第二話 蝕まれた剣姫と、忍び寄る錆

暗闇が支配するダンジョンの底で、俺、アレンは一人の冒険者の遺体と向き合っていた。

場所は地下50階層の一角。岩陰に隠れるようにして朽ち果てていたその遺体は、肉こそ削げ落ちて白骨化していたが、身に着けている装備は辛うじて形を留めていた。


「……悪いな、先輩。あんたの装備、貰わせてもらうよ」


俺は白骨に向かって手を合わせる。

裸足に薄汚れた下着一枚という姿では、魔物の牙を防ぐことも、ゴツゴツとした岩場を歩くこともままならない。生き残るためには、死者の持ち物だろうと利用する必要があった。


俺は遺体が身に着けている革鎧とブーツ、そして傍らに落ちていた錆びついた短剣に手を伸ばす。

どれもボロボロだ。革鎧はカビと乾燥でひび割れ、ブーツは底が抜けかけている。短剣に至っては赤錆が全体を覆い、刃こぼれも酷い。鉄屑として捨てられていてもおかしくない代物だ。


だが、今の俺には『視える』。

それらの物体に付着した「劣化」や「汚損」という概念が、まるでこびりついた泥汚れのように視界に映るのだ。


「『浄化(クリーン)』」


短く唱え、掌で革鎧の表面を撫でる。

俺の脳内で、対象から「経年劣化」と「腐敗」の概念を摘み取り、拭い去るイメージを固める。


すると、奇跡が起きた。

ひび割れていた革が瞬く間に潤いを取り戻し、カビの斑点が消え去る。色褪せていた黒色は深みを増し、まるで熟練の職人が丹精込めて鞣(なめ)したばかりの新品のような艶を放ち始めた。


「……すげえ」


自分のやったことながら、思わず声が漏れる。

続けてブーツ、そして短剣にも『浄化』を施す。

ボロボロだったブーツは足に馴染むしなやかな強さを取り戻し、赤錆の塊だった短剣は、銀色の輝きを放つ鋭利な刃へと変貌した。柄の革巻きも再生し、手に吸い付くようなグリップ感が蘇る。


「これが、俺の本当の力……」


俺は再生した装備を身に着け、短剣を軽く振った。ヒュン、と風を切る鋭い音が響く。

これなら戦える。

いや、戦う必要すらないかもしれない。


『シャアアアアッ!』


頭上から殺気が降ってくる。

岩壁に張り付いていた巨大な毒蜘蛛、『アシッド・スパイダー』だ。溶解液を垂らしながら、俺の頭上へと飛び掛かってくる。

以前の俺なら、悲鳴を上げて逃げ回ることしかできなかっただろう。だが今は、その動きがひどく緩慢に見える。

いや、違う。俺が冷静になったことで、蜘蛛が放つ「殺意」の方向と、その生命活動の「淀み」が見えているのだ。


俺は避けない。短剣も構えない。

ただ、左手を頭上にかざし、無造作に呟く。


「邪魔だ。『浄化』」


俺が認識したのは、蜘蛛が俺に向けて放出した「運動エネルギー」と、それを支える「筋肉の収縮」という事象。

それらを「不要な汚れ」として認識し、世界から拭き取る。


ブツン。


空中で蜘蛛の動きが完全に停止した。

まるで糸が切れた操り人形のように、慣性だけで放物線を描き、俺の足元へとボタリと落ちる。

外傷はない。だが、ピクリとも動かない。

体内を循環していた毒液の生成プロセスも、心臓の鼓動も、全て「リセット」されて停止したのだ。


「……効率がいいな」


俺は倒れた蜘蛛を一瞥し、その魔石を取り出すために短剣を入れる。

ナイフの切れ味は抜群だった。硬い甲殻をバターのように切り裂く。

魔石を取り出し、付着した体液を一瞬で『浄化』してポケットに入れる。これが地上で売れば金になる。


「よし、行こう」


俺は暗闇を見据えた。

目指すは地上。そして、俺を捨てた連中がのうのうと生きている世界だ。

だがその前に、俺の強化された感覚が、ある「異変」を捉えていた。


このフロアのさらに奥。

とてつもなく濃密で、どす黒い「汚れ」の気配がする。

それは魔物の瘴気ではない。もっと悲痛で、切実な……「崩壊」の予兆。

まるで美しい絵画に墨汁をぶちまけたような、強烈な違和感が俺の知覚を刺激していた。


(……なんだ? 魔物じゃない。人間か?)


