**『規格外の観測者 ~異世界に転移した一兵卒は、魔法を使わず世界を読む~』**
@itoyuse
序章――**『規格外の観測者 ――落下する真空』**
戦艦は、まだ撃っていた。
それが戦いと呼べる状態かどうかは、もう怪しい。艦内を満たす振動は不規則で、低い唸りの中に金属が悲鳴を上げるような軋みが混じる。床が一度、ほんの僅かに浮く。重力制御が遅れたのだ。遅れは破断の予兆で、整備兵の身体はそれに敏感だった。
エリオは通路の角で立ち止まった。隔壁に手をつくと、冷たいはずの金属がぬるい。熱が回っている。艦は外側だけでなく、内側からも疲弊していた。天井の配管に走る結露が震え、ひと粒が落ちる。普通なら些細なことだが、こういう時に落ちる水滴は、艦が「まだ生きている」証拠でもあり、「もう限界だ」という警告でもあった。
「外装、どこが一番まずい」
喉の奥に残った乾きで声が掠れる。無線の向こうは雑音だらけだった。誰かが叫び、誰かが泣き笑いのような声を出し、そこへ艦内放送の断片が噛み合わずに割り込む。戦闘というより、巨大な機械が崩れながら走っている音の集合だ。
「……全部だ」
返ってきた声は整備主任だった。いつもなら怒鳴る男が、妙に静かだった。静かさは悪い。
「第三区画が持たない。推進の熱が回り過ぎてる。補修艇は――」
エリオは言葉を継がせなかった。続きは分かっている。
補修艦艇は全艇使用中。あるいはもう戻らない。つまり、外で直す手段がない。
通路の奥から担架が走ってきた。担架の上には白い顔が見え、誰かが「どけ!」と怒鳴る。担架の脚が床の継ぎ目に引っかかり、乗せられた身体がわずかに揺れた。その揺れを、運ぶ者たちは必死に止める。戦闘の最中に人が痛む音がするのは嫌だった。艦は死にかけ、人も死にかける。整備兵はその両方を見続ける。
警報灯の赤が、艦内の角という角に染みついている。もう誰も「赤だ、危険だ」とは言わない。赤は日常で、日常が危険だ。
「……強襲艇を使う」
自分の声がやけに落ち着いて聞こえた。整備兵が吐く言葉ではない。だが今は、正しい言葉より正しい結果が必要だった。艦橋がそれを許すかどうか――迷う暇はない。エリオは走った。
強襲艦艇ハンガーへ向かう通路は、空気の匂いが違った。油と消毒剤、そして焦げの匂い。ここは本来、突入兵が集められる場所で、整備兵が汗を流す場所じゃない。壁の表示灯は落ち着いた青で、戦闘区画の赤とは違う。皮肉に、ここだけが「通常運用」を装っていた。
ハッチが開く。
中に一歩入った瞬間、エリオは居心地の悪さを覚えた。広い。余白が多い。だがそれは安心の余白じゃない。ここは人間の身体をぶつけ、壊してでも前へ進むための余白だ。
壁面に固定された戦闘用スーツが並ぶ。人型。関節の数、装甲の層、腰回りの補助機構。人が着るための形をしているのに、中は空だ。空であることが前提の配線、空であることが前提のロック。
無人でも動く。無人でも殺す。そういう設計思想が、無言で整列している。
床下のコンテナ列を見る。武器、弾薬、補給物資、医療、切断工具、爆破用資材。索敵・警戒・制圧用のドローンラックが何列も並び、充電状態を示す淡い光が規則正しく点滅している。
その数を見て、思わず口をついた。
「……中隊かよ」
《強襲艦艇の常設装備です》
耳元で支援AI、ARIAの声。温度のない声が、現実を淡々と確認してくる。
「一人で扱う量じゃない」
《本来は一個中隊で運用します》
「そうだろうな」
エリオはシートに身体を沈め、拘束具を締める。操作系の配置は整備艇と違う。触れ慣れていない。だが触れないわけではない。訓練で一度だけ、形式的に触ったことがある。
訓練のときは笑い話だった。「整備兵が強襲艇を使う日なんて来ない」と誰かが言い、皆が笑った。笑い話は、現実に起きるから笑い話になる。
艦橋から通信が入った。音が割れ、向こうの声が遠い。
「敵、距離を詰めている。強襲行動に移行。
