第3話 神殿の柱・ネーベル・エーヴィヒ

 教会の資料を二、三週して暇を持て余した僕は、ふと窓の外の景色に目を向けた。


「街だ……」


 ゆらゆら車に揺らされながら、思わず感嘆の言葉を洩らす。

 興奮を隠しきれぬままに日が差し込む窓の外を覗き込んだ。

 そう、ついに街にやって来たのである。


 ガタンガタン大きく揺れることのない綺麗な道。

 刺繍が施された服を着て街を行き交う人々。

 赤い果実や、様々な形のパンが並ぶお店。

 全てが新鮮で、一つ一つがきらきら輝いて見える。


「この辺だと一番大きい通りだね。この辺は食品ばかりだけど、もう少し進むと本屋や文房具屋もある」

「食べ物を買って食べる……」

 孤児院では自分達で食料を作っていた。パンは小麦から、そもそも果実は林檎以外存在しない。

「生活に慣れてきたらお金が支給されるだろうし、行ってみると良いよ。美味しい店なら案内できるから」

「本当ですか⁉︎」

 嬉しさのあまり大きな声を出してしまった。

 何を食べようか考えるだけでも心が弾む。丸くて上にバターが乗ったパン、クリームが乗ったパン、卵と平たい肉が挟まったパン……あぁ、パンだけでもこんなに種類がある。

 味を勝手に想像して、お腹が満たされたような気分になった。

 まだ孤児院を出たばかりなのに、早くもあそこの狭さを実感せざるを得ない。


 僕は窓を開けて、外に身を乗り出した。

「夢中になって落ちないようにしてね」

「はーい」

 ヴァルトさんの注意に返事をしたけれども、僕の心はすっかり街に囚われていた。


「おかーさん! あのクレープが欲しい!」

「えぇ? さっきカップケーキを買ったばかりでしょう」


 水色のワンピースを着た子供と、カゴを持った母親が話している。その後ろからは店の人と客が話す声や足音が聞こえてくる。

 クレープ、カップケーキ。また知らない言葉だ。

 目を瞑って鼻をスン、スンと動かすと……焼けたばかりのパンのような、香ばしい香りや、香辛料の独特な香りが鼻をくすぐった。


「あ、今から僕達が向かう場所が見えて来たよ」

 

 ヴァルトさんが前を指差した。

 僕は助手席と運転席の間から覗く。

「ほらほら、あそこ」

 街には高い建物が多すぎて分からない。首を傾げる僕に、ヴァルトさんは情報を付け加えた。

「あの白い柱が立ち並んだ場所」

 ようやくどこか分かった僕は、目を見開いた。

 この大通りを見下ろすように聳える大きな建物。都会感溢れる街に似つかわしい緩やかな丘の上に、その建物はあった。

 雪よりも白い、まさに純白の色を持つ建物は、神聖な場所ということをひしひしと感じさせる。

「これから君の家になる場所」

 白く堅牢な門は、この街と隔絶しているようにも思えた。

 

「——別名、神殿」


 遠くから見ているから分からないけれど、孤児院よりも大きいんじゃないだろうか。

 神聖な場所とはいえ、いつも神に監視されているような気分になって居心地が悪そうだ。それに、世間から離れた雰囲気は不気味にも思える。


「あ、ヴァルト様じゃないですか!」


 すると、開きっぱなしの窓から人の声が聞こえてきた。

 その方向に顔を向けると、店の人や、道を歩く人が僕達に手を振っている。

「もしかして、神の欠片の方ですか?」

 慣れているようで、ヴァルトさんは軽くゆらゆら振り返した。

「そうなんだ。これから神殿に向かう所だよ」

 窓の外を見ると、声を掛けてきた男性と目が合った。やっぱり綺麗な服を着ていて、片手にはお玉を持っている。

 その男性も、道を歩く人も僕に向かって恭しく頭を下げた。

「あっ、え、えっと……」

 今までいじめられる側、もしくは頭を下げる側だった僕は、しどろもどろになる。


「堂々としていればいい。君はこれから神になるんだから、敬ってもらうのは当たり前」


 ヴァルトさんの助言に従って、背筋を伸ばし、顔を引き締める。でも、犬が二本足で立った時のように威厳はあまりないと思う。

 手が汗で湿るのを感じる。緊張を隠しつつ、頭を下げる人々にお辞儀をする。

 耐え切れなくなった僕は、心の中で叫んだ。

 うーん、威厳って難しい!


