第2話 止まった時計は嘘をつく

事件の翌日、研究室は驚くほど静かだった。


 昨日までここが“転落死事件を解決した現場”だとは、とても思えない。

 ホワイトボードには数式が残り、床には教授のコーヒーカップが無造作に置かれている。


 鷹宮理沙教授は、その前でいつも通り数式を睨んでいた。


 ――昨日、人が死んだことなど、もう計算の外らしい。


「教授」


「何だ」


「今日、授業は……?」


「代講を頼んだ」


 即答だった。


 その瞬間、研究室のドアがノックされた。




 入ってきたのは、見覚えのある警察官だった。


「鷹宮先生、少しよろしいでしょうか」


「今度は何だ」


「今朝、研究室で死亡事件がありまして」


 ――今度は“落ちていない”らしい。



 現場は、理工学部の別棟。

 小さな研究室だった。


 被害者は大学院生。

 机に突っ伏すようにして死亡していた。


「争った形跡はありません。外傷もない。

 ただ……」


 警察官は、机の上を指した。


 置時計。

 壁掛け時計。

 ノートパソコンの画面。


 すべて、同じ時刻で止まっている。


「午前二時十七分。

 まるで時間が止まったみたいでして」


 教授は、時計を見回した。


「時間は止まらない」


 淡々とした声だった。


「止まるのは、観測だ」




 研究室に戻る途中、僕は小さく息を吐いた。


「……ミステリだと、止まった時計は信用しちゃいけないやつです」


「なぜ?」


「犯人が、嘘をついてるからです」


 教授は歩きながら考え込む。


「嘘、か」


 現場に戻り、教授は時計を一つ手に取った。


「機械式、電子式、PC。

 構造も電源も違う」


「同時に止まるのは、変ですよね」


「物理的には可能だ」


 教授は言った。


「だが、意図的だ」




 トリックは、派手ではなかった。


 電磁パルス。

 ごく小規模なもの。


 研究室の外に置かれた、簡易装置。

 深夜、誰もいない時間帯。


 電子機器は一斉に誤作動を起こす。

 時計は“止まったように見える”。


「人間は、同時という言葉に弱い」


 教授は言う。


「同時に起きたと思った瞬間、

 因果関係を考えるのをやめる」


 だが、被害者はその時、すでに死んでいた。


 犯人は、死因をごまかすために時間を偽装したのだ。




 犯人は、同じ研究室の先輩だった。


 論文の不正。

 告発される前に、口を塞ぐ。


「事故に見せたかった」


 それだけの理由。


 だが――


「時計は、完璧すぎた」


 教授は言った。


「人間の嘘は、

 いつも“揃えすぎる”」




 事件後、研究室。


 僕は椅子に座り、天井を見上げた。


「……時間が止まるなんて、

 やっぱりありえないですね」


「時間は常に進む」


 教授はホワイトボードに式を書きながら言った。


「だが、人は“止まったと信じたい”」


 教授は振り返る。


「真田。きみはどう思う?」


 ――まただ。


「えっと……」


 教授は、じっと僕を観察し、メモを取る。


「興味深い。

 人間は“答えのない質問”に対し、

 視線を上に逸らす傾向がある」


「論文にしないでください!」


 教授は、ほんの少しだけ笑った。



 観測不能なものは、存在しない。

 ただ、人間が見ようとしないだけだ。


 それが、

 鷹宮理沙という天才の、

 事件解決のやり方だった。

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