〈第2話〉生きた火山の巨影


「………ねえっ!?僕ってこの世界に来てから、どのくらいの時間走った…!?」


 ディオスは高く頭上に上がっている太陽に照らされ、肺の中に入ってくる空気の少なさを感じながらそんなことを考える。

 砂や木の葉が宙に舞い上がりながら目の前を風と共に吹き去っていく。


「……ん?あー……もう夜が明けたくらいか…」


 メルビリスの声は、ディオスの脳裏に響きながらも、どこか距離のある静けさを保っていた。

 熱波で揺らぐ光の中で、ディオスは自身の呼吸の荒さを自覚する。


「ほんと……アイツもお前も、よくここまで動き続けられるな?」


「こっちは必死なのに呑気すぎるって…!今回ばかりは、協力しないと君の生命線ごと引きちぎるよ!?」


「ぐふっ…!?お前ぇ…!!」

 

 散漫としているメルの言葉を聞いて、ディオスはひび割れた声と共に、フード越しに1発、自分の頭を強く叩いた。

 こうしている間にも、背後から感じる『気配』から逃げるように、すでに灼熱地帯とも比喩できる場所を土や木の枝を踏む音を聞きながら走り抜ける。


「(ぐっ……ここまでしつこいのは想定以上だった…!)」


 指先に触れる布地は汗と熱気で湿り気を帯びている。

 喉の奥で鳴る渇きの音は、まるで古い機械の軋みだった。


「……あぁっ!ちょっと休憩…!」


 ディオスは、灼熱の地面を蹴る足の動きを唐突に切り替え、苦鳴のような声を上げた。

 荒野を抜け、不意に目の前に木々の生い茂る林が見えると、逃げ果せれることを祈って飛び込んで姿を隠す。


「あとで覚えてろ……俺だって今回は好きなように動けることを忘れんなよ!?」


「はぁ、はぁ……それは、ここを無事に切り抜けられたらね…!?」


 その場にへたり込みそうになる身体を、かろうじて両膝で支える。

 そして、照りつける日の光と『背後の気配』の対策として使っていた深く被ったフードをとる。


 肌に触れる木陰の涼しさは一瞬の幻影に過ぎず、すぐに身体が発する熱がそれを打ち消した。

 

「はぁ~~~……あっついなぁ、もう…!こんな融通効かない日差しは、ほんっっとうに嫌いだよ…」


 ディオスはヒョロヒョロに弱体化した体力に対して、少しばかり複雑な心境を持ちながら深呼吸をして呼吸を整える。

 吸い込む空気は重く、喉笛の奥でちりちりと焦げ付くようだった。  

 熱に歪んだ大気は、光の粒子を細かく震わせ、この逃走が長きにわたる幻影のように感じさせる。


「チッ……にしてもこの世界にきて、ハズレに次ぐハズレ…」


 木の葉が目の前を通過するのと同時に、額の汗が一滴頬を伝って、苔の生えた枯れ木の根元に滴り落ちた。

 その一滴は、時間を測る振り子の音のようで、差し迫る危機を同時に告げる。

 微かな水音と共に、世界に刻まれた静寂が揺らぐ。

 土で汚れた手で疲労の溜まった足をスリスリと擦り、苦しさを感じるような呼吸の取り方をしていた。


「こんな何もない場所にも身を隠せる所があってよかったなー?」


 ディオスが背を預けた枯れ木は、過酷な環境に耐え抜いた証として、わずかながら影を地面に落としていた。

 メルビリスはその不確かな安息に、皮肉めいた言葉を口にした。


「またそんな……でもあと少し、あと少しで目的地に着くはずなんだよ…そこまで行けさえすれば…!」


「……だが、そうは言っても『アレ』をどうにかしないと、まだお前からしたら良かったって言えないか?速攻で死ぬようなことはしないために、頑張ってくれよー?」


「あのねえ…!」


 深呼吸したのと同時に膝を折って座り、木に背中を寄りかけた瞬間だった。

 ディオスの頭上から疲れ切った様子を見たことで、メルビリスの気楽な声が頭の中に聞こえてくる。

 そんな楽観的な口調で聞こえてきた声に対して、ディオスはため息をつきながもその声に返答を行った。


「僕からしたら、何もしていない君が羨ましくて羨ましくて仕方ないんだよ?!こーんな炎天下のなかで走っている僕の身にもなってよ〜…」


「これに関しては、俺の権利だからな?恨むなら過去の自分を恨みな。」


「グッ…!……中々に痛いところを突いてくるね…!」


 木の影に隠れながら息を切らしてそう呟き、木漏れ日がチカチカと頭上から照らしてきており見上げた空から目を逸らし地面に視線を落とす。

 自分でも上手く逃げ仰せたと思っていた。


 しかし、頭上ではだんだんと嫌な予感を告げる音が近づいて来ているのを感じる。

 風が運んでくるのは、焦げた匂いと、微かに地を這うような低いうなり。


「(うっ……本当に嫌な音だな…)」

 

