第3話 消えたアリバイは観測されない


 研究室に平穏が戻ることは、たぶんない。


 そう思い始めたのは、鷹宮理沙教授が「今日は何も起きないな」と呟いた三分後に、電話が鳴ったからだ。


「鷹宮だ」


 数秒、沈黙。


「……それで、“全員にアリバイがある”と?」


 嫌な予感しかしない。


 電話を切った教授は、僕を見た。


「真田」


「はい」


「推理の出番だ」


「……え?」




 事件現場は、大学近くの小さなカフェだった。


 閉店後の店内で、店主が死亡。

 死因は鈍器による頭部損傷。


 問題は――


「関係者全員、犯行時刻にアリバイがあります」


 刑事が言った。


「三人とも、防犯カメラに映っている。

 それぞれ別の場所で、同じ時刻に」


 完全なアリバイ。

 しかも、映像付き。


 僕は、店内を見回した。


 狭い。

 逃げ場はない。


「教授、これ……」


「まだ喋るな」


 鷹宮は遮った。


「先に、きみの“物語”を聞く」




 ――ミステリーだったら。


 僕は、頭の中で状況を整理した。


 全員にアリバイ。

 映像は改ざんなし。

 犯行時刻は確定。


「……たぶん」


 口を開く。


「この事件、

 “犯行時刻”が間違ってます」


 刑事が眉をひそめる。


「死亡推定時刻は――」


「推定、ですよね」


 言い切る。


「人は、“時間が分かっている”と思うと、

 そこから疑わなくなる」


 鷹宮が、少しだけ目を細めた。




「ミステリーでは、

 完璧なアリバイが三つ並ぶ時、

 だいたい二つは無意味です」


「なぜ?」


 鷹宮が聞く。


「嘘を固めすぎるからです」


 現場の時計。

 レジのログ。

 防犯カメラの時刻。


 全部、同じ基準。


「もし、

 “基準そのもの”がズレていたら?」


 沈黙。


 鷹宮が、カメラの映像を確認する。


「……時刻表示が、一分進んでいる」


「ですよね」


 店内の時計は、毎日手動で合わせていた。

 だが、前日――停電があった。


「時間は、観測されないと狂う」


 鷹宮が呟く。




 犯行は、アリバイの“外側”で起きていた。


 全員が映っている時刻より、

 一分前。


 誰も見ていない時間。


「アリバイは、

 存在しているようで、

 観測されていなかった」


 鷹宮は、静かに結論を出した。


 犯人は、店主と金銭トラブルのあった常連客。

 自分のアリバイが完璧だと、信じ切っていた。


「……まさか、時間そのものが」


 刑事が呟く。


「時間は嘘をつかない」


 鷹宮が言う。


「嘘をつくのは、

 “分かったつもり”になる人間だ」




 研究室に戻った後、僕はぐったりしていた。


「……推理、疲れますね」


「だから私はあまりやらない」


 教授はホワイトボードを消しながら言った。


「人間の嘘は、

 考慮変数が多すぎる」


 少し間を置いて。


「だが」


 教授は、こちらを見た。


「きみの推理は、悪くなかった」


 ――それは、たぶん最大級の褒め言葉だった。


「真田。きみはどう思う?」


 来た。


「……今回は、

 ちゃんと考えていいですか?」


「許可する」


 僕は深呼吸した。


「人間は……

 “分かってる”って思った瞬間、

 見なくなる生き物だと思います」


 教授は、静かにメモを取った。


「興味深い」


「また論文ですか?」


「もちろんだ」


 ため息が出る。


 だが――

 悪くない。


 観測不能なのは、真実じゃない。

 見ようとしない人間の側なのだ。

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観測不能の真実 @tomokage_satoru

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