第6話地下の捕食者
石造りの階段は長年の湿気に侵され、一歩踏み出すごとに足裏に粘りつくような滑りを感じる。空気は凝固したかのように重く、甲冑の隙間を縫って骨の髄まで凍りつかせる湿冷な風が吹き抜ける。暗闇の奥からは、無数の瞳がこちらを覗き込んでいるような錯覚に陥り、全身の神経が張り詰めていく。
地下二層。ここは収容所の貯蔵庫などではない。聖都があらゆる手段を講じて隠蔽しようとした、吐き気がするほど変態的で醜悪な「排泄口」だ。光の届かないあらゆる罪悪、価値を搾り取られ捨てられたあらゆる残骸がこの闇に堆積し、窒息するほどの絶望を醸造していた。
薄暗い水路が縦横に交差し、濁った汚水の中を、穢物を喰らって肥大化したスライムが緩慢にうごめいている。地上の同類よりも数倍大きく、半透明の体ははち切れんばかりに光り、その中には未消化の人間の骸骨――無残な頭蓋骨や指の骨が、汚水に揺られて陰鬱に浮遊していた。壁の隙間からは黒い体液が滲み出し、石壁を伝って「滴り」という音を立てて地面を叩く。さらに恐るべきは、石の割れ目から突き出した、継ぎ接ぎだらけの巨大な肉塊だ。貴族たちが人体実験に失敗し、無造作に放り出した残骸。腐肉は黒ずみ、無数の蛆虫が這い回り、鼻を突く酸鼻な悪臭が胃の腑をかき乱す。
「……ハ――、……ハ――」
暗闇の深淵から、壊れたふいごのような荒い呼吸音が響く。一息ごとに濃密な血の匂い撒き散らすその音は、静寂の中で圧倒的な圧迫感を伴って迫ってきた。
二メートルを超える魁梧な巨躯が、松明の微かな光に引かれるようにして姿を現す。通路を埋め尽くすほどの巨体は、俺を完全に覆い隠すほどの長い影を落とした。 血汚れにまみれ、黒く硬化した皮のエプロンを纏った屠殺者。獣皮の面具の奥にある濁りきった瞳は、獲物を値踏みするような貪欲な視線で俺を射抜いた。
「……何の用だ……客……か……?」
錆びた鉄鎖が擦れ合うような、耳障りな声。俺は立ち止まり、断刀を肩に担いで、奴を冷ややかに見据えた。 「注文がある。まずは、十斤の精肉を細かく刻め。米粒より細くだ。少しでも脂身が混じってみろ、承知しねえぞ。……次は、十斤の脂身だ。一切の赤身を混ぜるな。同じように細かく刻め。……最後は、十斤の寸金軟骨だ。肉を一欠片も残さず、これまた細かく刻んでもらおうか」
屠殺者は一瞬呆然としたが、やがて鉄格子の奥で狂気に満ちた哄笑を漏らした。
「……ハハッ、ハハハ!……いいだろう……だが、『新鮮な食材』は今ここでお前から現物で取らなきゃならねえ……!」
刹那、奴の右手が鉄鎖を振るった。返しのある鉄鉤が毒蛇のごとく虚空を切り裂き、鋭い破空音と共に俺の肩甲を捉えた! 刺が装甲に深く食い込み、抗いようのない巨力が俺をまな板の上へと引きずり込む。
「……凍れ」
歯の間から漏れた冷徹な一言。 体内の寒気が爆発し、血液が瞬時に凍結する。衝撃は氷の層によって相殺され、俺は視界を真紅に染め上げた。瞳の炎は沸騰する血液のごとき真紅へと暴走し、背中の青蓮が熱く脈動する。
俺は一歩踏み込み、肩の断刀を振り抜いた。刃が肉に触れた瞬間、断刀は飢えた猛獣のごとく奴の生命精华を貪り始めた。斬撃のたびに赤き霧が刀身に吸い込まれ、俺の疲労を焼き尽くす熱い力へと変換される。
「嗚オオオオオオッ!」
屠殺者は咆哮し、巨大な剁骨刀を左右から嵐のように振り回した。俺は後方に跳躍して間合いを外すと、断刀の先を地面に突き立てた。
「……逃がさん」
地表の湿気が凍りつき、無数の氷霜の鎖が地を割って立ち上る。鎖は屠殺者の巨躯をがんじがらめに束縛した。俺は荒い息を整え、殺気を極限まで収斂させる。瞳の真紅は冷徹な幽藍へと戻り、背中の青蓮が地獄の鼓動のように青く輝き始めた。
俺は影のように踏み込み、奴の懐へと滑り込む。
「これで終わりだ」
断刀が斜め下方から決然とした弧を描いて振り上げられた。氷の鎖に縛られたままの屠殺者の肉体を、無慈悲な斜め斬りが引き裂く。噴き出した鮮血は、刀の寒気に触れた瞬間に氷の礫となって床に散った。
解体してきた数多の命の重さを知らぬ屠殺者の目に、初めて「死」への恐怖が宿る。鉄仮面の奥で震える呼吸。奴は理解したのだ。目の前にいるのは「食材」などではなく、地獄から解き放たれた「捕食者」なのだと。
死して八年、俺は孤魂野鬼(ここんやき)として蘇る――この食い荒らされた世を切り裂く 瓶の中の小さな忌まわしいもの @HarryLich
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