第2話 乾杯

 外で待機させていた家来に遺体の始末を命じ、俺は屋敷へ戻った。


 自分の部屋のドアを開けると、エリがベッドに寝転がっている。


「おかえりなさい。今日はどの女のところへ?」


 エリは体を起こし、艶やかな金髪に指を通しながら、それほど興味もなさそうに訊く。


 彼女は特別な美人というわけではない。が、人を魅了する何かがある。現に、俺も父上も、彼女の底知れない魅力に惹かれている。


「火傷の女さ。アイナと名乗っていたが、偽名だろうな」


 俺は服を脱ぎながら、アイナの最後の表情を思い返す。

 薄っぺらい愛の言葉を本気で信じ、勝手に希望を抱き、そして裏切られたときのあの顔。憎しみと絶望、怒りに満ちた、酷い顔。


 ああ、面白い。これだから、女遊びはやめられない。


「その子は、どうするつもりなの?」


「どうするも何も、もう殺った」


「そう……また裏切ったわけだ?」


「向こうも裏切ろうとしてたんだ。お互い様だろ? それまで殺そうとしていた男相手に、コロっと騙される方が悪い」


 フッと、俺は思わず笑みをこぼす。

 エリからの返事がない。俺は上裸のまま振り返る。


「どうした?」


「いや。可哀想な子、と思って」


 そう言うエリは、一瞬、本当に彼女を憐れむような顔をした気がした。

 が、次の瞬間には、馬鹿馬鹿しいという顔をして笑っていた。


「それで? 大人しく待っていた私の相手はしてくれるのかしら?」


「もちろんだよ」


 俺はベッドに片足を乗せ、エリを押し倒す。そのまま熱いキスを交わし、それから首元、胸元へとキスを移していく。

 エリの艶かしい肌と喘ぎ声に、俺は理性が効かなくなっていく。我を忘れ、彼女に夢中になってしまう。


 一通りの行為を終え、エリは俺の腕の中で顔を埋める。

 ああ、愛おしい。小柄な体、白い肌、艶やかな髪、ほのかに香るバラの香り。その全てが、たまらなく愛おしい。


「愛してるよ、エリ」


 俺はエリの髪を優しく撫でる。


「誰にでも言っているくせに」


「君だけは特別さ。父上だって、君のことを気に入っているんだ。いつ結婚するんだ、とまで言われてる」


「結婚、してくれるの?」


「もちろん。君以外なんて、考えられないさ」


「……愛しているわ、カロン」


 エリは顔を上げ、俺の頬に軽くキスをする。俺は隙をついて唇を重ねる。少し顔を赤らめる彼女の、そのあまりの可愛さに、俺はまた舌をねじ込んでしまう。

 そのとき、コンコンコン、とノック音がした。


「カロン様。ご主人様がお呼びです」


「ああ、そうだ。父上に火傷の娘のことを報告していなかった」


 俺の言葉を聞いて、エリは少し寂しそうな顔をする。


「行ってしまうの?」


「すぐ戻ってくるさ。着替えておいてくれよ。三人で酒でも飲もう」


 そう言いながら俺はシャツを着て、服装を整える。


「そうね。私、いいワインを持ってきたのよ」


「ならば、それを飲もうじゃないか」


「ええ」


 エリは、可愛らしく微笑んだ。



 どの部屋よりも大きなドア。俺は襟元を改めて整え、軽くドアを叩き、父上の書斎へと入る。


「ああ、来たか。どうだった?」


「報告が遅れ、申し訳ありません。娘の方は上手くいきました」


「そうか、よくやった。まあ座れ」


 俺は父上に促されるまま、ソファに腰掛ける。


「意志の強い娘だと警戒していましたが、大したことはありませんでした。『愛』という単語を使い優しい言葉を囁けば、イチコロです」


 父上は、ふん、と笑った。


「所詮はあの女の娘だな」


「これで当分、我々の命を狙うような愚か者は現れないでしょう」


「金を持っていて容姿も良いと、様々なところから逆恨みをされて困るな」


 俺と父上は、ははは、と声を揃えて笑う。

 ご機嫌な父上は従者を呼びつけ、エリを呼ぶように命じた。


「お世話になっております、お義父様」


 エリは礼儀正しく挨拶をし、部屋に入る。それから、高級そうなワインの瓶を差し出した。


「こちら、オススメのワインですの。お二人の分、私がお注ぎしますわ」


