Baden

Bamse_TKE

Baden

「おまたせしました、ホットバタードラム」


 麗し気な切れ長の瞳をしたバーデンが、お湯とラム酒にバターを一かけ入れた甘い香りを放つ、湯気が立ち上るカクテルを客に差し出した。色白でほっそりとした指、細い首。似合わない顎髭が無ければあまりにも中性的なこのバーデンは、たった一人しかいない客、

――吹雪を避けてバーへと逃げ込んだ体を装う男――

に愛想を振りまくでもなく、これまたたおやかな背中を向けてグラスを磨き始めた。


「バターが溶けてしまった」


 客がさみしそうにつぶやく。バーデンは振り返ることなく言葉を返した。


「熱くしすぎました、作り直しましょうか?」

「いや、このままでいいんだ」


 客はその熱いカクテルをため息とともに口へと運ぶ。


「熱いところに無理に入れると溶けてなくなる、なんとも儚いものだ」


 バーデンは無言のまま、作業を続けるが決して客のほうを見ることはない。


「ひどい天気だ、今夜は吹雪だよ」


 吹きすさぶ風が店内にも聞こえてくるような、吹雪の夜、バーデンと客の二人は吹雪に閉じ込められたように、たった二人でバーに居た。


「今夜は昔語りがしたくてね」


 その言葉にバーデンの肩がびくりと揺れた。しかしバーデンはそのままいま必要とは思えない手作業を続けていた。


 そんなバーデンの背中を愛おしそうに眺めながら、客は独り言のように語り始めた。


「昔々、雪深い山の中で、美しい娘を見つけた若い農夫がいたそうな」

「若い農夫はその娘に大層惚れ込み、ぜひ伴侶になって欲しいと告げた」

「すると娘は伏し目がちに頷き、そのまま農夫の家についていった」

「喜んだ農夫は急いで風呂を沸かした」

「娘を温めてやるために」

「しかし娘はどうしても風呂に入るのを嫌がった」

「冷たい手足と体を温めてやりたくて、農夫は無理矢理に娘を風呂に入れさせた」

「しかしいつまでたっても娘は風呂から上がってこない」

「心配した農夫がそっと風呂を覗くと、風呂桶には誰もいない」


 ここで客は深いため息をついた。そのため息に呼応するように、バーデンの動きが止まる。


「美しい娘は、そのまま姿を消してしまったんだそうだ」


 湯気が消えたホットバタードラムを一口飲み、客は昔語りを閉じた。


「私の祖国ドイツでは、Badenバーデン、つまりは入浴は相手を問わずその関係を深めるもの」

「それが正しいと信じていた」

「それを日本人の君に強いたのは、私の傲慢だ」

「どうか許して欲しい」


 バーデンはゆっくりと振り向いて役に立たなかったつけ髭を外した。


「君は美しい」


 客はラムに上気した唇で呟いた。


「君が私に肌を見せられない理由を、私は理解しているつもりだったんだよ」

「どうか私を許して欲しい」


 謝罪を繰り返す客の手に、バーデンの細くしなやかな指がそっと添えられた。その指は相も変わらず冷たかったが、溶けたバターのように甘くとろけるような優しさに包まれていた。

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Baden Bamse_TKE @Bamse_the_knight-errant

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