放っておけばいい。今の俺は自分の生存が最優先だ。

だが、その「汚れ」のあまりの不快さに、掃除好きとしての本能がうずいた。

あんなに汚れたものを放置しておくのは、精神衛生上よろしくない。


「……確認だけ、するか」


俺は気配を殺し、異変の元へと慎重に歩を進めた。


岩場を抜け、地下水脈が流れる広場に出る。

そこは、青白い発光苔が天井を覆い、幻想的な光景が広がっていた。

その中心。水辺の岩場に、一人の少女が倒れていた。


「っ……!」


息を呑むほどの美しさだった。

月光を紡いだかのような長い銀髪。陶器のように白い肌。

ボロボロに破れた衣服からは、華奢な肢体が見え隠れしている。

だが、その体は異常な状態にあった。


彼女の全身には、赤黒い幾何学模様の「紋様」が浮き出ており、そこからバチバチと赤黒いスパークが迸(ほとばし)っている。

彼女自身が発する膨大な魔力が制御を失い、肉体を内側から食い破ろうとしているのだ。


「う……あ……ぐぅ……」


少女の口から、苦悶のうめき声が漏れる。

彼女が身に着けている砕けた大剣や、特徴的な銀髪を見て、俺は彼女の正体に気づいた。


「まさか……『剣姫』エリスか?」


エリス・フォン・アーベント。

王国のギルドで唯一、ソロでSランクに認定されている怪物。

その剣技は勇者レオンをも凌ぐと言われ、美しくも冷酷な戦いぶりから『剣姫』の異名を持つ。

だが、彼女には悪い噂もあった。

『呪われた力』を行使し、その代償として余命幾ばくもない、という噂だ。


俺は恐る恐る近づく。

彼女の周囲に漂う「崩壊」の気配は、近づくだけで肌がピリピリと痛むほど濃密だった。


「……来る、な……」


俺の足音に気づいたのか、エリスが薄く目を開けた。

その瞳は鮮烈な真紅。だが、今は焦点が合わず、苦痛に揺らいでいる。


「離れ、ろ……巻き込まれる……私の魔力が、爆発、する……」

「……ひどい状態だな」


俺は彼女の警告を無視して、膝をついた。

近くで見ると、その惨状はより鮮明だった。

彼女の皮膚には無数の亀裂が走り、そこから魔力が漏れ出している。

細胞の一つ一つが、許容量を超えたエネルギーに耐え切れず、悲鳴を上げているのが『視える』。


これは病気でも怪我でもない。

「自己崩壊」という現象だ。

通常の回復魔法(ヒール)では治せない。ヒールは「細胞を活性化させる」魔法だが、今の彼女に活性化を促せば、暴走が加速して爆発するだけだ。

だから彼女は、誰にも治せず、ここで孤独に死を待っていたのだろう。


だが。


「……汚れているな」


俺は呟いた。

彼女の美しい魂と肉体にこびりついた、この「暴走」と「崩壊」という概念。

それは本来あるべき彼女の姿を阻害する、最悪の「汚れ」だ。


「な、何を……言って……」

「じっとしててくれ。少し、掃除をする」

「そ、うじ……? 何を、馬鹿な……うあぁっ!」


エリスの体が大きく跳ねる。限界が近い。

俺は迷わず、彼女の胸元に手を伸ばした。


「触るな! 死ぬぞ……ッ!」

「死なないよ。俺も、あんたも」


俺の手のひらが、彼女の心臓の上に触れる。

熱い。火傷しそうなほどの高熱だ。

俺は意識を集中する。

彼女の体内で荒れ狂う魔力の奔流。ズタズタになった魔力回路。そして、肉体を蝕む「呪い」の根源。

それら全てを、黒いヘドロのような「汚れ」としてイメージする。


(イメージしろ。頑固な油汚れを、強力な洗剤で根こそぎ剥がし取るように)


「――『概念浄化(コンセプト・クリーン)』・対象『崩壊』」


俺の魔力が、彼女の体内に浸透する。

それは癒しの光ではない。無慈悲なまでの「消去」の力。


ジュワァァァッ……!


