曇り屋
すくらった
それは、世界を曇りにする仕事
28歳フリーター、佐藤悠真は求人雑誌に掲載されたある広告を、思わず二度見した。「世界を曇りにする仕事。時給1500円、未経験可、シフト自由」。妙な文言だった。胡散臭い、とも思ったが、コンビニの深夜バイトに嫌気が差していた悠真には、なぜかその言葉が引っかかった。世界を曇りにするって、なんだ? 映画のセット作り? いや、これは暗号で、ちょっとヤバい仕事とか? 好奇心と金欠が彼の背中を押した。指定されたメールアドレスに連絡すると、翌日には「明日から勤務可能」と返信が来た。面接もテストもなし。怪しさ満点だったが、悠真は「まあ、やってみよう」と軽い気持ちでオフィスに向かった。
オフィスは、雑居ビルの地下にあった。薄暗い廊下の突き当たり、看板もない扉を開けると、灰色のモニターがずらりと並ぶ部屋が現れた。壁には無数のスクリーンが埋め込まれ、それぞれが異なる風景を映している。戦車や兵士のいる戦場、きらびやかなネオン街、どこか懐かしい田舎の川辺、そしてよくある住宅街。どの空も、曇っているか、曇りつつある。
「新人?ふん、佐藤っていうのか。はい、これマニュアル。読んどけよ」
そう言って、灰田という先輩らしい男がファイルを渡してきた。マニュアルには、「曇り屋の使命:均衡を保つ」「晴れすぎた世界は脆い」などと書かれていたが、具体的な説明は皆無だった。灰田は「まあ、やってりゃ慣れるよ。モニター見て、表示されてる場所を曇りにするだけ。簡単だろ?」と言い、さっさと自分のデスクに戻った。
仕事は単純だった。モニターに映る風景と日付を確認し、キーボードで「曇り」を選択。すると、画面の中の空がゆっくりと灰色に染まる。なぜこんなことをするのか、誰がそれを望むのか、誰も教えてくれなかった。質問しても、灰田は「深く考えるなよ、そういうバイトなんだよ」と笑うだけ。悠真は半信半疑でキーボードを叩き続けた。時給は悪くなかったし、シフトは本当に自由だった。妙な仕事だが楽で悪くない、と思っていた。
ある日、モニターに映った映像に、悠真の指が止まった。山間の細い道路。見覚えのあるカーブと、遠くにそびえる山の稜線。日付は10年前、場所は地元から車で1時間ほどの山道。画面には、若い自分と当時の恋人、彩花が映っている。二人は車から降り、山を眺めている。空は晴れ渡り、山の緑が鮮やかに映える。
「この日…覚えてる」と悠真は呟いた。
10年前のあの冬、彩花と初めてのドライブデートだった。悠真は、親の車を借りて彩花を連れ出し、二人で山を見に行った。だが、記憶の中の空はどんよりと曇っていた。山の稜線は霞み、彩花が「せっかく来たのに、よく見えないね」と少し残念そうに笑ったのを覚えている。その曇り空が、なぜか今、モニターの中では晴れている。
悠真はマニュアルをちらりと見た。「指定された地点の天候を曇りに変更する。例外は認めない」。だが、指が動かない。晴れた山を眺める自分と彩花の姿が、妙に眩しく見えた。あの時、もし晴れていたら。もっと笑顔で話せたかもしれない。もっと、いい思い出になったかもしれない。彩花との別れが、あんなに苦いものにならなかったかもしれない。
「…いいよな、晴れのままでも」悠真は独り言を呟き、キーボードから手を離した。モニターの「曇り」ボタンを押さず、データを保存せずに次の案件に移った。誰も見ていない。灰田は別のモニターに夢中で、気づきもしない。悠真は少しだけ胸が軽くなるのを感じた。
10年前の1月。雪が溶け残る山道を車でひたすら走り、悠真とその恋人彩花は、話題の絶景スポットまでやってきていた。晴れ渡った空の下、悠真と彩花は車を停め、山を眺めている。緑の稜線がくっきりと浮かび、陽光が木々の間をキラキラと照らす。
「めっちゃ綺麗だね!」
彩花が笑顔で言う。悠真も笑い、
「だろ? ここ、絶対いいって思ったんだ」
と胸を張る。二人は車に戻り、軽快な音楽をかけながら山道を下り始めた。
同じ頃、対向車線を、大型トラックが登ってきていた。日光が山道の雪に反射し、鋭い光がトラックの運転席に飛び込む。「うっ!」運転手は目を細め、一瞬視界を失う。ハンドルを握る手がわずかにブレた。
トラックが対向車線をはみ出す。彩花が「ねえ、なんか…!」と叫んだ瞬間、トラックの巨体が迫る。悠真はハンドルを切ろうとしたが、間に合わない。金属がぶつかる鈍い音と、ガラスの割れる音が響いた。
曇り屋のオフィス。モニターは点いたまま、誰もいない。悠真のデスクには、開いたままのマニュアルと、飲みかけのコーヒーが放置されている。灰田が通りかかり、悠真の席を見て立ち止まった。
「あー、やっちまったな、佐藤」と呟き、ため息をつく。モニターには、晴れた山道の映像が映ったままだった。
灰田は肩をすくめ、自分のデスクに戻る。部屋は静かで、モニターの光だけが、薄暗い空間を照らしていた。
翌日、新しいアルバイトがやってきた。まだあどけない顔の女子大生、多田奈緒だ。灰田は彼女を悠真が座っていたデスクに案内し、同じようにマニュアルを渡す。
「新人?多田っていうのか。はい、これマニュアル。読んどけよ」
灰田は言う。
「モニター見て、指示された場所を曇りにするだけ。簡単だろ? まあ、やってりゃ慣れる」
奈緒は少し戸惑いながら頷き、モニターを見つめた。画面には、どこかの海辺の晴れた空が映っている。彼女はマニュアル通りに「曇り」を選択し、データを保存した。空が灰色に染まる。灰田は満足そうに頷き、自分のデスクに戻った。
誰も、何も、変えようとはしない。モニターの光が、薄暗い部屋を照らし続けた。
曇り屋 すくらった @skratta
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