第10章「旧勢力の抵抗」

王都への旅は、五日間かかった。


 リーゼロッテの護衛兵と、建吾の職人チーム——ゴルド、シルヴァ、マルコ、そして数人の職人——を合わせた一行は、馬車三台で移動した。


 道中、建吾は王都の情報を集めた。


 王都ケーニヒスブルクは、この王国の中心地。人口は約十万人。城壁に囲まれた巨大な都市で、中央に王宮がそびえ立っている。


 そして、建築ギルドの本部がある場所でもあった。


「建築ギルドは、王都の建設工事をほぼ独占している」


 リーゼロッテが説明した。


「彼らの許可なく、王都で工事を行うことはできません」


「今回の王宮工事は、どうなっている」


「国王陛下の直接発注です。ギルドを通さず、ケンゴ様に直接依頼が来ました」


「それは……ギルドは面白くないだろうな」


「はい。既に、抗議が来ています」


 建吾は、ため息をついた。


 予想通りの展開だ。新参者が、既存の利権構造に割り込む。反発が来ないわけがない。


「ギルドのトップは誰だ」


「ヴェルナー宰相です」


「宰相? 政治家がギルドの長なのか」


「はい。建築ギルドは、この国で最も影響力のある組織の一つです。その長を、宰相が兼任しています」


 建吾は、眉をひそめた。


 政治と利権の癒着。それは、元の世界でも珍しくない構図だ。しかし、相手が宰相となると、厄介だ。


「気をつけた方がいい」


 ゴルドが、低い声で言った。


「王都のドワーフから聞いた話だが、ヴェルナーは狡猾な男らしい。正面から戦っても、勝ち目はない」


「どうすればいい」


「……わからん。だが、少なくとも、仕事はきっちりやれ。結果を出せば、誰も文句は言えない」


「それは、そのつもりだ」


      ◇  ◇  ◇


 王都に到着したのは、夕方だった。


 城門をくぐると、石畳の広い通りが続いていた。両側には、三階建て、四階建ての建物が立ち並んでいる。人の往来も多く、活気に満ちている。


 建吾は、建物を観察しながら歩いた。


 石造りが主流だ。壁は厚く、窓は小さい。中世ヨーロッパの都市に近い雰囲気がある。


 しかし、建物の状態は良くなかった。


 壁には亀裂が目立つ。雨樋は錆びて、水漏れを起こしている箇所がいくつもある。建物と建物の間の路地は、ゴミと汚水で溢れている。


「……整備が行き届いていないな」


 建吾は呟いた。


「王都なのに」


「ギルドが、工事を独占しているからです」


 リーゼロッテが、小声で答えた。


「競争がないから、質が落ちている。しかも、工事費用は高騰するばかりで、一般の人々には手が届かない」


「ギルドの連中は、それでいいと思っているのか」


「自分たちが儲かれば、それでいいのでしょう」


 建吾は、無言で頷いた。


 利権を守ることに汲々として、本来の仕事を疎かにする。それは、どの世界でも同じらしい。


 一行は、王宮に隣接する宿舎に案内された。


 工事関係者用の建物だという。質素だが、清潔で、必要なものは揃っていた。


 翌日から、王宮の調査が始まった。


      ◇  ◇  ◇


 王宮は、予想以上に巨大だった。


 中央に本殿があり、その周囲に東西南北の翼棟が広がっている。さらに、離れの別棟がいくつか。全体で、グライフェンベルク城の十倍以上の規模があった。


 建吾は、許可された範囲——国王の執務室と謁見の間——を調査した。


 表面上は、豪華絢爛だった。金箔を貼った天井、大理石の床、繊細な彫刻が施された壁面。


 しかし、建吾の目は、その裏側を見抜いていた。


 天井の金箔の下には、染みがある。雨漏りの跡だ。


 大理石の床の一部は、明らかにずれている。地盤沈下の兆候。


 そして、壁——


「これは、まずいな」


 建吾は、壁を叩きながら呟いた。


 空洞の音がする。壁の裏側に、何らかの問題がある。


「ケンゴ様、どうかされましたか」


 案内役の宮廷官が、不審そうに尋ねた。


「この壁、中が空洞になっている。内部の支持材が腐食しているか、あるいは最初から不十分だった可能性がある」


「空洞……ですか?」


「ああ。このまま放置すると、壁が崩落する危険がある」


 宮廷官の顔色が変わった。


「そ、そんな……この壁は、十年前に大改修を行ったばかりです」