そんな幻聴が聞こえるほど、劇的な反応だった。

俺の手が触れた場所から、赤黒い紋様が急速に色を失い、消滅していく。

暴走していた魔力は、行き場を失って消えるのではなく、純粋な魔力へと濾過(ろか)され、静かに彼女の丹田へと収まっていく。

ひび割れた皮膚から「傷」という概念が拭い去られ、白くなめらかな肌が再生する。

彼女を苦しめていた激痛、倦怠感、死の予兆。

その全てが、俺の『浄化』によって洗い流されていく。


「あ……ぁ……?」


エリスの口から、呆けたような声が漏れる。

苦悶に歪んでいた表情が緩み、代わりに驚愕が見開かれる。


数秒後。

俺が手を離すと、そこには無傷のエリスが横たわっていた。

赤黒い紋様は消え失せ、肌は宝石のように輝いている。

乱れていた呼吸は整い、穏やかな寝息に近いリズムを刻んでいた。


「……うそ」


エリスは自分の体を抱きしめ、信じられないというように両手を見つめた。


「痛くない……。体が、軽い……?」

「汚れは落ちたよ。少し魔力も摩耗していたみたいだったから、ついでに疲労も消しておいた」


俺は額の汗をぬぐいながら、努めて平然と言った。

実際はかなり神経を使った。

彼女の強大な魔力を残しつつ、暴走している部分だけをトリミングして消去するのは、シミ抜き作業の中でも最高難易度の技術を要したからだ。


エリスが勢いよく起き上がり、俺の胸ぐらを掴んだ。

華奢な体のどこにそんな力があるのかと思うほどの握力だ。


「あなた、何をしたの!? 私の体は、『魔神の呪い』に侵されていたのよ!? 王都の最高位の神官ですら、匙を投げた不治の呪いよ! それを、一瞬で……!」

「呪い? ああ、あの黒いベタベタしたやつのことか。しつこい汚れだったけど、要は『本人の意思に反して付着している異物』だからな。俺のスキルで拭き取れたみたいだ」

「拭き取った……? 呪いを、汚れみたいに?」


エリスはポカンと口を開け、まじまじと俺の顔を覗き込む。

その真紅の瞳には、先ほどまでの警戒心はなく、代わりに強烈な好奇心と、崇拝にも似た熱が宿っていた。


「……名前は?」

「アレン。ただの……元・雑用係だ」

「アレン……」


エリスは俺の名前を噛みしめるように呟くと、その場に跪(ひざまず)き、深々と頭を下げた。


「ありがとう、アレン。貴方は私の命の恩人だわ。この恩は、一生かけても返しきれない」

「い、いいよ、そんな大げさな。俺はただ、汚れているのが気になっただけで……」

「いいえ! 貴方は私を救った。地獄のような苦しみから、私を解き放ってくれた!」


顔を上げたエリスの瞳には、涙が浮かんでいた。

Sランク冒険者、『剣姫』。冷徹と言われた彼女の、年相応の少女のような素顔。

それを見て、俺の胸の中にあった冷たい塊が、少しだけ溶けるような気がした。


「……俺も、ここから出るために協力者を探してたんだ。あんたみたいな強い人がいてくれれば心強い」

「ええ、任せて。私の剣は、今この瞬間から貴方のものよ。貴方の敵となるものがいるなら、例え神でも斬り伏せてみせる」


エリスは立ち上がり、俺の手を取った。

その手は温かく、力強かった。

俺をゴミのように捨てた連中とは違う。彼女は、俺の力を認め、必要としてくれている。


「行こう、アレン。このダンジョンを出て、地上へ」

「ああ」


俺たちは並んで歩き出した。

最強の『剣姫』と、最凶の『掃除屋』。

奇妙な二人の旅が、ここから始まった。


   ◇ ◇ ◇


一方その頃。地上、冒険者の宿『金の杯』にて。


勇者レオンたちは、最高級のワインを開け、祝杯を挙げていた。


「アレンの奴を追い出した記念に、乾杯!」

「かんぱーい!」