可能なら外装補強、無理なら――離脱しろ」
「了解」
その直後、艦全体がひときわ大きく揺れた。主砲斉射。反撃している。それだけで、状況が悪いと分かる。余裕があるなら、反撃のタイミングはもっと選べる。今は選べない。殴られたら殴り返すしかない。
強襲艦艇が射出される。
艦体から切り離された瞬間、艦内の振動が一段落ちた。静かになったのではない。振動源が変わっただけだ。真空へ放り出され、音が消える。音が消えると、人は逆に怖くなる。何が起きているか分からなくなるからだ。
外装損傷箇所が視界に入る。熱、亀裂、剥離。補強材を当て、固定しようとする。指が思ったより硬い。宇宙手袋の感触はいつでも鈍いが、今日は輪をかけて鈍い。疲労が手に回っている。焦りもある。
エリオは深く息を吸い、吐いた。
そのときだった。
違和感。
衝撃でも、振動でもない。もっと根の深いズレ。宇宙服の内側の圧が変わったわけでもない。計器が壊れたわけでもない。なのに、視界が「落ち着かない」。
星の配置が引き伸ばされたように歪む。艦体の輪郭が二重に見え、位置情報が一斉に揺らぐ。
怖いのは、揺らぐことではない。揺らぎ方が「事故」ではないことだ。事故なら乱れる。これは、揃って乱れている。
《警告。座標固定不能》
《未知の空間干渉》
「……敵の兵器か?」
答えが来る前に、視界の端で艦影が伸びた。伸びたというより、引き剥がされた。
次の瞬間――上下が消えた。
落ちる。
真空で落ちるはずがないのに、落ちる。
胃が引き攣り、背中が冷たくなる。宇宙で何度も死にかけた。砲撃で、爆発で、減圧で。だが、落下は別の恐怖だった。空間が「正しい」前提が崩れる恐怖。
恐怖は理解より速い。
強襲艦艇の自動制御が即座に作動する。推進が噴き、姿勢を保とうとする。AIが必死に「普通」を探している。
《外部環境、変化》
《……大気を検知》
《重力加速度、急増》
「大気……?」
青が広がった。雲。曲面。地表。
惑星。
有り得ない。戦域は宙域で、ここに惑星はなかった。だが目の前にある。あるものを否定できるほど、人間は強くない。
船体が熱を帯びる。燃えている。赤熱した外装が視界の隅で光り、衝撃が拘束具越しに身体を叩く。
それでも、壊れない。
「……こいつ、落ちる気か」
誰にともなく呟く。
設計思想が今になって理解できた。これは帰るための艇じゃない。戻るなら選ぶべきは補修艇かシャトルだ。
これは叩きつけられても、生き残るための艇だ。
落下が長い。
長すぎる。
燃え続ける時間は、祈る時間になる。祈りは嫌いだ。整備兵は祈らずに直す。だが、直す時間もない。今は祈るしかない。
衝撃。
木々が砕け、枝が視界を叩き、斜面を滑る。金属が削れ、土が跳ね、船体が何度も跳ねる。
死ぬと思った。
だが衝撃は、致命的ではなかった。致命に届く前に吸われ、散らされている。
最後に艦艇が停止したとき、
世界は唐突に静かになった。
意識が戻る。
重力がある。
空気がある。
それだけで、ここが真空ではないと分かる。宇宙服越しでも空気の圧は感じる。肌ではなく骨が感じる。
計器が半分死んでいる。だが生命維持は動いている。
《生体反応:安定》
《周辺警戒、開始します》
ハッチが開く。
警戒ドローンが射出される。滑るように飛び出し、……落ちた。
空中で姿勢を保てず、地面に激突して砕ける。
「……は?」
二機目、三機目も同じだった。ほんの数秒、浮いた気配を見せてから、重力に引きずられるように墜落する。
《推進制御:環境不適合》
《無重力前提の制御です》
《大気対応には改修が必要》
エリオは目を閉じ、短く息を吐いた。怒りではない。落胆でもない。
ただ、現実を並べ替える作業だ。
ここは、無重力ではない。
そして、ここは自分が想定した戦域でもない。
外に出る。
青い空。
森。
匂いがある。湿った土と葉、樹脂、そして燃えた金属の焦げ。
