第2話 選択肢『D』:全員まとめて吹き飛ばす

 田中(仮)がスポーツバッグから、特大サイズのアイシング用スプレーを取り出した。


 本来は捻挫や筋肉疲労に使うやつだが、この世界の『演出』なら、その噴射圧が台風並みになることを俺は知っている。


(懐かしいな。平和なエロイベントを作ろうとして、アイデアを振り絞ったんだ……)


「頭冷やせ、このクソ佐藤ッ!」


 ご都合主義的にアイシングスプレーが、なぜかクラスの女子たちのスカートをめくり、神絵師のえっちなご褒美イラストで、透華の登場シーンの後から、プレイヤーたちの心を掴みにいこうとした。


 ──そいつが今、俺の顔と頭を冷やしている。


「……って、つめたぁぁぁぁッ!?」


 顔面が凍る。眉毛もまつ毛も北国仕様。


「脳の捻挫は治ったかな?」

「はい、治りました。脳は捻挫しないけどな」


 田中(仮)が無機質に微笑んでいた。


(いや、待てよ。あのスプレーはクラス中の女子のスカートをめくる風圧があったはずなんだが……)


 神絵師によるパンチラ大サービス。

 開発時から、無理があるかもなとは思っていたが、ご都合主義が大好きな俺は、それを強引に推して実装させたのだ。


 ……製作コストの分が、何故か、俺の手当から引かれていたが。


「なぁ、田中(仮)。そのスプレー風圧弱くね?」

「あっ、足りなかったか。じゃあもうちょっとかけとくね〜」

「ストップ、ストップ! 俺の気のせいだよな、気のせい!」


 田中(仮)の前で正座をしながら、透華の方を見る。彼女はクラスメイトに取り囲まれて、相変わらず執拗に罵倒されている。

(どうにかしないとな)


 ここからでも、辛そうな目をしているのは分かったが、まだあのバッドエンドのように、透華の心は完全に折れていなかった。


「姫咲さんを助けるんでしょ。これ持ってきなよ」


 田中(仮)が、アイシングスプレーを俺に手渡した。


「きっと佐藤の力になってくれるから。私もああいうのは良くないって思ってるんだけど、ちょっと蚊帳の外っていうか」


「その気持ちだけで十分だ。俺が何とかしてくる」

「頑張って、佐藤。私はあんたの味方だから」

(さすが田中(仮)。俺が担当した子だもんな)


 俺は立ち上がって、透華の元に向かう。


 透華は粉まみれで、恥ずかしさと痛みに涙目になりながらも、負けじと皆を睨み返していた。


「何か用か、モブ佐藤」

「やめろよ西谷。姫咲が可哀想だろ」


 胸糞悪かった。俺のクレジットで、こんな最低なイベントが出力されていたことが許せない。


「ははは、ヒーロー気取りかよ。キモすぎ、お前」

「こいつもやっちゃう? 分からせた方がいいだろ」

「賛成。姫咲と合わせて、学校来れなくしちゃおうよ」


 不快そうな顔で、西谷と取り巻きが俺の方に近づいてくる。

(クソっ、どうすれば……)


 その時だった。

 俺の視界に、無機質なウィンドウがポップアップした。


【イベント発生:転落の令嬢】

 均の行動を選択してください。


A.「気持ち悪いな、近寄るなよ」と佐藤を恫喝する。

B.姫咲へのいじめに加担させる。

C.俺の彼女を使って、不愉快な佐藤モブのセクハラ疑惑をでっち上げる。


(そうか。こいつは主人公だから、ストーリーの中心になってるわけか)


 吐き気がした。

 なんだこの選択肢。全部クソだろ。


「俺だったら、こんな世界には絶対しなかった」


 この絶望的な三択。

 これが、メインライターが仕込んだ『悪意』の正体か。


 プレイヤーに不快感を与え、ヒロインを追い詰めるためだけの選択肢。


 俺が『主人公 西谷均』なら、ここでどれかを選ばざるを得ない。選ばなければ、ゲームは進行しないからだ。


 ──だが、今の俺はこの世界の『佐藤モブ』。


「……ふざけんなよ」

 俺は低い声で呟いた。


「あ? なんか言ったか?」

 西谷が耳を傾ける素振りを見せる。


 俺はスプレー缶を握りしめた。指先には、噴射位置を知らせる線状の突起たち。


「覚悟しろよ、西谷。俺ならお前をもっといい奴にしていたはずだ」


 田中(仮)が使った時はそよ風だった。

 当たり前だろ。だって、このアイテムのイベントは、『男子生徒がご都合主義を成立させられる』時だけ発生するようになってるんだからな。


「選択肢なんて、俺が作ってみせる」

 俺は空中に浮かぶウィンドウに向かって、中指を立てた。


(デバッグコマンド実行。強制イベント割り込み。シナリオID『D』──『大逆転』を俺のシナリオからロードする!)


「D.『全員まとめて吹き飛ばす』だッ!」

 俺は躊躇なくトリガーを限界まで引き絞った。


 プシュ、という生易しい音ではない。


 ゴォォォォォォォォッ!!


 まるでジェットエンジンのような轟音が、教室の空気を震わせた。


「は……?」

 西谷が間の抜けた声を上げた瞬間、彼の身体が宙に浮いた。


 俺の手元から放たれた圧縮ガスは、物理法則を無視した暴風となり、西谷と、その取り巻きの女子たちをまとめて薙ぎ払う。


「うわあああああっ!?」

「きゃあああああっ!」


 人間が飛ぶはずのない速度で、彼らは教室の後方へと吹き飛んでいく。机や椅子がガタガタと音を立てて倒れ、教室は一瞬にして台風の通過直後のような惨状となった。


 ウィンドウも、選択肢も、クソみたいな悪意も、すべて『ご都合主義』の暴力が粉砕した。


「……すげぇ」

 俺自身も、反動で数歩後退りながら感嘆する。


 ハピエン万歳。クソライター万歳。


 そして、暴風が収まった後、教室に残ったのは──舞い上がる白い粉塵と、その中心にぺたんと割座している姫咲だけだった。


(こんな演出しかしてやれないが……)


 俺はスプレーの狙いを、微調整していた。

 西谷たちには『暴風』を浴びせ、姫咲には『そよ風』だけが届くように。


 こびりついていたチョークの粉が、風にのって宙に散っていく。


「こいつがキラキラ光ってでもくれればな」


 俺の改変スキルが作用したのか、唐突に陽の光を反射し始めた粉塵の煙の中から、凛と立ち上がった透華が現れる。


(……再現成功だ)


 それは、本来のオープニングで見られるはずだった『メインヒロイン登場』に限りなく近い光景。


 ただの汚れだった白い粉が、透華を祝福する光の粒子へと変わる。


「俺が見たかったのは、あんな醜いイベントじゃない。姫咲透華が華々しく登場して、皆の尊敬を集めている様子だ」


 汚れた空気が一掃され、本来の美しさを取り戻した金髪が、ふわりと舞い降りた。


「……え?」

 透華が、呆然と目を見開く。

 罵声を浴びせられることも、ゴミを投げつけられることもない。


 ただ静寂と、光だけが透華を包んでいる。

 俺はきょとんとしている透華の前に歩み寄ると、目の前で膝をついた。


 本来なら、主人公である西谷均が、一番最初にヒロインにかけるはずだった言葉──


 気高いが、本当は繊細で心優しい透華のために用意されていた、俺のお気に入りの台詞がある。


「挨拶、聞こえてたぜ」

 俺は透華の瞳を真っ直ぐに見つめて、微笑んだ。


「──ごきげんよう、お姫様」

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