 それと同時に、従者が机にワイングラスを三つ並べる。


「そんなこと、従者にやらせればよいものを」


「私の手で、おもてなしをしたいのですのよ」


 従者は部屋から出て行き、エリはグラスにワインを注いでいく。

 全て注ぎ終えると、父上に促されるままソファに座った。


「乾杯」


 父上の声に合わせグラスを掲げ、ワインの香りを確かめる。それから、軽く口に含んで味わう。

 上品で芳醇な香り。なるほど、これはいいワインだ。舌触りは独特で、少しだけヒリヒリした。


「変わった舌触りがするな。どこのワインだ?」


 父上も同じように思ったのか、エリに尋ねた。


「私の友人の地元、エルワーネのワインです」


「エルワーネか。一時期、二人でよく行ったものだな」


 父上に言われ、過去を思い返す。確かに、四、五年ほど前、よく父上と訪れた地方だ。


「そうですね。なかなか良いところでした」


「では、アンネという娘をご存知ですか?」


 エリが尋ねる。


「さあ。カロン、知っているか?」


「いえ。知りませんね」


「そうですか……彼女は、お二人にお会いしたことがあると言っていたのですが」


 アンネ……どこかで聞いたような名前な気もする。


 というかなんだ、この感覚は。ヒリヒリする感覚が増している。しかも、喉の奥が焼けるように熱い。嫌な予感がする。

 俺は思い当たる節があり、咄嗟に叫んだ。


「父上、エリ! それ以上飲んではいけない。これは毒……グァァッ!」


 あまりの痛さに、俺はグラスを落とす。それから苦しくなって、床をのたうち回る。


「カロン、何が……グァァァッ!」


 父上も俺と同じことになっているようだった。


——痛い、苦しい、息ができない……!


「エリ……大丈夫……か?」


 俺はなんとか言葉を発し、目を開ける。その光景に、頭が真っ白になる。


 エリは、何事もないように優雅に座っているのだ。


「馬鹿ね。私が持ってきて、私が注いだワインよ? 犯人は私しかいないじゃない」


——なぜだ?


 苦しくて、言葉にならない。エリは、俺の心を見透かしたように続ける。


「アンネの仇よ。貴方たちに殴られ、縛られ、犯された娘。今は亡き、私の大切な親友」


 それを聞いて、やっとアンネという女を思い出した。

 そうか。エリもアイナと同様、復讐が目的だったのか。


「この毒を選んでよかった。死ぬまで少し時間がかかるの。貴方たちの苦しむ顔をゆっくり拝めるわ」


「たす……けて……」


 俺は必死に声をだす。


 本当に愛していた。あれほど愛を確かめ合ったんだ。きっと心のどこかでは、俺だけでも、助けたいと思ってくれているはず……


「ごめんなさい。私、解毒方法は知らないのよ。貴方たちを殺すことしか考えていなかったから」


 エリは、ゴミを見るような、酷く冷たい目をしていた。


 そこで、やっと察した。エリは俺を愛してなどいない。一度たりとも、俺をそういう目で見たことはないのだ。

 そう。俺が数々の女にしてきたのと同じ様に。


——どうして俺が、こんな目に。


 騙されるのは、騙される方が馬鹿だから。簡単に人を信じる阿呆だから。数えきれないほどの女を騙してきたけれど、それでも俺は、何も悪くない。

 だけど、いま騙されているのは俺の方で。


 俺が馬鹿だったということか?

 阿呆だというのか?

 俺が悪いのか?


 俺はただ、エリを愛しただけなのに。


 毒による痛みと苦しみの中で、もう訳が分からなくなって。悲しみと、絶望と、怒りと、屈辱と。様々な感情がぐちゃぐちゃになって。


——ああ。死ぬんだ、俺。


「これでアンネも、アイナという娘も、少しは浮かばれたかしら」


 エリはワイングラスを手に取り、高く掲げる。

 その魅惑的な顔で、フッと笑みを浮かべた。


「愛のない口づけに、乾杯を」

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愛のない口づけに乾杯を 雀野ひな @tera31nosuke

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