわずかに呼吸を変える。
エリオは目を開けた。
まだ完全に目覚めていない意識の底で、すでに“違和感”が立ち上がっている。
音よりも先に、空気の張りが変わった。
《外部音響:増加》
《方向:東南》
「……来てるな」
何が、とは言わない。
言葉にするより先に、身体が反応している。
拠点の外へ出ると、森の朝霧が足元を這っていた。湿った冷気が肌にまとわりつく。昨日の夜、警戒線に何度か触れた痕跡がある。獣か、あるいは別の何か。だが線は切られていない。意図を持って侵入したわけではないらしい。
エリオは改修途中の偵察ドローンを手に取った。
昨日よりも翼を広げ、姿勢制御のプログラムを調整してある。安定度はまだ低いが、短時間の偵察には使える。
「上がれ」
ドローンが浮く。
低く、慎重に。
空気を掴む感覚が、機械にも伝わっているのが分かる。
森の上空に、視点が開く。
木々の海。
起伏。
遠くの尾根。
その中に――直線があった。
「……道?」
自然の森には、直線はない。
川も、風も、獣の通り道も、必ず歪む。
だが、あの線は違う。一定の幅で、一定の向きで、一定の“踏み固められ方”をしている。
《画像解析:高確率で人工物》
「だよな」
エリオはドローンをその方向へ進ませた。
高度を少し上げ、木の上を越える。
すると、森の縁が見えた。
木々が途切れ、開けた空間がある。
草地。
そして――
点在する、四角い影。
「建物……?」
息が、無意識に止まる。
人の痕跡。
それも、偶然の残骸ではない。
住むために作られた形。
ドローンをさらに近づけようとした、そのとき――
“張り”が変わった。
空気が、一瞬だけ硬くなる。
森のざわめきが、ほんの僅かに止まる。
エリオは反射的に、ドローンを下降させた。
遅れて、画面の端に“動くもの”が映る。
馬。
いや、馬に似た、しかし少し体格の違う獣。
それに跨る、人影。
「……騎乗?」
《光学拡大》
布。
革。
金属の光。
人だ。武装している。
エリオはドローンを木陰に隠すように後退させた。
近づきすぎた。
この距離で見つかれば、撃ち落とされるかもしれない。
撃ち落とされなくても、“何かがいる”ことが伝わる。
森の縁で、騎乗者たちが集まっている。
五、六……いや、十近い。
馬車のようなものもある。
人が、行き交っている。
商隊。
あるいは、護衛付きの移動集団。
「……文明だな」
《高い確率で》
エリオは拠点へ戻り、無人スーツの警戒ルーチンを一段階引き上げた。
攻撃はしない。だが、接近すれば存在感を示す。
“見えない壁”を作るような配置に変える。
そして、自分自身は森の影へ移動した。
艦艇の残骸は目立つ。ここに人が来れば、必ず見つかる。
見つかる前に、彼らが何者かを知る必要がある。
エリオは身を低くし、森の縁へ近づいた。
足裏で、地面の固さが変わる。踏み固められた道の感触。
それだけで、ここを人が頻繁に使っていると分かる。
声が聞こえる。
言葉だ。
意味は分からない。
だが、抑揚とリズムがある。
怒鳴り声ではない。日常の会話だ。
《音声解析:言語パターンを学習します》
ARIAが自動で動き始める。
周囲の音を切り出し、文節を推定し、音の繰り返しを拾う。
それは時間がかかる作業だが、聞いているだけで少しずつ“輪郭”が見えてくる。
エリオは茂みの中から、商隊の様子を観察した。
荷を積んだ馬車。
護衛らしき者たちが周囲を囲んでいる。
その一人が、何かを指さしている。
その先――
森の中。
こちらを見ている。
「……気づいたか」
エリオは動かなかった。
動けば“そこにいる”と確定する。
だが動かなくても、視線は刺さる。
そのとき、別の騎乗者が叫んだ。
声が鋭くなり、空気が変わる。
次の瞬間――
森の別の方向から、獣の咆哮が響いた。
低く、太い。
昨日倒した獣と、同じ種類かもしれない。
商隊がざわめく。
護衛たちが武器を構える。
馬が怯え、蹄が地面を叩く。
エリオは“張り”が一気に高まるのを感じた。
森全体が、獲物を前に息を詰めるような感覚。
「……来る」
《同意します》
獣が森を割って飛び出す。
大きい。
速い。
護衛の一人が振り向くのが遅れ、
次の瞬間、爪がその身体を引き裂いた。
血が飛ぶ。
人が倒れる。
商隊が悲鳴を上げる。
エリオは歯を噛みしめた。
介入すれば、見つかる。
だが、見殺しにすれば、ここで“人の世界”との関係は終わる。
「……やるしかない」
無人スーツに、攻撃許可を出す。
“存在を示す”だけの警戒では足りない。
ここは戦場だ。
《了解》
森の影から、人型の影が動く。
誰も見ていない方向から、獣へと迫る。
エリオ自身は、茂みの中で銃を構えた。
直接出る必要はない。
だが、外すつもりもない。
獣が護衛の一人を踏みつけようとした瞬間――
無人スーツの刃が、その脇腹を裂いた。
獣が悲鳴を上げ、よろめく。
誰が切ったのか、誰にも分からない。
ただ、突然“何か”に斬られたように見える。
エリオは、そこへ一発だけ撃ち込んだ。
音は森に吸われ、弾は獣の急所を貫く。
獣が倒れる。
商隊が、呆然とその場を見つめる。
「……今の、何だ?」
誰かの声。
混乱。
だが、生き残った護衛がいる。
血を流しながら、地面に座り込んでいる。
エリオは、まだ姿を見せない。
だが、森の“張り”を少しだけ緩める。
救われた命。
見えない救い手。
この瞬間から、噂が生まれる。
それが良い噂か悪い噂かは、まだ分からない。
だが一つだけ、確かなことがある。
この惑星には――
人がいる。
そして、
人の世界に足を踏み入れた瞬間、
エリオの戦いは、別の形を取り始める。
**『規格外の観測者 ~異世界に転移した一兵卒は、魔法を使わず世界を読む~』** @itoyuse
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