 

 大通りを進み続けると、突如として窓の外の景色が一変する。

「ここからは教会の私有地。もうすぐ神殿に着くよ」

 人気のない、ひっそりとした場所だ。神殿を守る門番のようにまばらに木が立っている。

 ようやく堂々と振る舞う必要がなくなって、僕は安堵のため息をついた。頬の筋肉と背中が悲鳴を上げている。

 ……幸先が悪い。

 がっくり項垂れる僕に、ヴァルトさんは笑みを溢した。

「最初のうちは疲れるよねぇ。多分、みんなそんな感じだよ」

「……みんな、ってことはヴァルトさんも?」

「もちろん。それに、君以外の神の欠片の子達も」

 意外だ。

 社交的なヴァルトさんだから、初めから対応は完璧だと思っていた。

「そういえば」

 ヴァルトさんが発言した、僕以外の神の欠片について聞いてみる。

「僕以外の三人って、いつ来るんですか?」

 これから一緒に生活しなければならないのだ。いじめっ子みたいな奴がいないことを切に願う。


「一人は今朝すでに来てるはずだよ。もう二人は、明日迎えに行く予定。今日来た子は超明るくて騒がしいって、ネーベルが頭を抱えてたなぁ」


 僕はこくりと首を傾げる。

「あの、ネーベルって?」

「あぁ教えてなかったね。ネーベルは神殿長、いわば神殿の責任者。ついでに僕のビジネスパートナー」

 神殿長と聞いて、まず僕は立派な白い髭をたくわえたお爺さんを浮かべた。顔は険しく、声が大きい。それで、頭はツルツル。とにかく厳格な雰囲気を纏っていそうだ。

「それはもう怖いよ。五年以上の付き合いがある僕でさえ、アイツが怒ると収拾がつかないもん」

 ただ、ヴァルトさんの話ぶりからしてお爺さんということはないだろう。


「人一倍厳しい奴でさぁ……あ、もう神殿だね」

 

 車よりも遥かに高い閉ざされた門。建物の色と同じく、この場所が教会にとっていかに重要な施設であるか示しているようだった。

 門は閉まっているというのに、気にせず車は前進を続ける。

 ……このままだと、ぶつかる。

 咄嗟に僕は目を瞑ったけれど、ヴァルトさんは相変わらず笑顔だった。

「大丈夫。目を開けてごらん」

 僕が少しずつ目を開くと。

 ギィィイ……

「勝手に、門が……?」

 門が、車の動きに合わせて開いていくのが見えた。

 これも神繋なのだろうか、そう思ったのだけれど。

「これは神繋ではないんだよね」

 すぐにヴァルトさんが否定した。

「出迎えてくれているんだよ。君がやって来て喜んでいるんだ」

 

 それから広大な庭園を抜けて、ようやく神殿の中心に辿り着いた。


「荷物は車を停めてきた後に僕が運んでおくよ。君はまずネーベルに挨拶しないと」

 僕は神殿の目の前で降ろしてもらった。荷物を置くのは入り口とは別のようで、街の人にしたように手を振って去っていく。敷地内の移動に車を使うとは、なんと贅沢なことか。

「庭も豪華だなぁ」

 庭はピンクや白の花で彩られていた。

 孤児院を出るまではマフラーを巻いていたけれども、この街は温暖だから必要ないかもしれない。僕の頬を撫でる風は生温くて、緊張して固まった表情筋をほぐしてくれている。

「普通に入っても良いのかな……」

 二本の太い柱に挟まれた扉。あの門よりは大きくないのだけれど、さっきみたいに自動で開いてはくれない。

 押せば開く?

