第3話 変更シナリオ:『1000円のパン』

 昼休み。

 四時間目の授業が終わると、教室の雰囲気が一変した。


 朝の『大逆転劇』で、西谷たちは一時的に大人しくなった。だが、この世界の悪意は、そんな小手先の対処で止まるほど甘くはなかった。


「……おい、動くぞ。姫咲だ」

「了解。あいつ教室で飯食わなくなったんだよな」

 誰かが小声で合図を送る。


 気丈に授業を受けていた姫咲が、昼食を取るために廊下へ出ようとした瞬間。


「おっと、足が滑っちまった」


 通路側の席に座っていた男子生徒が、わざとらしく足を突き出した。


「きゃっ……」


 姫咲がバランスを崩して、転倒しかける。


「何だよ、転べよ。転べば派手にパンツでも見られると思ったのに」

「……転びません。そんなはしたないこと、私はしませんから」

 透華が、目も合わせずに言い放つ。


「何がはしたないだよ。グループにお前のエロ写真流れてるぞ」

「それはあなたたちが勝手にAIで……!」


 透華が両手をぎゅっと握りしめる。


 言っても無駄だと悟っているのか、退屈そうにスマホを弄っている男を一瞥してから、教室から早足で出ていった。


(いちいちムカつくよな、こいつら)


「あーあ、姫咲って、いやらしい身体してるし、俺の性奴隷ペットにでもできねぇかな」


 あいつは高木というキャラだ。

 企画会議の段階では、主人公・西谷均の『良き悪友』ポジションだったはずの男。


「おい、高木。今日の昼はパンがいいんだけど」

「西谷さん、了解っす。いつも可愛い子紹介してもらってるんで、いくらでもそういうのやりますんで」

「ったく、早くしろよ。腹減ってんだよ、こっちは」


 不機嫌そうな西谷に、へこへこしながら高木が立ち上がる。


「ごめんごめん。君たちにも奢ってあげるから」


 取り巻きの女子たちに向かって、手を合わせながら軽く一礼すると、スマートフォンの動画を見ながら、小走りでどこかに向かった。


「こんなの高木じゃない。どうなってんだよ、マジで……」


 企画会議での高木は、成績は悪いが情に厚く、西谷が間違ったことをすれば拳で止めるような、そんな熱血漢。


 俺は彼を気に入っていて、落ち込んだ西谷を励ましてたり、ちょっと嫉妬してたりする様子が可愛い奴でもあるなと思っていた。


「高木の動機も見えてこねぇしな」


 だが、今の彼はどうだ。


 常に西谷の顔色を窺い、西谷が笑えば大袈裟に笑い、西谷が気に入らない相手には率先して嫌がらせをする。


 ただの『太鼓持ちのクソパシリ』に成り下がっている。


(そんなキャラにされてたのかよ……)

「購買の焼きそばパン、全部買い占めました」


 しばらくすると、胸に大量のパンを抱えながら高木が戻ってきた。


「は? そんなに要らないんだけど」

「西谷さん、俺に考えがあるんですよ。金持ちの姫咲に、これを五倍の値段で売りつけましょう」

「転売ヤーじゃん。やるな、お前」

「その金で、後でカラオケにでも行きましょうよ」

「それな。じゃあ女紹介してやるわ」


 西谷がスマホをいじりながら、高木に言う。


「よっしゃ! ゴム用意しとかないと」

「そんなもん要らねえよ、バーカ」

「そ、そうっすよね! すみません西谷さん!」


 高木が何度も頭を下げる。


 二人の様子を見て、廊下で一瞬立ち止まった姫咲が、飲み物と一緒に購買のパンをいくつか持って戻ってきた。


「は? あいつなんで俺のこと避けてんの」

「ホントですよね。焼きそばパン売りつけてきましょうか」

「やってこい。十倍でむしりとれ」

「じ、十倍。さすがですね、西谷さん!」

「さっさとやれって。絶対に失敗すんなよ」


 教室の隅で、俺は拳を握りしめていた。

 視界の端では、高木が西谷にへこへこしながら、ご機嫌取りに徹している。


「友情じゃねぇよ、こんなの」


 高木。お前はそんな奴じゃなかったはずだろ。


 成績は悪い。口もちょっと悪い。だけど、西谷が道を踏み外しそうになったら、真っ先に拳を叩き込んで『目を覚ませ、バカ野郎!』と叫ぶ。そんな、不器用だけど最高に熱い男として、俺は企画会議で、お前たちの未来に心を躍らせたんだ。