 ディオスの『罪償い』の旅は、想定していない気配の介入によって、さらに出だし最悪の困難な状況となってきていた。

 物語の中に入ってそろそろ丸一日が過ぎる頃だろう。

 この物語の世界に存在しているはずの『罪人』の些細な情報すら見つけらずにいた。


 そして、今現在もその気配からの逃走が続いている。


「こんな羽目になってるわけだが…本当に運無しで、やっぱりお前って神の奴にとことん嫌われてるんだな?」


「……ふん…!」


 メルビリスの声が脳裏に響いた瞬間、ディオスの靴が乾いた枝を踏み砕き、カンッと軽い音が林に反響する。

 息は白熱した空気に奪われ、肺の奥まで熱砂を吸い込んでいくように苦しそうな表情を浮かべる。

 頭上では枝葉が揺れ、赤い残光を散らしていた。


「それはこっちからしたら、ありがたいことこの上ないね…!」


 吐き出した言葉は乾いた喉に引っかかり、ひび割れた声となる。

 走りながらフードの端が頬を叩き、汗で張りついき、視界の端では灰混じりの煙が地表を這い寄るように伸びてきている。


「ハッ、強がってんのが見え見えだぞ?まぁ、いつまでもそうアイツに対して憎悪心を抱かずに、試しにここで『神頼み』でもしてみればどうだ?」


 メルビリスのからかう声に合わせて、遠くで木が爆ぜる音がする。

 パチンと火花が飛び、木々の影が赤く揺れる。

 振り返れば炎の舌が枝を舐め取り、熱風が押し寄せてディオス背中を押した。


「いーや!それなら嫌われる方が全然マシだよ!絶対にアレに対する嫌悪感は忘れないって決めてたんだからさ!?」


「……まっ、それについては俺も同感だな?」


 乾いた笑い声のようなメルの声が響いた瞬間、頭上から灰の塊がパラパラと降り注ぎ、ディオスの肩を打つ。

 熱を帯びた粒が首筋に落ち、焼け付く痛みに顔をしかめた。


「でも今は……とりあえず今は『アレ』のことをどうにかしないといけないかな…」


 もう逃げは通じないと悟り、ディオスは自分の中でリスク承知の上で飛び出す覚悟を決めようとしていた。

 だが次の瞬間、頭上の空が横から入り込んできた巨大な影によって覆われる。


「……っ!」


 低い振動が足首から伝わり、地中の奥で何かがうねっているようだった。 

 林の隙間から射し込む光が一瞬遮られ、巨大な影が動き続けている。

 ディオスは額の汗を拭う余裕もなく、無意識に喉を鳴らした。


「これは…完全にアレに僕の場所がバレてるねっ…!?」


「なら早く立て、ボケっとしてると焼け死ぬぞ?」


 ディオスは頭上の巨大な影と、足元から伝わる低い振動によって、追跡者の意志が明確に自分を捉えていることを痛感した。

 対するメルビリスの声は、緊迫した状況にもかかわらず冷静さを保ち、ディオスの本能を叩き起こそうとした。


「言われなくても分かってるって…!」


それと同時にパチパチと音を立てながら、空気を巻き上げる熱気と共に光が届かない林の中が赤く照らされる。

 灰の匂いがあたり一面を覆い地面に生えている青々とした草花も、炎の赤によって木漏れ日の緑も完全に呑み込み始めていた。


「(……これはもう逃げられないね…)仕方ない……もうここでやろっか…!!」


 ディオスは瞬時に身体を投げ出して、背を預けていた木の影から飛び出る。

 すると今度は、視界の端から背中の向こう側の景色全身体が、さらに濃く明るい色に埋められていくのを目に捉えた。


「(うげっ、前からも…!?)」

 

「ハハハッ、ほら来たぞ!お前だってこんな序盤で死にたくなんてないもんなぁ!?」


「ちょっと…!?なんで君は僕にピンチがくるといつも少し楽しそうにするのかな…!」


 生き生きとした声が聞こえた次の瞬間、周りに生い茂っていた木々は赤い炎と共に灰となって地面を黒一色染めた。

 ディオスはフードを再び被り間一髪のところで林から飛び出し、熱風で押し出される形で地面を転がるようにして外へ回避する。


 しかし、今度は身を隠すものがディオスの周りには全く存在していない。


「……っ…状況が!悪すぎるってぇっ!!……あだっ!?」

 