「十年でこの状態は、施工不良だな。誰が工事を担当した」


「建築ギルドです」


 建吾は、深いため息をついた。


 予想通りだ。ギルドの独占体制が、杜撰な工事を生み出している。


「報告書を作成する。すぐに対策が必要だ」


      ◇  ◇  ◇


 建吾の報告書は、詳細かつ厳密なものだった。


 王宮の構造的問題点を洗い出し、危険度をランク分けし、必要な対策を列挙した。


 その中には、「過去の工事における施工不良」という項目が含まれていた。


 報告書は、国王に提出された。


 そして——


「虚言を弄する詐欺師だと?」


 建吾は、怒りを抑えながら言った。


 目の前には、宰相ヴェルナーが立っていた。


 五十代後半の、痩せた男。灰色の髪を後ろに撫でつけ、冷たい目で建吾を見下ろしている。


「王宮の建築は、我がギルドが責任を持って管理している。それを、どこの馬の骨とも知れぬ者が、欠陥があるなどと……」


「事実を述べただけだ」


「事実? 証拠はあるのか」


「ある。報告書に、すべて記載した。現場を確認すれば、誰でもわかる」


 ヴェルナーの目が、細くなった。


「現場を確認するには、工事を行う必要がある。しかし、王宮の工事は、ギルドの許可なく行うことはできない」


「国王陛下の直接発注だ」


「それでも、ギルドの監督なしには、工事はできない」


 建吾は、ヴェルナーの狙いを理解した。


 要するに、工事を妨害して、建吾の報告を立証させないつもりだ。証拠を示せなければ、建吾は嘘つきとして追放される。


「……卑怯なやり方だな」


「何を言う。正当な手続きだ」


 ヴェルナーは、冷たく笑った。


「この国のルールに従えないなら、とっとと田舎に帰ることだ」


      ◇  ◇  ◇


 その夜。


 建吾は、宿舎の部屋で仲間たちと対策を協議した。


「まずいな」


 ゴルドが、腕を組んで言った。


「ギルドが工事を妨害するなら、何もできない」


「国王に直訴するのは?」


 マルコが提案した。


「宰相の横やりだと訴えれば……」


「証拠がない」


 シルヴァが、冷静に指摘した。


「今の状況では、ケンゴの言葉と、宰相の言葉が対立しているだけ。国王は、どちらかを信じなければならない。そして、宰相の方が、政治的な力を持っている」


「じゃあ、どうすればいい」


 マルコは、焦った様子で言った。


 建吾は、沈黙していた。


 考えている。


 現場代理人として、何度も直面してきた問題だ。工事を妨害する者。利権を守ろうとする者。そういった連中との戦い方は、知っている。


「……証拠を作るしかない」


 建吾は、ゆっくりと言った。


「工事を行わなくても、証拠を示す方法があるはずだ」


「どうやって」


「壁を壊さなくても、内部の状態を知る方法がある。音だ」


 建吾は、壁を叩く動作をした。


「壁を叩いて、その音を聞けばわかる。空洞があるか、構造材が劣化しているか。熟練した職人なら、音だけで判断できる」


「だが、それを国王に信じさせるのは……」


「だから、公開でやる」


 建吾は、決意を込めて言った。


「貴族や役人を集めて、公開の場で壁を叩く。その場で、何がわかるかを説明する。そして、最後に、一箇所だけ壁を開けて、実際に中を見せる」


「一箇所だけ?」


「そうだ。全面的な工事ではなく、検証のための最小限の開口。それなら、ギルドの許可がなくても、国王の命令だけで実行できるはずだ」


 仲間たちは、顔を見合わせた。


 リスクのある作戦だ。もし、建吾の判断が間違っていたら、すべてが終わる。


「俺の目は、間違わない」


 建吾は、静かに言った。


「十五年、現場を見てきた。壁の音で、何が起きているかを判断することくらいは、できる」


 ゴルドが、にやりと笑った。


「よし。やってみようじゃないか」


「私も、賛成です」


 シルヴァが頷いた。


「ケンゴの技術は、信頼できる」


「俺も……やります」


 マルコが、緊張した顔で言った。


 建吾は、仲間たちを見回した。


 ドワーフ、エルフ、人間。異なる種族が、一つのチームとして動いている。


 それは、この世界では珍しいことかもしれない。


 だが、建吾にとっては、当たり前のことだった。現場は、チームで動く。一人では、何もできない。