「馬鹿野郎。これじゃ高木自身が辛いだろ……」


 それが今や、パシリ以下の転売ヤーだ。

 ここには動機も、ロジックも、何もない。


 悪意ある場面を演出するための『駒』だけがいる。


「おい、姫咲。焼きそばパン一個、千円で買えよ」

「嫌です。やめてください」

「お前が買わないと、俺が西谷さんに怒られるんだよ」


 高木に詰め寄られている透華の元に、俺は駆け寄った。


「高木。みっともない真似はよせって」

「何だ、テメェ。西谷さんの邪魔をしようってのか」

「そうじゃない。俺が止めても無駄なのか?」

「知らねぇよ、モブ佐藤」


(佐藤として働きかけても、こいつらを変えることはできないようだ)


 もはや、キリがない。

 朝、チョークまみれの透華を助けた。


 だが、シナリオは即座に次の『悪意』を生成する。


 足を引っ掛ける。デマを流す。ぼったくる。


 俺一人が現場に居合わせて、その都度防いでいても、この『無限に湧く悪意』には追いつかない。


「今回は選択肢も関係ないしな。元のゲームでは描けてなかった部分を見ている感覚だが……」


 今のシーンは原作には一枚絵もなければ、描写も存在しない。ここは作者であるはずの俺にとっても、未知の領域だった。


(個別に対処するのは無理だろう。元からどうにかしないと)


 これは『モグラ叩き』でしかない。

 俺一人で、その場しのぎの対処をしていても、この世界そのものが『姫咲透華への悪意』に全リソースを割いている以上、いつか必ず限界が来る。


 俺がトイレに行っている間は? 寝ている間は?

 その隙に、透華は確実に心を削られ、どんどん追い詰められていく。


 佐藤としての無力さも感じていた。

 それでも、俺は透華を守りたかった。


「……そこをどけよ、佐藤」


 俺が邪魔だったのか、高木が鋭く睨みつけてきた。

 その目は、単なる怒りではない。もっと暗く、澱んだ憎悪さえ宿っている。


「俺はな、こいつから正当な代金を回収してるだけなんだよ」

「正当? 千円の焼きそばパンがか」

「ああ、そうだ。こいつの親父が俺たちにしたことに比べれば、よっぽどマジだ」


 高木がパンを持った手で、透華の肩を小突いた。よろめきながらも、それを振り払うようにしてから、透華は唇を噛み締めていた。


「何がこの地域を救います、だ。細々とやってた工場も、地域の爺ちゃん婆ちゃんの店も、皆、姫咲が潰したんだ」


 高木が語気を荒げながら、続けていく。


「俺の家だって、お前と市長の強引な開発計画で、立ち退きさせられて。婆ちゃんがどれだけ悲しんでたか、知らねえだろ?」

「っ……」


 透華が息を呑み、視線を床に落とす。


「……言質を取ったら、態度を豹変させた。何かと理由をつけて、金だってほとんど払わねぇ」

「約束したはずの移転先の保証もしなかったし、これ幸いにと姫咲グループの商店を出店させやがって!」


 高木が焼きそばパンを透華に叩きつけた。


「早く買えよ、クソが。お前みたいなクズ、いじめられて当然なんだよ」


(……は?)


 俺は耳を疑った。


 地域を潰した? 再開発?

 違う。俺が知っている設定はそんなのじゃなかったはず。

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