 飛び出したのはいいものの、ディオスは足を地面の窪みに取られる。

 その勢いのまま焦げた匂いが漂う地面の上を転がるように盛大に転んだ。


「あーー、終わった。」


「ぐっ…!言葉の2度刺しは勘弁してよ!!」


 メルは直撃することを意識して回避を諦めた声を出した。

 そんな自分の状況を見ているはずだが、空に現れた巨大な影はそれに目もくれずに、再び禍々しさすら感じる灼熱の炎を放ってきた。


「……!!」


 しかし、その炎はディオスにぶつかることなく周りを覆うように地面に円を描く形になる。

 ディオスは大きく息を吸い込み、肺が熱気に焼かれるような熱さに思わず顔をしかめた。

 周辺では木々が爆ぜ、枝がはじけ飛ぶ音が次々と響き渡る。

 砂と灰が混じり合った煙が渦を巻き、喉にざらつく味が広がっていった。


「(あっちゃぁ…こっちの逃げ場を完全に潰しにきてる…)」


 炎が描いた巨大な円はディオスを閉じ込める檻となり、外の世界との繋がりを断ち切った。

 その思考の奥では、警鐘のようなものがカンカンと鳴り響いている。


「……ギリギリだな。あと少しで、俺たちもあの森みたく黒焦げになってただろうな?」


 メルビリスの声は、まるで運命の残酷さを静かに解説する傍観者のようだった。

 その言葉が周囲の熱気と木々の爆ぜる音に混じり、ディオスの耳の中で現実味を帯びる。


「…それが回避できただけ御の字……でも良いように追い込まれたね…?」


 ディオスの頭の奥では警鐘のようなものがカンカンと鳴り、すでに思考より先に身体が動いていた。

 だが、炎を放ってきた主もディオスが足を止めれば燃え尽きるだけだと理解している。

 地面を蹴って火柱の低い別方向へ飛び出すが、しかし続けて視界の端で熱風が木々を根ごと焼き払い、黒煙の壁が林を飲み込んでいく。


「ぐっ…!?本当っ……絶体絶命の、大掛かりな展開が用意された気分だよ…!」


 ディオスが次の行動を取ろうとするも、悉くすぐ目の前には火柱が立ち上がり、逃げ道を無慈悲に塞いでいく。

 燃え盛る炎は生き物のようにうねり、光と影が交互に顔を掠める。


「もう逃げ場はなし。救いの手もないようなら、お前1人でここを切り抜ける必要があるってわけだな?」


「君も戦えるんだから1人にはしないでもらえないかな!?ここまでいかにもなお膳立てされたくはなかったけど…!?」


 いきなり物語の終盤のような舞台を用意されたようだった。

 しかし、普通なら絶望の底で心臓がやけに強く鳴つはずだが、ディオスの感覚は不思議と熱く、むしろ昂ぶっている。


「うぐっ…!?」


 その時、空気を震わせる咆哮が轟いた。

 鼻腔を焼く焦げた香りが風に煽られて広がっていく。

 耳の奥を抉るほどの咆哮の衝撃にディオスは思わず身体を後ろへ押し返され、同時に熱を孕んだ砂が舞い上がる。

 その音は怒りであり、嘲笑であり…そして挑戦の合図でもあった。


「(『禁忌ヴォルティートへの怨念』が、人以外の異種族もここまで深いなんて…)はぁ……本当に嫌になるよ…」

 

 そして、吹き荒れる煙を切り裂いて、ついに赤黒い巨影が姿を現す。

 翼が広がる度に溶けた血のような炎が煽られ、夜にも似た影が地面を覆う。

 焼け爛れたような皮膚には戦いの傷跡が幾筋も走り、裂け目からは血と混じった炎が滴った。


 それはまるで『生きた火山』そのものにさえ見える。


「はは……やぁやぁ。こうして正面から向かい合うのは今が初めてになるかな…?」


 目の前に広がる空から降りてきた相手は、ディオスとは比べ物にならないくらい巨大で、よく童話にも出てきそうな『竜』そのものであった。

 翼や身体には今までの戦いの中でついたあろう傷が付いており、口からは血のように赤黒くなっている炎がこぼれるようにして出ている。

 さらに全身を炎の色と同じように染めて、その皮膚は血を浴びたかのようになっていた。


「本当にここでやるのか……コイツが、お前の言っていた目的なんだよな?」


「……そうだね。」

 

 メルの返答に、ディオスは竜から視線を切ることなく手短に返答を返した。

 竜は正面から自分を見て再び巨大な咆哮をあげる。

 すでに口の中の炎を放とうとしてきており、一目見ただけでもディオスを消し炭にするための気概が感じられた。


「でもまさか、禁忌ヴォルティートの『前日譚』の相手がここまで厄介な相手とはね…」


 だが、その中でディオスは一つだけ確かに分かっていた。


 『ここで越えなければ、本編には進めない』と。


「……だからこそ、もう選択が伴う行動は間違えられない。ここからは本当に大事にしていこっか。」


 言葉とは裏腹に喉は熱によって渇き、背筋に緊張感を含んだ空気が血を介して伝っていく。

 自分と比較できないほどの身体格差のある相手。

 しかし、ディオスは静かに佇みながらも、その瞳の奥には確かな昂りの光が宿っていた。


「『禁忌の術印』……解禁だよ。」


 その瞬間、空気が一変した。


 灼熱の炎すら押し返すように、赤黒い瘴気がディオスの身体から溢れ出す。

 瘴気が地面を這うように広がると、草木がしおれ足元の土が黒く爛れ、竜でさえ一瞬その眼を細める。


「……やっとそう来たか。」


「うん……だからこの竜は、ここで退けよう。」


 あらゆるモノが瘴気に飲まれ、爛れる。


 そして、ついには炎に包まれた光景をさらに塗り潰すように、夜より深い影がディオスを覆う。


 世界そのものが息を止めたように、静かに音が消えた。

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