遠くで生き物が鳴く。音が、距離を持って届く。宇宙ではあり得ない。距離という概念が、ここでは生々しい。
戦闘用スーツを起動する。
人が着る形をしているが、今は空のまま。無人制御モード。
スーツの指が、静かに握られ、ほどかれる。関節が滑らかに動く。
人の影が、人なしで動く。
それは安心材料であり、同時にぞっとする光景でもあった。
「……中隊分を、俺一人か」
《指揮権限はエリオにあります》
「分かってる」
中隊の装備があるから勝てる、とは限らない。人がいない。手が足りない。判断が遅れれば、装備は棺になる。
それでも、何もないよりは遥かにいい。
森の奥で枝が折れた。
重い足音。呼吸のような低い唸り。
エリオの身体が先に動いた。
武器を構える。照準。距離。
躊躇がない。躊躇して死ぬのは嫌だった。
獣が飛び出す。大きい。筋肉の塊。牙。
引き金。
音が森に響き、獣が跳ねる。血が飛ぶ。だが止まらない。
二発目。
三発目。
ようやく獣が倒れ、土に沈む。
静けさが戻った。
エリオは肩で息をしながら、自分の手を見た。震えていない。
いや、震えるべき場面なのに、震えが遅れている。
――動ける。
――反応が早い。
――疲労が、思ったほど足を引かない。
理由は分からない。だが、否定もしない。
兵士は、理由が分からなくても結果を使う。
彼は獣の死体を引きずり、艦艇の陰へ運んだ。無駄に血の匂いを広げたくない。匂いは呼ぶ。
小さな作業が、精神を落ち着かせる。整備兵の習慣だ。混乱の中で手を動かすと、頭が整理される。
艦艇の残存装備を確認する。電力。弾数。医療。工具。
そしてドローンラックを見上げる。
「……飛べないなら、飛べるようにする」
《改修案を提示しますか》
「後で。まずは生存優先だ」
日が傾き、森の影が伸びる。空の色が変わるのを、エリオは黙って見た。艦内の赤とは違う赤。自然の色は、残酷なほど綺麗だった。
彼は焚き火を作るか迷い、作らない選択をした。煙は目立つ。ここが誰の世界か分からない以上、目立つのは危険だ。
代わりに艦艇の陰に簡易の休息スペースを作る。熱源は最小。光は隠す。
中隊装備の一部を、ただの「夜を越える道具」に落とし込む。戦いの道具は、生存の道具でもある。
夜が来る。
見知らぬ星が空に浮かぶ。配置が違う。見覚えがない。
それだけで、帰路が無い可能性が胸に刺さる。
《通信:応答なし》
《広域スキャン:未知の電波環境》
「……孤立、確定か」
《はい》
短い肯定が、重かった。
エリオは目を閉じ、耳を澄ませた。森の音がある。風が葉を擦る。遠くで何かが鳴く。
宇宙の闇より、地上の闇のほうが近い。見えないものが近い。
それでも、彼は怖がり方を知っていた。怖がりながら動く方法を知っていた。
「明日やることを決める」
独り言のように言い、指を折る。
拠点化。
装備の整理。
ドローンの大気対応改修。
無人スーツの警戒ルーチン最適化。
周辺の地形把握。
そして――ここが何なのかを、少しずつ“感じ取る”。
真空は、本来落ちない。
落ちるという感覚は、世界が嘘をついた証拠だ。
だが世界が嘘をついたなら、
こちらもそれに合わせて生き方を変えるしかない。
エリオは、空を見上げたまま目を細めた。
焦燥が胸の奥で燃え、諦めがその上から薄く蓋をする。
諦めは終わりではない。諦めることで、ようやく次に進める。
《休息を推奨します》
「……分かってる」
目を閉じる。
闇の中で、艦艇の金属がまだ熱を持っているのを背中で感じた。
自分は今、落ちた先で生きている。
それだけが確かな事実だった。
そして、
その確かな事実の外側に――
まだ言葉にならない“何か”が、静かに待っている気配がした。
エリオはそれを、理解しようとしなかった。
ただ、感じたままに、眠りへ沈んだ。
物語は、ここから始まる。
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