 試してみようと扉に手をついて、すぐに離した。扉に模様が彫られているからである。触ったら壊れそうな気がして、怖くて触れられない。こんなことになるなら、ヴァルトさんに聞いておけばよかった。


 じーっと、観察してみる。


 鍵穴はない。取っ手もない。でも、自動ドアでもない。

 僕は折れそうになるところまで首を捻った。ついでに頭も捻る。

 意を決して、扉を両手で押してみる。

「ふんっ、ふん!」

 ……が、微動だにしない。

 手を離して息を整えていると、突然、扉は横に動く。


「どういうことだ」


 横に動いていくにつれ、神殿の内部が見えるようになっていく。


「ヴァルトに扉の開け方を教えてもらっていないのか?」

 

 そして、眉間を押さえる男性の姿が現れた。顔立ちの整った、それこそ神話に登場しそうな、美しいという言葉がよく似合う男性だ。

 僕は口をぱくぱくさせる。

「神の欠片で間違いないな?」

 低く氷のように冷たい声で聞いた。僕は体を強張らせて首を縦に振る。

「ヴァルトはどこに行った。案内をするよう頼んだつもりだが」

「……えっと、荷物を置きに」

 ギロリと僕を睨むように見る、限りなく白に近い澄んだ水色の目に圧倒されて、咄嗟に目を逸らした。

「アイツ……」

 やれやれというように首を振ってから、僕に声を掛けた。

「まずは中に入ると良い。話はそれからだ」

 明らかに怒っている様子だ。

 これから怒られるであろうヴァルトさんに手を合わせた。


 神殿に入ると、まず男性が僕にお辞儀をした。


「初めまして。私はネーベル・エーヴィヒ」


 僕が予想していた神殿長とはだいぶ異なった。

「この神殿の神殿長を務めている。気に食わないが、ネーベルと同じく教育係も担当する」

 整えられた銀髪に、横長眼鏡の奥に潜む切長の目。威圧的で怒らせたら怖そうなのは間違いないけれど、お爺さんと呼ぶには若すぎる。ヴァルトさんと同じくらいの年だろう。

「短い間だが、よろしく頼むぞ」

 ヴァルトさんよりも身長が高い。青と白を基調とした服は神殿によく溶け込んでいた。

 高そうな服だなぁ。

 貧乏性が根まで染み込んでいるため、そう考えてしまう。

 神殿長が伸ばした手を取って、僕も挨拶を返した。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 神殿の天井は高く、声がキン、キンと響く。大きな音はあんまり得意ではないから、僕は顔をしかめた。

 しっかり握手をしてから手を離す。


「君はしっかりしているな……だというのに、あのヴァルトと来たら。教会について、ある程度話は聞いたか?」

「はい。神繋のことも」

「そうか。ならば、私からするべき話はほとんどないな。神に関係する話は、神の欠片全員が揃ってからすることになっている」


 神殿長は、後ろ側にある階段を見た。右と左から伸びていて、手すりにまで彫刻が彫られている。

「今日はもう疲れているだろう。君の部屋を案内するから休息を取るが良い」

 神殿長が歩き出す。

「居住スペースは主に二階だ。一人がもう待ちくたびれている」

 僕も着いていくと、足を地面に下ろす度にタッ、タッと音が響く。

「……その前に」

 突然、神殿長が足を止めて、僕の方を振り返った。

「はい。なんですか?」

 切長の目をスッと細めて、語気を強めて言った。


「一つだけ、約束がある」


「細かいルールはいくつかあるが、絶対に守らなければいけないものはこれだけだ」

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