レオン、マリア、そして新入りのゲイルがグラスを合わせる。

テーブルには豪華な料理が並び、周囲の客たちは羨望の眼差しで彼らを見ていた。


「いやぁ、せいせいしたぜ! あいつがいると、どうも湿っぽくていけねえ」

「全くだ。戦闘中も後ろでチョロチョロして目障りだったからな。これからはゲイルの火力で、ガンガン攻められる」

「任せとけって! 俺の爆炎魔法で、どんな魔物も黒焦げにしてやるよ」


ゲイルは肉にかぶりつきながら、下品に笑う。

マリアも上品に微笑んでいるが、その目はどこか落ち着きがない。


「……ねえ、レオン。このワイン、ちょっと味が落ちてない?」

「ん? そうか? いつものヴィンテージものだぞ」

「なんか、渋みが強いというか……喉にイガイガする感じが残るのよ」


マリアは眉をひそめてグラスを置いた。

以前は同じワインでも、もっとまろやかで、悪酔いしない澄んだ味がしたはずだった。

(アレンがこっそりと、提供される飲み物や食べ物から『不純物』や『雑味』、『微量の毒素』を浄化していたことなど、彼女は知る由もない)


「店の保管状態が悪いんだろう。後で文句を言っておくさ」


レオンは気にせずワインを呷るが、ふと肩を回して首を鳴らした。


「……あー、なんだか今日は肩が凝るな。昨日の疲れが残ってるのか?」

「レオンでも疲れることがあるのね。マッサージでも頼めば?」

「そうだな。……チッ、剣の手入れもしなきゃならんし、面倒なことだ」


レオンは腰に下げた聖剣の柄を親指で弾く。

いつもなら、剣は鞘の中で勝手に輝きを保っていた気がする。

だが今日は、なぜか鞘から抜くときに微かな抵抗を感じた。

ほんのわずかな「引っかかり」。

微細な埃や、刃の表面に浮き始めたナノレベルの酸化膜が、摩擦を生んでいるのだ。


「ま、明日になれば治ってるだろ。俺は勇者だからな、回復力も人一倍だ」


根拠のない自信で、レオンは違和感を無視した。

今まで「明日になれば治っていた」のは、アレンが夜通し彼らの体をメンテナンスしていたからだという事実を、彼らは完全に忘却している。


「それより、明日は『深緑の大森林』の調査依頼だろ? Sランク依頼だ、気合入れていこうぜ」

「ええ、そうね。私たちが本気を出せば、あんな森なんて庭みたいなものよ」


マリアは髪をかき上げる。

その指先が、わずかに毛先で引っかかった。

(あれ? トリートメント変えたかしら? ちょっとパサついてる……?)


小さな違和感。

それは、ダムに生じた蟻の一穴のようなものだ。

今はまだ、誰も気づかない。

だが、その穴は確実に広がり、やがて彼らの栄光全てを押し流す濁流となる。


「アレンの奴、今頃どうしてるかな? 野垂れ死んでなきゃいいけど」


ゲイルが意地悪く笑う。


「ふん、知ったことか。あいつにはお似合いの末路だ」


レオンは冷たく吐き捨て、残りのワインを一気に飲み干した。

そのワインが、いつもよりひどく酸っぱく感じたことを、彼は不機嫌そうに顔をしかめることで誤魔化した。


彼らの体内で、彼らの装備で。

『崩壊』へのカウントダウンは、静かに、しかし確実に動き始めていた。

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2026年1月12日 19:00
2026年1月13日 19:00
2026年1月14日 19:00

「君のスキル『掃除』はゴミだから解雇ね」と追放されたが、俺が消していたのは仲間の『疲労』と『死の運命』だった件。今さら泣きつかれても、君たちの身体はもう崩壊始まってますよ? @yuksut

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