「よし。準備を始めよう」


      ◇  ◇  ◇


 三日後。


 王宮の大広間で、公開検証が行われた。


 国王、宰相、貴族、役人——百人以上の人々が見守る中、建吾は謁見の間の壁の前に立った。


「これから、この壁の状態を検証します」


 建吾は、落ち着いた声で宣言した。


「壁を叩き、その音で内部の状態を判断します」


 ヴェルナーが、嘲笑するように鼻を鳴らした。


「音で判断? 子供騙しもいいところだ」


「では、実際にやってみましょう」


 建吾は、壁に近づいた。


 コンコン。


 壁を、一定のリズムで叩いていく。


 位置を変えながら、何度も叩く。


 その音を、じっと聞く。


 ここは、正常。


 ここも、正常。


 そして——


 ここ。


「この部分」


 建吾は、壁の一点を指差した。


「この部分の内部は、空洞になっています。支持材が欠損しているか、腐食している可能性が高い」


 ざわめきが広がった。


 ヴェルナーの顔が、わずかに強張った。


「証明できるのか」


「できます」


 建吾は、国王に向き直った。


「陛下、この部分の壁を、一箇所だけ開けることを許可していただけますか。最小限の開口で、内部を確認します」


 国王は、しばらく考え込んだ。


 それから、頷いた。


「許可する。やってみよ」


 建吾は、ゴルドに目配せした。


 ゴルドが、工具を持って近づく。


 慎重に、壁の一部を削り取っていく。


 表面の漆喰が剥がれる。


 その下の石が見える。


 さらに削る。


 そして——


「これは……」


 国王が、驚きの声を上げた。


 壁の内部は、空洞だった。


 本来あるべき支持材は、ほとんど残っていなかった。一部は腐食し、一部は最初から入っていなかったようだ。


「これが、十年前の工事の実態です」


 建吾は、静かに言った。


「表面だけを綺麗にして、内部は手抜き工事。これでは、いずれ壁が崩落します」


 大広間が、静まり返った。


 ヴェルナーの顔は、青ざめていた。


「この……これは……」


「宰相殿」


 国王の声が、冷たく響いた。


「説明を聞こうか」


      ◇  ◇  ◇


 その夜。


 建吾は、宿舎に戻る途中で襲撃を受けた。


 暗い路地から、黒装束の男たちが現れた。五人。全員が、剣を持っている。


「ケンゴとかいう男だな」


 リーダーらしき男が、低い声で言った。


「宰相殿の顔に泥を塗った報いを受けてもらう」


 建吾は、後退しながら周囲を見た。


 逃げ道はない。前後を塞がれている。


 武器は持っていない。戦う手段がない。


 だが——


 建吾の頭の中で、空間の情報が組み上がっていった。


 路地の幅は約三メートル。両側は石壁。高さは約五メートル。頭上には、向かい合う建物の間に渡された物干しロープがある。


 そして、左手の壁に、亀裂が走っている。


 建吾は、その亀裂を見つめた。


 古い亀裂だ。雨水が染み込み、内部の石が脆くなっている。


 もし、あの部分に強い衝撃を与えれば——


「おとなしくしろ」


 男たちが、じりじりと近づいてくる。


 建吾は、一か八かの賭けに出た。


 路地の端に積まれていた木箱を、全力で蹴った。


 木箱が、亀裂のある壁にぶつかる。


 ガラガラガラ……!


 壁の一部が崩れた。


 石が、男たちの上に降り注ぐ。


「うわあああっ!」


 悲鳴が上がる。


 建吾は、その隙に駆け出した。


 後ろから、怒号が追いかけてくる。


「待て! 逃がすな!」


 しかし、建吾は止まらなかった。


 狭い路地を駆け抜け、人通りのある大通りに出る。


 追手は、そこで足を止めた。人目がある場所では、手を出せないのだろう。


 建吾は、息を切らせながら、宿舎に向かった。


 心臓が、激しく脈打っていた。


 今夜のことは、はっきりと示していた。


 宰相は、建吾を排除するために、手段を選ばないつもりだ。


 これは、単なる仕事の話ではなくなった。


 命がかかった戦いが、始まっていた。

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